大学病院の助教が医局をやめて転職、パパ休をとってみた話①

とある有名な駅舎のある田舎で初期研修を終えたあと、母校に帰って血液内科として7年勤務しました。

大学院を終え、基礎研究はまったく成果をあげられませんでしたがなんだかんだで助教になり、そうこうしているうちに結婚、妻の妊娠が発覚しました。

我が医局で子供のいる男の先生は何人もいますが、みな育休など取得せず、朝から晩までひたすら生産性のない雑用と教授の御用聞き。病棟も血液培養とれとか、抗癌剤開始時に医者も立ち会えとか、明日の朝で間に合うような処方を深夜に処方しろとか、とにかく生産性のない無駄な仕事で忙しい。

そんな状況で、どんどん人もやめている中、育休もとりづらい。というか育休中も家で出来る書類仕事を振られるのが容易に想像がつく。

大学の唯一のメリットの論文。
臨床研究は小さい報告は何個か書けましたが、基礎研究は、5~6個投稿した後に教授の一存で中止。リバイズまではいったんですがね・・・。


ということで、医局をやめる決心がつきました。自分の人生にとってここにいることはなんのメリットもない。

医局の退職は教授との面談、電話などを経て1か月くらいで決まりました。アドバイスとしてはとにかく辞めるという意志をしっかり持つことで、最悪弁護士を入れればなんとでもなると思います。

医者はやろうと思えば再就職は出来ます。大学の関連では仕事を見つけづらくなったとしても、徳洲会さんとか、クリニックさんとか、生きていこうと思えばいくらでも生きていけますし、日本はそれなりに広いので。


そして引っ越し先。
田舎に行こうという話になり、中部地方ののんびりとしたところに引っ越しました。

次回は転職先探し。







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