パパラッチ

まあわからないけど、よくわからんが、noteのおすすめに「自分さえ救えないのに他人を救えると思うな」って書いてる人がいて、まあ確かに一理あるが、まあでも一般には医者の不養生って言って、他人を救うのに自分を救う必要はないよなあ。みたいなコメントをしたら、なんか僕について調べられて、記事にされて、記事にするのはどうなんだろう。まあ決して、自分の表現の場を使ってまで俺の事書く事は間違いじゃないが、まあいいけどさ。こう、SNSが発達する前はタブロイドのパパラッチは表現の自由を武器というか盾にセレブを書き立てて、まあ俺、そういう人間でもないし、まあそれも昔は有名税って言われてて、俺たちが騒いでやってるんだからいいじゃないか。みたいな開き直りもあって、実際お騒がせな芸能人はそれでウケたりもしてて、だったんだが、SNSが発達して、個人で発信できるようになると、そのうまみもあんまりなくなってはいるし、まあ個人がわざわざ調べて、自分の発表の場で記事にするのもようわからんけど、まあでも今ってそういう時代らしくて、本人が目の前にいてもスマホで本人のサイト見たりするし、俺はしないけど、さだまさしはしてたが、なんか微妙に間違ってるっていうか、まあわからんけど、まあ無職で実家暮らしなのをいい歳こいてパパ、ママ言ってるんやろ。って宇多田ヒカルのぼくはくまじゃないんだから、知らんけど、あれはママ言うてたな。まあだけど、原文ママって使う事はあって、まあパパは言わんなあと思ってたけど、ポアンカレ予想解けずに死んだギリシャのパパなんちゃらとかパパラッチってあったなあと思ってタイトルにしてみた。まあ金だったら、生活困窮してる俺を救おうと100万くれたら、そいつは100万失うわけで、余裕感は要るかもだけど、そりゃあ見ず知らずの人に100万出すなら、まあだけど、この余裕感の事を言ってるのかな。自分を救う余裕もないのに他人を救おうとするな。できないだろ。ならわかるけど、アインシュタインは死んじゃったけど、アインシュタインの理論はまだ生きてるし、まあ人を救うかはわからんが、原子力なあ。まあコンセプトがわからん。って書いてて、なんやろそれ とは思ったけど、まあこう、ブログならいいけど、人の公的情報を記事にされるのはようわからんから、まあnoteに聞いてみたけど、まあいちいちってわけでもないが、こいつは有益だから記事にして良し。こいつはダメ。とかできるわけでもないしなあ。まあブログもmixiにはなんかあーだこーだ書かれたが。まあ、当たり前だけど、ネットって一面的だから、スーパーで野菜を買ってお金を払って、レジをお金ドロボーみたいに記事にする事もできるし、このよくわからん人の良心っていうかようわからんけど。民度でもないし、なんて言うのがいいんやろ。まあ基本は有益ならOK、有害ならNGで、あと人権的な話もあるけど、親が言うには地主と小作農がいたときに小作農がいつまで経っても豊かにならないから、地主の土地を小作農に与えた、って例があると言ってて、地主が土地を持ってる(権利保持者な)のに他人にあげるとかどういう事?とか思うけど、それがデモクラシー(民主主義)なんかな。まあ、俺は貧しい側だが。どっちかというと。勤労はえらい。そして報われるべきで、そうじゃないなら法律が間違ってる。って事なんだろうけど、確かに労働は美徳とされてるが。まあ僕は、僕のものは僕のもので、僕以外の人のものは僕以外のもので、僕のものはほとんどなくて、僕以外の人のものを勝手に取ったら怒られそうなので、音楽ならほぼただだから、音楽をアップしてはいるけど、収益にはなってないが、まあ音楽とか空気みたいなもんだしな。空気に金を払うバカはいないだろ。禅宗ポメラニアンさん(通称・吉沢)は煙草を吸うところの換気口を探したらしく、まあ空気清浄機にはお金払う人いるかもだけど(俺は特に必要に思った事はないけど、肺炎とか予防になるんやろか?)。

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