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エドンマーティヌの墓⑬

 私たちはオーキド博士に連れられ、洋館の中に入った。外観こそお化け屋敷のようだったが、中はいたって普通の市民図書館だった。入り口に入ってすぐ左に受付カウンターがあり、目の前にはゲートがある。奥には、天井待て届くほど高い本棚が、何列にもわたって並んでいるのが見えた。
「アスカちゃん、初めましてじゃな」オーキドはアスカに向かって言った。
「はい、初めましてです。教授」
「知り合いなの?」私はアスカに聞いた。
「そうそう、メールでやり取りさせてもらってたんだよね、ここ実は、一般人お断りなんだ」
「え!? アスカは一般人じゃないの!?」
「ワシも驚いたわい……」オーキドがしゃべった。「この、流れ森図書館は、貴重な資料もたくさん置いてあるから許可制にしているんじゃが、まさかこんなに賢い大学生の女の子がいるとは思わなかった」
「教授、セクハラですよ」アスカはオーキドを目で牽制した。
「す、すまん」
「私は? 私は入れるの?」正直、私はアスカみたいに賢くはない。ユグドラなら無双できるけれど。
「もちろんじゃ。アスカちゃんの――」
「ちゃん付けもセクハラですよ」
「アスカさんの友達なら、大歓迎じゃよ」オーキドの分厚いもみあげから一筋の汗が流れ落ちた。アスカの眼光が、彼の鼻の穴を貫いている。
「良かった、私、大抵の図書館出禁になっているのよね」
「えっ」
 二人は一斉に私の方を見た。目を丸くして、口を開けている。なんだっけこの顔、あ、そうそう埴輪だ。何にも考えていなさそうな、いわゆる一般大衆。誰かが死んだとき、一緒になって埋められるあの、埴輪。あっはは、そうだ、この二人、埴輪だ!
「ふふっ」
「――?」オーキドは首を傾げた。
「教授、なんかこの子、今朝からおかしいんですよね……。てか、イリア、出禁ってどういうことなの?」
「いえね、私。図書館が昔からすごく好きで」
「おお、いいことじゃな」オーキドが笑顔で相槌をした。「それがなんで――」
「でも、本は好きじゃないから、結果的に、いつも何もすることがなくなって寝てしまうの。そうしたら、なんかいっつも追い出されるのよ」
 私がそう言うと、二人は黙ってしまった。私は、アスカの顔を観察する。鼻の穴が二ミリメートル広がっている。これは、頭を使っている鼻だ。アスカは頭を使うとき、鼻を無意識にひくつかせることを、ここ数日の観察で判明していた。無論――アスカもその目線に気が付いたみたいで、ときどき頭を使っていないときにも鼻をひくつかせるし、頭を使っていても意識的に鼻を抑えて隠している。しかし――今回は隠す余裕がなかったみたいだ。私の言ったことが、あまりにも理解不能だったのだろう。確かに――私も説明不足だったことは承知している。あの時もそうだった。さっきの回想より、ちょっと後のことになる。

 名前を忘れてしまった似非優等生が叫びながら図書館を去った後、案の定先生がやってきた。私は、先生のことを尊敬していた。ただでさえ薄給なのに、落ち着かなくってまとまりのない子供をほとんどボランティア精神で面倒を見る。私だったらできない。私だったら私みたいな、言うことを聞かない子は放り出してしまいそう。でも、先生はいつも実直に、子供と向き合った。そして、それが子供に伝わるのか、子供も先生のことを慕っていた。私だってそうだった。だけれど――それとこれとは話が違う。私は図書館が好きなのだ。好きなものを、ほかの人に譲るわけにはいかない。
「イリアちゃん、あの子にひどいことを言ったの?」先生は優しく話しかけてきた。私は正直に白状した。
「言ったわ。でも、それはあの子も言ったから。あの子が強引に、図書館から私を出そうとするからだわ。それも、あなたに取り入ることが目的でね。私は、あの子の手段なんかになってやるものですか」
「そう……」先生は悲しそうな顔をした。「イリアちゃんが言うならそうなのでしょうね。あの子は確かに、ちょっと見栄っ張りなところがあるから」先生も幾分かほかの大人よりも正直者だった。
「でしょう? じゃあ、先生も私にかまわないで」
「いいえ、イリアちゃん。肝心なことを聞いてないわ。あなた、本当に本が好きなの?」
 先生は本をじっと見ていた。私が開いていたページの端に、よだれのシミが少しだけ出来ていた。きっと寝ていたことに気がついていたのだ。だけれど先生は、そのことを直接言及せず、私のパーソナリティを問いただしたのだった。
「……本は嫌いだわ。でも図書館は好き。安心するのよ、図書館って。こう、ひどくつまらないから。つまらないのが――いい」
「それって……」先生は質問を続けた。「図書館を安心のための材料に利用しているってことにならない?」とてもじゃないが、十歳に向ける質問ではなかった。
「……それは……図書館が好きだから安心できるってことで――」
「イリアちゃん」先生の目はまっすぐこちらを向いていた。「そういう御託はいいから。前を向いて。先生に――本当のことを喋って」
「それは……」私はまごついた。「それは……」と三回繰り返したころだったか、先生は何も言わず私に背を向けて、娯楽エリアへと走り去っていった。私は一人ぼっちになった。その途端、また本を枕にして眠りこけてしまった……

「どうしたの? イリア」
 私はアスカの声にハッとした。二人が私を見て、心配そうな顔を向けていた。どうやら回想に入ったままボーっとしていたみたいだ。
 窓から差し込んだ日の光は、角度が先ほどより急になっていた。もう正午も近いのだろう。見渡せば、高く建てられた天井には、無数の鳥が描かれていた。先ほど外で飛んでいたハトやカラスよりも大きな鳥。大きな鳥は美しいと相場が決まっている。
 私は頭を軽く掻いて弁明しようとした。
「分かってくれないかもしれないけれど――」
「いやでも安心したよ!」と、アスカは私の言葉を遮って言った。「出禁っていうからてっきり本をよだれでぐしゃぐしゃにしちゃったのかと思ったよ。そうだったら私――許さなかったけどね」
「ひ、ひぃ! そ、そんなわけないじゃん。本は嫌いだけれど、た、大切だから~!」危ない。
「うむうむ、わしもびっくりしたが、大丈夫だったようじゃ。さあおいで、お探しの資料はこちらにあるよ」
「お探しの資料?」
 私は聞いたが、アスカはウィンクだけしてオーキドについていった。もしかしたらエドンマーティヌの墓関連の重大な資料が、ここにあるのかもしれない。――ふと祖父の顔が頭に浮かんだ。判明している、私の唯一の肉親。彼のことが分かれば、もしかしたら私のことも分かるかもしれない。もしそうなったとしたら――私は受け止めきれるのか。

 オーキドの案内に沿って、少し奥まったところの階段をゆっくりと下る。階段は薄暗く、壊れた蛍光灯がパチパチと点滅していた。私に秘められた「神の光」――心なしか、私の心臓も少しだけ強く脈打ち始めていた。

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