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絵日記 東京オリンピック後 <夏休みの宿題>

オリンピックが終わり、社会全体が「進むべき未来がわからない」と言う状態になりつつあるように思う。それ自体は想定した通りだ。

□パンデミック拡大

□自然災害

今もまた、大雨で災害警報だ。

□米中対立

その余波は、安全保障、経済、未来像(人々の想念)あらゆる面に及ぶでしょう。

□ライフスタイルの変化

上記を踏まえ、これまで通りではよくないのではと考える人は日に日に増えている。

では、何から考えましょう。

すぐに、「あっちだ!」「こっちだ!」と声をあげる人は大勢おられますし、この問いに答えようとすると私たち自身の意識もすぐに即物的に反応し動き出します。(意識は時にコントロール不能なのに、時になんと従順なのでしょう!)しかし、前提となる世界観が古いものであれば、それが論としていかに優れていようが、あまり重要でないでしょう。

ならば、前提となる世界観と言うものを見つめ直すことが、発言したり、行動したりする前に必要なように思います。この夏休みは、そう言うことを振り返る時間としたいと思ってました。

もちろん、これまでもそう考えてきたのだけど、それよりも一段深く考える契機としたいと思ってました。あまり、どこも出かけにくいですしね。

例えば、こう言うことですね。

人間観:

あらためて、人間とは何なんだ? 物理的存在としては当然ながら、現象として、理想として。

世界観

人間観とも関連しますが、世界とはどう言ったものなんだ?主観と客観の中にある現象だとすると、私の中にあるものだとしてそうなると、人間観と同じとなる。

愛:愛とは何か

この言葉を知らない人はいないが、この言葉は全員が様々なレイヤーで捉えている。この言葉には深さがある

幸せ:あなたの考える幸せとは?


こうした、大前提を自分の頭で考え、自分の言葉で紡がない限り、ふわふわした情報を追いかけていても、きっと自分にとっての愛も幸せも手に入らないでしょう。(こうしたことを、徹底的に考えるのが、WaLaの哲学なんですけどね。)

社会の行き詰まりの原因はここにあるように思う。

つまり、自分にとって何が大切なのかを考える時間が限りなく少なくなり、そうしたことがわかっている前提で、情報ばかりが大量に溢れて、それに溺れそうになっている。


お盆の夏休み、子供たちと、映画を2本観ました。

まず、「東京リベンジャーズ」

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子供らのコメント

琥太郎「マイキーがおっさんだった!」と。。笑

ひどい。。。でも小学5年生から見ると吉沢亮でも、そうなるのか。。。笑

陽梨「あーちゃんはね、1/4寝て、1/4トイレ行った。」

はい。あまり見てないのでしょうね。しかし、そのあと、KINDLEで漫画全部読んでたから、何か感じたのかな?

イオンモールで働いてるお姉さんが、「東京リベンジャーズ見たんですか?」と声をかけてこられた。これは、少年漫画だけど、女性にも響いてるのかな。漫画も読まれてるようでした。


ドラケン

「下げる頭は持たなくていい。人を思う心をもて」

は、やはり名言でした。

友情の奥に、愛が描かれてました。(漫画の方がかな。)


翌々日は、「竜とそばかすの姫」を観てきました。

竜とそばかすの姫

琥太郎「面白かった!」

陽梨「案外、面白かった!(起きてたって意味)」

子どものボキャブラリーは、こんなものです。笑 しかし、後で何か思うところあったらいいですね。

これは、音楽がすごい。帰って、サントラ聞きまくりました。特に「心のそばに」は、10回くらい泣いたのではないだろうか。。。誰もが、こうした経験をを胸の奥に持ってるのかも知れない。そこの扉が開かれると、涙が溢れるのかも知れません。

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一人にして欲しいと、あなたは突き放すけれど
本当は胸の中にあるものを 覗かれたくないのでしょう?

怒り 恐れ 悲しみ
抱えきれぬ夜
でも口にできない

聞かせて 隠そうとするあなたの声を
見せて 隠れてしまうあなたの心

一人で生きて行けると あなたは言い放つけれど
本当は何度も何度も 自分に言い聞かせた 夜があったのでしょう

けどね、あなた、あなたを
どんなあなたでも みたいと
いつも考えてしまう

聞かせて 隠そうとするあなたの顔を
見せて 隠れてしまうあなたの心 聞かせて
どんなことからでもいい 最後まで聞くから
開いて そばに行きたい あなたの心

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「でも口にできない♪」で号泣ですね。

これも、女性の、深い愛(これは、女性性のように思います。)でした。

映画の、真ん中の日には、琵琶湖で泳ぎ、

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あとは、いくつかの本を読み、過ごしました。

いくつかの本は以下の本。


あんまり出かけられないので、結構読みましたね。

難しい本ではなくビジネス書よりの本です。深めると言うより、その世界で語られている言葉で読みながら、働く大勢の人に届く言葉で考えることが必要だと思い。


例えば、Humankindは、以下のような内容が書いてある。

社会には、冷笑的な人間観が染み込んでいる。人が、他人は邪悪だと信じている。私たちの日常が、ノセボ効果(プラセボ効果の反対)により、自己成就的に、自分たちという存在を貶めているのではないだろうか?との洞察と信念により、これまで人間の本性とされてきた過去の様々なエピソードを、詳細なリサーチによりひっくり返していく。

小説「蝿の王」

スタンフォード監獄実験

ミルグラムの電気ショック実験

キティ・ジェノヴィーズ事件(傍観者効果)

イースター島の崩壊理由

これら、人間の本性は邪悪であるとするような有名な話だが、9.11でも3.11でも私たちが観た、感動的な人々の勇気ある行動とは真逆に思える。こうしたストーリーは、学者やメディアに意図的に捏造されていたと言うのだ。

現在、私たちは、人と直接触れ合うこと、近づくことが少なくなり、その反対にネット経由で膨大な情報を得ることで、遠くから人を見て判断することで他人のことがわからなくなっている。

そのミラー効果により自分のこともわからなくなっている。そうした時、過去のすでに過ちであったことがはっきりした話の誤っている方を信じてしまい、自己成就的に望んでいない世界を作っている可能性がある。

一方で、こうした邪悪なことがなされるのも「共感する能力」によると。少数に共感しすぎることにより、その他大勢が視野に入らなくなる。私たちの苦境は、「多元的無知」であると説明する。それは「誰も信じていないが、誰もが『誰もが信じている』と信じている状態」つまり、裸の王様を褒め称えた人々の状態。

私たちの中には、善良な部分も、邪悪な部分も両面ある。

私たちが、観察する事象に相対的に反応するだけの存在なら、そのどちらが出てくるかを統御することはできないだろう。それは反応だから。利己ではなく、利他と言ったところで、心の中の欲望を押さえつけてるだけでは持続しないだろう。しかし、私たちが、内省により、他者を断罪するようなことなく、自分も含めて人間にはその両面があることを理解した上で、それでも善良であるための絶対的な力をどのように引き出すか。

そこにたどり着くような人間観が必要だ。

コロナで会えない。それは、仕方ない。だから、人との距離が広がる?そうとは限らない。想像力を活かして、心を寄せることはできる。


繰り返すが、

「人間とは何か?」

「世界とは何か?」

「愛とは何か?」

「幸せとは何か?」

こうした問題への自分なりの理解は大切で、それらを、リアルな生活とのせめぎ合いの中で、常に更新していくことが大切だろう。

それは相手のためだけではない。自分自身の人生の豊さに直結する。


この夏休み、修行による覚醒とは違う、あたたかな、優しい、ゆたかな心の広がりを持つことができました。そして、二つのアニメは、ここにあげた多くの本以上の、情緒的学びをくれました。よかったら見てください。そして感情を共有いただけたら嬉しいです。

最後に。

昨日、いつもお世話になっている大切な方との対話で改めて気づいた。

人間が「ただ善なる存在である」と言うのはナイーブすぎる。両面あると。確かに。

それでも尚、善性を出現させる強い潜在的意志(Background Potential Force)は大切だ。それは、二律背反の二元性の世界ではなく、より大きな全体との調和と言う動的平衡(動的平衡とは二つの要素の弁証ではなく全体性だ)から出現する。この動的平衡とは、ここで言うと概念化された「善」と「悪」の二つを弁証するのではなく、それぞれが紐づいている全体性そのものから出現する力。それが潜勢力(Background Potential Force)だ。

今日は、8月15日

平和を想い、それでも、なお人間の善性に想いをよせて。

屬 健太郎






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