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エドンマーティヌの墓⑥

「――はい、こっちにお願いしまーす」
 今日は待ちに待った引っ越しの日(昨日の今日)。ようやく、家賃一万五千円の生活からおさらばできる。一万五千円といえど、家賃払うの大変だったし。これからはその分のお金を、今までケチって一切買わなかった教科書とかに使える。ほんと、試験前が大変だったから助かった。
「お姉さん、これ、何階ですか?」布団一式を抱えた引っ越しの業者さんが私に尋ねた。その質問を待ってました!
「ふふっ、なんと十七階ですよ、十七階!」
 私は頭上を天高く指さした。――業者さんは「は、はあ」と首をかしげた。
 ……? ああ、そうか、この大手町では普通なのか。まったく、とんだ冷たい町である。こんなところ、まさか自分が住むとは思わなかったよ――

 墓へ行くことが決まったあの後、アスカは痺れを切らしたように私に尋ねた。
「それでさあ、イリアさん。結局、私の家に住んでもらえるってことでいいの?」
「えっ、あ、いやそれは――」
「あ、今の君の部屋に住み続けるって選択肢は論外ね。セキュリティしっかりしてないとか、やばいよ。それでなくたって、今イリアさんは、ほとんど国宝級の重要文化財と同等の価値を持ってんだから」アスカは、心なしか少し怒った口調で言った。
「そんな、大げさな……」
「大げさなことがあるもんか! 本当はここだって危ないくらいだよ。――私がね、もし悪人だったら、今頃殺してるね。ナイフで後ろからグサッと」
「ひっ、や、やめてよ……」目がガチだ。
「やめてるでしょ! ……で、住むの? 住まないの?」
「うーん、でも――私、あなたのこと嫌いだし」率直に嫌い。
「まだ嫌いか! 勘弁してよ。家には招待して? こんだけもてなして……まあ、これがね、まだお節介認定ならいいよ。でも、お互い、やばいレベルの秘密を告白しあってるわけじゃん。こんなん、既に唯一無二の親友って言っても過言じゃないけど! ――それに、家賃は全部こっちで出そうって言ってんだし。あ、気を使って言っているなら、別にいいからね。大体私の金じゃないし、てか、ぶっちゃけ部屋余ってるし。――ほらあの、パソコン部屋」
「パソコン部屋……!」フルスぺパソコン!!
「私の機嫌がいいうちに、はいと言ってくれるならパソコン使い放題させてあげても――」
「はい! 住みます! 明日引っ越しでいいかしら!?」
「……なるほど。そうくるか。荷物はどうする?」
「布団だけ!」
「……ヒヒッ」
 そういうわけで、私の引っ越しが決まった――というわけである。
「あ、でもプラネタリウム……天井の……」
「え? プラネタリウムならあるよ、機械がそこに。ほら」
 ――やっぱ嫌いだ。

「――でも! 今日からパソコン使いたい放題! これはそそるぜぇ! さてさっそくユグドラログイン――」
「待った待った、イリアさん。とりあえず、まずはこの家を案内するよ」
「ええ、だって昨日ちゃんと見たわよ」早くユグドラログインしたい。
「いやいや、洗濯ものとか、キッチンとか、ゴミ捨て場とかいろいろ」
「え!? 全部自動じゃないの!?」
「自動なわけあるか!」アスカは手をびしっと伸ばすという、古典的なツッコミをした。「そんなの、未来に行かなきゃないよ! ――あ、でも洗濯機は着た洋服を入れるだけで干さなくていいよ」
「……」

 一通り、アスカの説明が終わって、私はユグドラに興じた。その間、アスカは勉強に精を出していたようだ。分厚い本を多数抱えては、タブレット端末で調べ物をし、時々外に出てはまた分厚い本を持って帰ってくる。
 ――こいつ、すごい。まだ、一緒に暮らし始めてから三時間しかたっていないけれど、アスカのすごさが分かった気がする。私が、ユグドラで素材を百個集めている間、アスカは本を読んで必要な情報を百個集めていたのだ。つまり――アスカは、私がユグドラに興じるように、現実世界を興じていたのだ。四十億円を手に入れてもなお、向上心を失わず、もっと上の金持ちになることを夢見るその好奇心。きっと夏目漱石が見たら、びっくりして『こころ』を破棄したのではないか。向上心のない奴がばかなのではなく、向上心のあるやつがすごいのだ。そして――そいつは本当に存在する。きっと――私の亡き祖父も、こういう人間だったに違いない……。
「――イリアさん、あったよ。エドンマーティヌの墓。でも、これやばいよ。ほんと、どの文献漁っても全然見つかんなかった」
「え、そうなの!? なんか、普通の遺跡だったけれど」
 エドンマーティヌの墓。祖父が引退後、学者たちの目を逃れて過ごした遺跡。確かに、目立たないところにはあったが、山積みになった石に草が生えているだけの近所の秘密基地って感じだった。周りには、お店も食べ物も何もなく、実際祖父がどうやってそこで生活していたか、見ても全然わからなかった。何か秘密が隠されていたんだろうとは思っていたけれど、そういえば驚くほど何も調べなかったな……。
「無理もないよ、多分なんか情報統制でもあったんじゃないかな。エドンマーティヌのことが書かれた論文が軒並み削除されてる……でも」
「でも?」私はゲームの手を止めて、アスカを振り返る。アスカは、目をランランに開いてページをめくっている。
「アラブ語で検索したらあったよ……もっとも、アラブ語はさすがに読めないから、ちょっと勉強しなくちゃだけど」
「え!? ね、ねえ、アスカって何か国語話せるの?」
「話せるのは少ないけど……読むだけなら五か国語?」アスカはけろっとした顔で答えた。なんだこいつ、さすがにハイスペックすぎる。パソコンみたいだ。とても、同じ大学の学生とは思えない……。
 でも、そうなるとひっかかることがある。私はちょっと聞いてみることにした。
「そういえば、あなた、なんで友達あんなチャラいの?」私は、昨日春日で見かけた金髪のチャラ男を思い出していた。「ああいう友達、合いそうにないのに……」
「あれ? 昨日言わなかったっけ。陽キャとつるんでたのは、イリアさんを見つけるためだって」アスカは意外そうな顔をしてこちらを見た。
「ん?」
「てか、まだ気づいてないのか! 散々マキャベリスト呼ばわりしておいて、どう考えても手段でしょ! イリアさんって意外と鈍い? それとも、人の話聞かない人?」
「……どっちも……かしら……」
 私は、そそくさとレイドバトルに舞い戻った。

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