見出し画像

エドンマーティヌの墓⑪

「――ここはどこなの?」
 電車を降りて、更にバスに乗った。駅でさえ、草が野放図に生えていて、誰が利用しているのかわからないような場所だったのに、そのまた更に深緑の度合いが増してきて、日本に――まだこんな場所があったのかと目が点になってしまう。
 車内に人はなし。前にも後ろにも車はいない。それどころか、生き物の影も見えない。多分、木陰には動物がたくさん隠れているのかもしれないが、定期的に通り抜けるこのバスが、不吉な棺桶にでも見えるのだろう。全ての生物が声を潜め、バスを見送る――そういう不気味さが、この森の周辺には漂っていた。
「私も初めて来たんだよね、すごいな」アスカはケロッとした顔で言った。慣れているのだろうか。アスカは基本、不足の事態が起こっても動じない。
「ここなんかちょっと不気味すぎて――」
「でしょ!? そうなんだよ、凄く楽しみにしてたんだよね」
「え――?」やばい、噛み合わない。ここまで違うと、同じ人間なのかどうかも疑わしくなる。考えてみれば、「人間」ってなんだろう。私は哲学科(いや、哲学科にしか入れなかったから)だから、残念ながら気になってしまうのだ。アスカと私は世間的には同じ「人間」に括られる。共通点は、多分「人間」から生まれていること――姿格好は全然違うから、多分そういう感じで「人間」って認識されるんだと思う。――ん? でも待って。
 ――私、父母不明じゃん……。
 本当に、気がついたら児童養護施設にいたらしい。玄関に置き書きもなくただ放置されていたみたいだ。五歳頃だったっけ、そこの社員に「私の母は――?」って聞いたときに、あっさりと教えてくれた。今考えれば、子供のメンタルケアを考慮して、もう少し濁してくれればいいと思うんだけれど、私は子供の頃から周りに達観していると思われてて、割と雑に扱われやすかったのかもしれない。その時も多分、ショックを受けなかったんだと思う。ただ、無意識にはトラウマになっていて、今でもCMなんかを見ることができない。父や母が当たり前に出てくるからだ。CMを見ていると、自分が社会の異物なんじゃないかと疎外感を受けてしまう。
 ――おまけに、祖父があんなんだからね。「神の光」。生で見たときは、本当に光っているんだと思ってびっくりした。今でも、この世の現象とは思われない類の神秘だった。夢だったんじゃないかとも一時期は――アスカが出てくるまでは。――とにかく、祖父も人間っぽくなかったのだ。じゃあ、私は――父母も不明、祖父はあんなん。やっぱり人間じゃないのかもしれない――
「アスカ、すごいね。楽しいなんて。私、もしかしたら人間じゃないのかもしれない」
「え!? 何? 情緒が不安定??」
 と、そのとき「次は、流れ森図書館、流れ森図書館」とバスのアナウンスが鳴った。アスカが急に目を見開き、立ち上がって、バスのボタンを押そうとした。押す前に、次止まりますというアナウンスが響いて、私はびっくりした。まだボタンを押していないのに――。運転手は霊能力者なのか。そう疑ったのも束の間、アスカがとんでもないことを言い出した。
「ありがとうございます」
「なんで!?」私はつい声を出してしまった。瞬間、極度の寒気に襲われた。呪われる――私が、運転手の能力に気付いたことを悟られてしまったかもしれない。「ひ、ひやっ、ああ……」
「なんでって、親切にされたらお礼を言うのは当たり前じゃ……」アスカはのんきなことを言っている。
「だって、だって――」
 そうこうしているうちに、バスが止まった。ブザー音が鳴って、扉が開くと私は外へとすっ飛んで出た。怖すぎる。ここは呪われた森だ!
「なになに、どうしたの。さっきから人間じゃないとか、急に暴れ出したりとか――」
「だって、あの運転手、まだボタンを押していないのに、気配を察知したのか、私たちが降りる場所が分かったのよ。霊能力者か妖怪化に違いないわ」
「えっ、普通にバックミラーで見たんじゃ……」
「ミラー!? ……そういえば、ユグドラで聞いたことがあるわね。鏡は何でも見通す能力があるんだとか――」
「……」
 アスカは黙った。多分、恐怖のあまり、声も出ないに違いない。

 私たちが降りたバス停の周りには、やはり森が広がっていた。広葉樹林っぽい、色んな色の葉が何層にも重なって見えるから、多分ほとんど人の手が加わっていないのだろう。地面を見れば、当然舗装されているはずもなく、ただ踏み固められただけの土が占めていた。もちろん、建造物はバス停の他に何もない。本当に、ただの大自然。きっと、過去にタイムスリップして、人類がまだ文明を作る前の時代に飛ばされたとしたら、こういう風景だと思う。つまり原初的原風景――なぜ、こんな場所が「流れ森図書館」と命名されたのか、ものすごく気になった。
「そういえば、流れ森図書館ってなんなの?」私はアスカに話しかけた。彼女は、黄ばんだ紙切れをもって唸っている。
「一応、地図を持ってきたんだけど、道も何にもないじゃん。なんか目印になる建造物はないかと探したんだけど――全然ないじゃん。もう、方角を頼りに行くしかないか……」
「わ、私たちはどこへ行こうとしているの……?」
「まあ、付いたらわかるよ!」アスカは私の肩をぽんと叩いて言った。「今は、午前十一時か。東経から考えて時差は……うん、あっちが目的地か……」
「何をしているの?」
「うふっ、目的地を割り出すための魔術だよ!」アスカは笑った。
 魔術!? 魔術だと――もしや、アスカは魔術師だったのか。だから――さっきの霊能力者の運転手を見ても、何も動揺しなかったというのか! アア! 失態だ。灯台下暗しとはこのことか。じゃあ――この場で、普通の人間は私だけということか――あれ? 待って。私、人間じゃないって感じだったよね。ひょっとしてこのパーティ、人間がいない!?
 ――良かった。安心だわ。私だけ、仲間外れということではなかったみたい。
「お互い、これから大変だけれど、頑張ろうね」私はアスカの背中をバシッと叩いた。
「う、うん……?」アスカは釈然としてなさそうな顔をして、私の顔を見返していた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?