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エドンマーティヌの墓⑫

 私は、あまりに不釣り合いな建物に口をあんぐりと開けていた。白く、骨のような木々と、スチールウールのように絡まった細い枝の木々が集まった広葉樹林のど真ん中。細い獣道を通って開けた場所に出たと思ったら、中世ヨーロッパの建築を思わせる、白く、荘厳な建物がどっかりと存在していた。大理石だろうか――ひどく、格調高く見える。あまりに、不釣り合いなのだ。そこに存在してはいけないとすら思った。それは、建物の周りに生えていた細い枯れ木からも感じる。奴が吸い取っているのだ、生命のマナを。周りの動植物からエネルギーを奪い去ってあの洋館は成り立っている。禁忌に触れるような研究が中で行われているに違いない。
「ねえアスカ、これ何?」私はやっとのことで口を開いた。
「え? あ、ここが流れ森図書館だよ」
「図書館!?」
 私はつい、大声を出してしまった。その瞬間、ハトやカラスが一斉に音を立てて飛び去った。私はもう一度洋館を見る。飛び去る鳥たちのシルエットのせいで、洋館の屋根から黒い塊が大量に放出しているように見えた。その様子に、私は確信する。――こんなの、絶対図書館じゃない。カァ――カァ――と上空でカラスが鳴いた。その声が、洋館を余計に不気味にさせる。おかしい。絶対に――図書館じゃありえない。
 ふと、私は幼い頃の記憶を思い出した。あれは十歳のころ、児童養護施設のみんなと遊園地に出掛けたときだった。

「――イリアちゃん、あっちに遊びに行こう?」
 甲高い女の声。そうだ、あの声は確か、当時施設の中で一番私とステータスが近かった女だ。名前忘れた。その子が、遊園地の中の図書館に一人でいた私を遊びに誘ってきたのだった。
 遊園地は、二つのエリアに分かれていた。一つはアミューズメント施設が集まった娯楽エリア、もう一つは学習施設がメインの教育エリアである。図書館は、教育エリアのほうに位置していた。他の施設の子はみんな、教育エリアには目もくれず、マイクロバスを降りた後一目散に娯楽エリアに駆けていったため、私が一人孤立した形となっていた。そこへ、こいつがきたわけだ。大方先生にでも言われたのだろう、ふん、鬱陶しい。
「……いい、私はここで本を読んでいるから」私はその子を睨みつけて言った。
「で、でも、楽しいよ? ジェットコースターとか!」
「いいって言ってんでしょ。分からないかしら? 私はあんたたちと遊びたくないの!」私は叫んだ。その子の怯えた顔は今でも覚えている。右目の目じりが引くついていた。
「こわい! イリアちゃんなんか知らない! わ、私はちゃんと誘ったからね!!」
 ――なにが、「私はちゃんと誘ったからね」だ。先生の機嫌を取る気満々なんじゃないか。そんな奴に誘われたってうれしくなんかない。誘われたって――。
 実はその時は誰にも言っていなかったが、私もいったんは娯楽エリアを目指して歩いていた。遊びと勉強なら、遊びの方が楽しいに決まっている。しかし――娯楽エリアに着いた瞬間、私はめまいがした。というのも、遊び方が全く分からなかったからだ! ジェットコースターを見た。細いレールの上に、速いスピードで車が動いている。――何が楽しいのだ? お化け屋敷。プラスチックのおもちゃが、私の目の前を横切る。――謎。ゴーカート。アクセル踏むだけ。メリーゴーランド。「……?」
 しかし乗り物に乗っている人間のあの楽しそうな顔と言ったら! 私は顔と乗り物の矛盾感に堪えられなくなって、その場を逃げたのだった。シェルターとなったのが図書館である。図書館は落ち着く。すべてがつまらない。本をめくっても何もおもしろくない。臭い。暗い、そして心なしか人間の顔も根暗っぽそう。生きてても、どうしようもないって顔をしている。テーマが――すごく統一されていた。私は安心して、つまらない本を読んでつまらない気持ちを抱いたのだった――
 が、なんだこの目の前の建物は。これが図書館!? 見るからにお化け屋敷ではないか! 森のど真ん中にあるお化け屋敷! 生命のマナを! あらんかぎり吸い尽くして、世界征服を目論んでいそうな――悪の組織! それが? なんだって? 図書館! ヴァカな! そんなわけあるかい!

「そんなわけあるかい!」私は再び叫んだ。アスカが横で、露骨に引いた顔をしている。
「え? 何? なんか固まったなと思ったら急にツッコミ!? ね、ねえイリア。君さっきから変だよ。どうしたの?」
「この森は呪われている」私は思いのまま言葉を口にした。
「え?」アスカは驚いてあたりを見渡した。「普通の森だけど……な、何がおかしいんだろう……」
「図書館はつまらないんだ」私は思いのまま言った。
「え? ――ってか、やめてよ! さっきから私、「え?」しか言えないんだけど! ここずっと「え?」だよ!」
「え?」
「ちょっと、君までそんな反応したら、どっちのセリフか分かんなくなっちゃうでしょ」
「……大丈夫。私の語尾は「かしら」で、あなたの語尾はなんか、JKっぽい感じだから」
「「私」ってどっちの私?」
「――コントは終わったかの?」
「ぎゃあ!」私たちは、突然のオーキド博士っぽい声に驚いて、飛びのいてしまった。即座に声の下方向に目を向けるとそこには――オーキド博士がいた。角刈りに、優しそうなつぶらな瞳。腕にイーブイでも抱えていたら、まんまだったのに。なぜ、この世界にポケモンは存在しないのか。最近、ユーチューブで、ポケモンの公式がピカチュウのASMRを出すという大事件が勃発した。それにより、多数の若者がこの現実で生きる自信を喪失するという現象が起きた。ほとんどテロである。かくいう私も、二時間の間ずっとピカチュウの声を聞き続け、心神喪失寸前までに至った。ポケモンのいない世界でこれ以上生きていけない。それから復活までに二週間はかかった。
 しかし、また目の前にオーキド博士がいる。もしや、この世界にポケモンがいるんじゃないか? 私は理性を失った。
「ポケモンがいるわ!!」
「おい」アスカが私の頭を殴った。その拍子に、私は現実に引き戻された。危なかった。ありがとう、アスカ。
「初対面の人をポケモン呼ばわりは失礼でしょ!」アスカは怒っている。
「だって……その、見えたから……」オーキドに。
「いくらゴーリキーに見えるからってそれはないでしょ!!」
「ゴーリキー……」博士は、悲しい声で角刈りをさすっていた。

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