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新訳『1984』を読む (川端康雄)

 オーウェルの『一九八四年』(Nineteen Eighty-Four, 1949)の新訳が出たのでさっそく購入し、一読した。ジョージ・オーウェル『1984』(田内志文訳、角川文庫、2021 年)である。以下に「翻訳レビュー」を記す。ただし、一度読んだだけ(しかも一気読み)であり、以下で指摘する箇所をのぞけば、英語原文と細かく照らし合わせて吟味したわけではないので、本格的な評というよりは「感想文」に近いものであるということをまず断っておく。

 表紙カバーはシュルレアリスムの画家ルネ・マグリットの油彩画《男の息子》(Le fils de l’homme, 1956 年。《人の子》とも訳される)を使用している(冒頭の図版、右下を参照。カバーデザインは須田杏菜)。低い石壁、水色の海と曇り空を背景に、白シャツに赤橙のネクタイ、ディムグレイの山高帽にコートという出で立ちの男性が直立しているが、目鼻口が葉のついた青リンゴで覆われているので表情がほとんど見えない。オーウェルがマグリットに言及した文は見当たらず(サルバドール・ダリであれば批判的に論じたエッセイがあるが)、思想的にも直接のつながりはない。顔を隠した男というイメージで小説世界を暗示させようという意図であるのかもしれないが、はっきりとはわからない。なんだろうこれ、と思わせて、目を引くカバーデザインであるのはたしかだ。

タイトルの新機軸

 私にとってはカバー絵の選択以上にタイトルに注意を引かれた。表紙では横書きの算用(アラビア)数字で「1984」、背表紙は縦書きのやはり算用数字で「1984」としている。私の知るかぎりで邦訳としては(紙媒体の本としては)これが 4 種目であるが、正式な日本語タイトルをこうしたのは新機軸といえる。最初の吉田健一・龍口直太郎訳(文藝春秋新社)は表紙、背表紙、奥付とも「一九八四年」。ただし題扉は横書きで「1984」としている。その再刊本(省略版、出版協同社、1958年)では漢数字は使わずに「1984 年」で揃えている。2番目の新庄哲夫訳は、『世界SF全集 10』(早川書房、1968年)にハックスリイの『すばらしい新世界』と併せて収録された際には、奥付や箱の横書きでは「1984 年」だが、帯や目次など縦書きのところでは「一九八四年」と漢数字にしている。新庄訳でいちばん読まれたハヤカワ文庫版(1972 年)でも横書きは「1984年」、背表紙とタイトルページは縦書きで「一九八四年」としている。そのあと生頼範義が独特なブックデザインを手がけたハードカバー版の新庄訳(早川書房、1975 年)も同様である。3 番目の高橋和久訳(ハヤカワ epi 文庫、2009年)は『一九八四年[新訳版]』で、縦書きも横書きも変わらずにすべて漢数字で統一している。算用数字で「1984」として「年」を付けないで済ますというかたちは、日本語訳ではこれが初めてなのである。

 英語原文の初版(1949 年)のタイトルは英国版(セッカー・アンド・ウォーバーグ)も米国版(ハーコート、ブレイス)も Nineteen Eighty-Four: A Novel としている。これは作者オーウェル自身の意向が通されたかたちの題名であった。「ひとつの小説」という副題が付されているのはあまり知られていないことだろう。上で見たように、これまでの 4 種の邦訳がどれもこの副題はスルーしている。それはさておき、メインタイトルの年号を英字綴りでスペルアウトしたタイトルが正式なのであるけれども、アメリカではハードカバーの初版刊行後まもなく、ペーパーバックの廉価版が算用数字のタイトル「1984」で出された(シグネット版、ニュー・アメリカン・ライブラリー)。これは作者に断りなしにではなく、同意を得てのことである。タイトルを話題にしたオーウェルの以下の手紙(1949 年 1 月 17 日付、オーウェルの著作権代理人のレナード・ムーア宛)が参考になる。

私の新著が米国で出るのが決まり、嬉しく思っています。こちらとあちらでタイトルがちがってしまっても害はないだろうと思います。ウォーバーグは「1984」のほうが好みのようで、私自身もそちらのほうがちょっと好みかなとは思うのですが、“Nineteen Eighty-four”と書いたほうがよいと考えているのです(Warburg seems to prefer the title “1984”, & I think I prefer it slightly myself. But I think it would be better write it “Nineteen Eighty-four”)

 正式なタイトルの候補として、“Nineteen Eighty-four” と “1984” とがあって、後者が少し好みだが前者にするのが妥当だと考えると、微妙な言い方をしている。私見を述べるなら、算用数字にせずスペルアウトしたほうが「オールドスピーク」寄りになり、「ニュースピーク」を公用語とする世界を「オールドスピーク」で記述する、そのナラティヴに即していると思う。オーウェルが「“Nineteen Eighty-four”と書いたほうがよいと考えている」というのはそれが理由であると私は理解しているのだが、彼自身は算用数字のタイトルとするのにそれほどこだわりははなかったことがうかがえる。アメリカの廉価版の普及もあるし、邦訳版で「1984」とするのも、まあありなのだろう。

図版1

 この邦題にしたいちばんの狙いとして、村上春樹の『1Q84』(2009-10年)のタイトルに合わせたということがおそらくあるのだろう。村上の小説じたいがオーウェルの小説をふまえているわけだが、この小説のタイトルから『1984』というタイトルが一般には『一九八四年』よりもなじみ深いものになったと言える。新潮文庫版の『1Q84』と角川文庫版の『1984』を並べてみれば、よりつながりが深くなるように見えるだろう。タイトルの読み方について説明が見当たらないけれども、「年」を付けていないので、村上の小説とおなじく「いちきゅうはちよん」と読ませるつもりなのだろう。

図版+

リーダブルな訳文

 村上春樹との関連はタイトルにとどまるものではなく、私の感触では、この新訳は村上の文体を意識しているように思える。表紙カバーの裏の惹句には「圧倒的リーダビリティの新訳で堪能するディストピア小説の最高傑作」と記されている。本のなかの宣伝文句はそれこそ英語の “blurb” の語義にあるように、出版社自身がかなり「盛る」ものなので(私自身の本についても似たようなものだが)、「圧倒的」というのは大袈裟な気がしないでもないが、それでもたいへん読みやすい翻訳になっているということは断言できる。これが 4 番目の邦訳だということを最初に述べたが、「リーダビリティ」の順位をつけると、出版年の逆順になると思う。とりわけ会話文、それも主人公ウィンストン・スミスと恋人ジュリアの会話文はテンポがよい。以下は第二部第4章でチャリントン氏のがらくた屋(ジャンク・ショップ)の二階の部屋で逢い引きをしている場面(訳文の引用中、ルビは丸括弧に入れて示した。以下同様)――

「〔・・・〕レモンって何かしら」彼女はなんの脈絡もなく言った。「オレンジなら見たことあるんだけど。皮が厚くて丸い、黄色いやつよね」
「レモンなら憶(おぼ)えてるよ」ウィンストンが口を開いた。「五〇年代には普通にあったからね。死ぬほど酸っぱくて、においを嗅(か)いだだけでくらくらするんだよ」
 「あの絵の裏、絶対に虫がいるわね」ジュリアが言った。「いつか壁からはずして綺麗(きれい)にしてやるわ。さあ、そろそろ帰る時間だわ。メイクを落とさなくちゃ。ああもう、うんざり! 終わったら、あなたの顔についた口紅も取ってあげる」(227 頁)

この話しぶり、ジュリアが若くて潑溂としている。26歳の反逆的な女性にふさわしい。39 歳のウィンストンも感化されて若返ったかのようだ。その前の第二部第 2 章、田舎の戸外でのふたりの逢い引きの場面。ジュリアを思想警察の一味だと誤解していたことをウィンストンが告白すると、彼女は「嬉しそうに笑って」、こう言う。

「思想警察なわけないじゃない! 本気でそんなこと思ったの?」
「まあ、確信したっていうことじゃないさ。でも普段のようすじゃほら・・・・・・若く活(い)活(い)きしてて、健康的だからっていうだけなんだけど、なんていうか・・・・・・君はたぶん――」
「押しも押されもしない党員なんじゃないか、って思ったわけね。言うことなすこと根っからの党員なんだって。横断幕、行進、スローガン、ゲーム、共同ハイキング、ぜんぶ本気でやってるんだって。で、チャンスさえあればあなたを思想犯として告発して、殺させちゃおうとしてると思ったわけね?」
「まあ、そんな感じだね。ほら、そういう若い女の子はごろごろいるからね」
「それもこれも、こんなものがあるからよ」彼女はそう言うと、〈反性交青年連盟〉の深紅のサッシュをむしり取り、木の枝に放り投げた。(188 頁)

 こんな感じで、ドライブが効いていて、会話文でとくに訳者の若々しい感覚が発揮されている。イングソックの党員のユニフォームである「オーバーオール」(overalls)に「ツナギ」の訳語を与えたのもこの訳書が初めてのはずである。ウィンストンがちょっと若くなりすぎたかな、という気がしないでもないが、とっても読みやすい。若い読者たちには――いや、年齢を問わず、村上春樹の愛読者であれば――親しみやすい訳文であるにちがいない。

原文の「異常英語」パートをどう訳すか

 タイトルについて述べた際にふれたように、この小説世界では「ニュースピーク」(Newspeak)が公用語とされているのだが、それを語る英語は正真正銘の(「ニュースピーク語」で言う)「オールドスピーク」(Oldspeak)、つまり改変がなされる前の通常の近代英語である。付録の「ニュースピークの諸原理」によれば、「オールドスピーク」から「ニュースピーク」への完全移行は 2050 年となる見込みとされ(本当に「ニュースピーク」が完成するかどうかは怪しいのだが)、1984 年の物語世界ではじつは「オールドスピーク」なしでは物事が運ばない。そしてこの異常で奇怪な「ニュースピーク」の使用実態を記述する言葉がオーウェルならではの簡素平明な英語散文であることは、小説の重要なポイントである。
 翻訳者にとっては、「ニュースピーク」語(ならびにオセアニア国特有の固有名詞)の異様さのニュアンスをどう日本語で表現するかがこの作品特有のチャレンジとなる。つまり異様な言語使用であることを読者に意識させるような訳文にするという課題である。そうしたくだりではウィンストンとジュリアの会話のように「グルーヴ」のある訳文にはできない。たとえば第一部第 4 章、〈真実省〉のオフィスでウィンストンが昔の『タイムズ』紙の記事の改竄作業に取り組んでいるくだりで、作業の指示書きのひとつは原文でこうなっている。

times 3.12.83 reporting bb dayorder doubleplusungood refs unpersons rewrite fullwise upsub antefiling

この箇所の既訳 4 種の訳文を並べて見比べてみよう。

(吉田・龍口訳)タイムズ八三・一二・三 偉兄 日命 報道 大々不満 言及 不人 完全 書換 上提 綴込前(文藝春秋新社版、52 頁)
(新庄訳)タイムス 83・12・3 bb 日命 報道 極不可(ダブルプラスアングッド) 言及 非実在者 全面的リライト ファイル前 要上提(ハヤカワ文庫版、52 頁)
(高橋訳)タイムズ 83・12・3 bb勲功報道 倍超非良 言及 非在人間 全面方式書直 ファイル化前 上託(62 頁)
(田内訳)タイムズ 83・12・3 bb 偉勲報 倍加不良(ダブルプラスアングッド) 言及 否在人物(アンパーソン) 全面改定 ファイル化前 要上検(62 頁)

 付録の「ニュースピークの諸原理」で言えば、原文は「文学的目的や、政治的もしくは哲学的な議論に用いるのはまったく不可能」な、「単純で目的にかなった思考を言い表すことのみを意図」した「A語彙」(田内訳、462頁)、また「ごく短い語の中に概念そのものをまるまる包有し、同時に一般的な言葉よりも正確で強制的」な、「口頭で用いられる速記語」のような「B語彙」(田内訳、466 頁)が駆使されている。和訳の処理法としては漢字熟語(既存の熟語と「創作」熟語)を合わせて訳すというのが初訳からのパターンで、これは基本変わらないように見える(じっさい、これ以外のやり方はかなり難しそうだ)。それぞれの訳文に苦心の痕が見られる。典型的な「A語彙」である “doubleplusungood” を「倍加不良」と訳した田内訳は、この語の奇怪さを伝えきれないと見て「ダブルプラスアングッド」とルビをふる処理をしており、これは新庄訳も同様だが、田内訳はさらに ”unpersons“ の訳語「否在人物」にもルビをふっている。
 固有名詞の訳語も複数のオプションがありえて、その選択に訳者の解釈が反映されている。オセアニア国の 4 つの省のうち、“Ministry of Love (Miniluv)” と  “Ministry of Peace (Minipax)” は 4 種の邦訳ともそれぞれ〈愛情省〉〈平和省〉という訳語で揃っているが、“Ministry of Plenty (Miniplenty)” を田内訳は〈豊穣省〉と訳している(初訳と新庄訳は〈豊富省〉、高橋訳は〈潤沢省〉)。“Ministry of Truth (Minitrue)” は初訳、新庄訳、高橋訳とも〈真理省〉と訳していて、これが一般に流通しているように思われるが、田内訳はあえて〈真実省〉と訳してみせた。「真理」と「真実」、どちらにするか、難しいところだが、「普遍的に正しい道理」の意味合いが強い「真理」よりも、「虚偽ではない具体的な事実」のニュアンスをより強くもつ「真実」の省を僭称するほうが、公文書の廃棄、偽造、改竄を司るこの省の訳語としてはふさわしい――そう判断しての選択であろうかと推測する。
 この小説のなかの奇妙な用語の多くは、読んだことがない人もふくめて、刊行後およそ 70 年のあいだにかなり一般化し、当初の異化効果が薄れて、いわば「自然化」されてしまったと言えるのかもしれない。“doublethink” や “thoughtcrime (crimethink)” など、それぞれ〈二重思考〉〈思想犯罪〉と日本語にするとさらにいっそう現実世界でなじみ深いものとなってしまっているものだから(考えてみるとこれは恐ろしい事態であるわけだけれども)、それらの語が本来もつ違和感というか「異様感」がなかなか表現しにくくなってしまっている。田内訳は、新庄訳と同様に、〈二重思考〉に「ダブルシンク」とルビをふることでその「変」な語感を伝えようとつとめている。付録「ニュースピークの諸原理」はイングソックのそうしたグロテスクな言語の原理をアイロニーを込めて解説しており、この小説のなかでたいへん重要な役割を占める文章である。「本のなかの本」であるゴールドスタインの「少数独裁制集産主義の理論と実践」もそうだが、小説の本体とは異なるスタイルの英文テキストで、これも訳出にはかなり苦労したのにちがいないのだが、「異常英語」の正体について、「正気」を保つ人間の英語で皮肉たっぷりに解説した「ニュースピークの諸原理」を、理路整然と(狂気の「理路」をそれと分かるように)反訳しえているように思う。

ウィンストン・スミスの筆記用具

 さて、この新訳のなかにかなり重大な誤訳がひとつあるのを見つけたので、それを指摘しておかなければならない。それは筆記用具についてである。

 ウィンストン・スミスの反逆行為は日記を書き出すことで始まる。冒頭の章で、昼休みの時間に〈真実省〉からヴィクトリー・マンションの自室にもどったウィンストンは、テレスクリーンで捕捉されない部屋の一区画の机にむかい、以前にプロール街のがらくた屋で買い求めた未使用の古い日記帳を取り出す。これも新訳から引用するとこうである。

ウィンストンはペン軸にニブをはめると、舐(な)めて油分を取り除いた。万年筆は今や太古の道具であり、署名に使われることすらほとんどない。それでも彼が人目を忍び、少々苦労してまでこれを手に入れたのは、この美しきクリーム色の紙は、インク・ペンシルなどで書き散らされるのではなく本物のニブで書かれるべきだという、単純な想いゆえだった。その実、彼は手書きには不慣れである。ごく短いメモを別にすればすべて口述筆記機(スピークライト)に吹き込むのが普通なのだが、無論そんなものを日記をつけるのに使用することなどできはしない。彼は万年筆をインクにひたすと、しばし躊躇(ちゅうちょ)した。体の奥底に震えが走った。この紙に印を付けてしまえば、もう後戻りはできないのである。小さくぎくしゃくとした文字で、彼は書いた。

 一九八四年四月四日。(14 頁)

 端的に言えば、誤訳というのは「万年筆」という訳語である。この引用文の描写からだけでも、この筆記用具は万年筆でなくいわゆる「付けペン」であるのは明白である。万年筆であれば「ペン軸にニブをはめる」(fitted a nib into the penholder)とか「インクにひたす」(dipped the pen into the ink)という行為はまずありえない。万年筆の「ニブ」すなわち「ペン先」はあらかじめ「ペン軸」(ペン芯)にはめこまれているのだし、インクもあらかじめペン芯に充填されているからである。原文は  “pen” であって、“fountain pen” という表現はどこにも見られない。訳者は 1974 年生まれとのこと。物語世界ではすでに廃れた「古めかしい道具」(an archaic instrument)である付けペンだけでなく、万年筆もお使いになった経験がないのではあるまいか。両者ははっきり区別されるべきであり、ウィンストンが万年筆を使って日記を書くとなると、この場面の絵がかなりちがってくる(過去の 3 つの邦訳はいずれも「ペン」としている)。「万年筆」の訳語はこの翻訳のなかで都合 9 回出てくる。それらはすべて重版の際に(きっと重版されるだろうから)「ペン」と訂正されるべきであろう。

図版2

訳文の他の問題点

 田内訳を(一読したかぎりではあるが)読んで私が気づいた他の要修正箇所をいくつか指摘しておく(順不同)。

①第二部第 10 章でウィンストンとジュリアが捕縛される直前、ウィンストンが「プロレ」に未来への希望を託す想念を自由間接話法で述べているくだりで、「いずれ、彼らが目覚めるときがくる。たとえそれが千年先になろうとも、彼らはあらゆる困難を乗り越え、党が持たぬ、そして消し去ることもできぬ生命力を肉体から肉体へと伝えながら、生き抜いていくのである」(337 頁)と訳されているところ、「彼らはあらゆる困難を乗り越え〔・・・〕生き抜いていくのである」(they would stay alive against all the odds)に掛かる副詞句「鳥のように」(like birds)が訳文から抜け落ちてしまっている。その数行あとの「鳥は唄い、プロレは唄う。しかし党は唄わない」(337頁)につながる重要な句なので、これを抜かしてしまうのは具合が悪い。修正案:「彼らはあらゆる困難を乗り越え、鳥のように生き抜いていくのである」。

②第一部第 7 章でもウィンストンが「プロレ」たちの一生に思いを馳せるくだりがある。そこで「〔プロレたちは〕生を受け、貧民街で育ち、十二時に仕事に出かけ、美貌(びぼう)と性欲に満ちた刹那の花盛りを過ぎ、二十歳で結婚し、三十歳で中年期を迎え、ほとんどの者は六十歳で死んでいく」(112 頁)と訳された一文のなかで、「十二時に仕事に出かけ」の「十二時に」は、文脈からして「十二歳で」とするべきだろう(原文は “They went to work at twelve”)。修正案:「十二歳で働きはじめ」。

③おなじく第一部第 7 章、ウィンストンの〈栗の木カフェ〉での回想のくだりで、「テレスクリーンからは小さな音で音楽が漏れてきていた」(120頁)と訳されているところ、原文は “A tinny music was trickling from the telescreens” となっていて、「小さな音で」にあたる原文はない。おそらく“tinny”(耳障りな、金属製の)を “tiny” と読み間違えてしまったのだろう。修正案:「テレスクリーンからは耳障りな音楽が漏れてきていた」。

④第一部第 2 章、ウィンストンがミセス・パーソンズに請われてキッチンの流しの修理をしに行ったとき、パーソンズ家の室内の描写で「破れたホットボール」(35 頁)とあるのが何だろうと思い原文にあたったところ、「破れたフットボール」(burst football)の誤記なのだった。

 最後のは校正で見落とされたケアレスミスに過ぎないものだが、以上、重版の際に訂正されたらよいと思われる箇所のみを列挙した。最初に述べたように、これまでの邦訳と比べて格段にリーダブルな訳文になっているのはたしかだが、指摘したレベルの誤訳はハヤカワ epi 文庫版の高橋和久訳のほうには見当たらないので、訳文の正確さという点では高橋訳のほうがすぐれているように思う。

「大きな栗の木の下で」

 新訳の誤訳を指摘して先行訳のほうがよい、という結論で結ぶのは、どう見ても悪趣味であるし、私の本意ではない。最後に田内訳で感心したもうひとつの細部を取り上げてみたい。

 いま指摘した④の〈栗の木カフェ〉のくだり(第一部第 7 章)では、もとイングソック党の幹部であったが失脚して捕縛され、拷問を受け洗脳されて廃人同様となった 3 人の男(ジョーンズ、アーロンソン、ラザフォード)をウィンストンが目撃した記憶が語られている。その段落全文の田内訳を以下に引用する。

 あまり人けのない、十五時のことだった。そんな時間になぜあのカフェに行ったのか、今やウィンストンにも思い出せなかった。店にはほとんど客がいなかった。テレスクリーンからは小さな音で音楽が漏れてきていた。三人はほとんど身じろぎもせず、無言のまま隅の席にかけていた。注文されたわけでもなかったが、ウェイターがジンのおかわりを運んできた。となりのテーブルにはチェス盤がひとつ置かれており、駒も並べられていたが、誰も手を付けなかった。と、そのときおよそ三十秒ほどであろうか、テレスクリーン上で何かが起こった。かかっていた曲が変わり、まったく違う曲調のものが流れはじめたのだ。流れだしたのは――なんとも説明しがたい曲であった。奇妙で、耳障りで、けたたましく、人をおちょくるような曲調だった。ウィンストンは胸の中で、黄色い音楽と名付けた。そのとき、テレスクリーンから歌声が流れはじめた。

 大きな栗の木の下で
 あたしとあなたは裏切り合った
 あいつらはあっちでごろり、あたしたちはこっちでごろり
 大きな栗の木の下で

三人は、ぴくりとも動かなかった。だがウィンストンがもう一度ラザフォードのぼろぼろの顔を見ると、両目いっぱいに涙を浮かべていた。そのとき彼は――体の奥底が震えに襲われ、しかし何に震えているのかもわからないままに――アーロンソンとラザフォードの鼻がそろって折れているのに気づいたのだった。(120-121 頁。訳書では最後のセンテンスの「何に」に傍点が付されている)

 「小さな音」の訳文についてはいま見たとおりであるが、それ以外の訳文については申し分ない。この回想部分はウィンストンには不安をかきたてる忌まわしい思い出で、それは第二部の終わり近くでの彼自身とジュリアの運命を予兆するものであったことがのちに分かる。最終章で〈栗の木カフェ〉にいるウィンストンは、この歌が今度は彼のためにテレスクリーンから流れるのを聞くことになるのだ(451 頁)。「奇妙で、耳障りで、けたたましく、人をおちょくるような曲調だった」(It was a peculiar, cracked, braying, jeering note)と訳されたところなど秀逸だと思う。そしてなによりも、歌詞の訳文に工夫が見られ、たいへん感心した。原文はこうなっている。

Under the spreading chestnut tree
I sold you and you sold me:
There lie they, and here lie we
Under the spreading chestnut tree.

 田内訳をこれまでの日本語訳と比べてみよう。

(吉田・龍口訳)枝のひろがつた栗の木の下で/私はお前を、お前は私を売つた。/かれらはあちらに、わしらはこちらに横たわる/枝のひろがつた栗の木の下に。
(新庄訳)生い茂る栗の木の下で/俺はお前を売り、お前は俺を売った、/奴らはあそこに横たわり、俺たちはここに横たわる/生い茂る栗の木の下で。
(高橋訳)おおきな栗の木の下で―/あーなーたーとーわーたーしー/なーかーよーくー裏切ったー/おおきな栗の木の下でー

 それぞれに工夫をこらした訳文である。とくに高橋訳は、英語の童謡で日本にも第二次大戦後に紹介され日本語の歌詞(翻案)で人口に膾炙した歌をふまえ、そのメロディに乗るように訳が付けられている。童謡の原詩は、ヴァリアントがいろいろあるが、ひとつのヴァージョンでは、“Under the spreading chestnut tree, / There we sit, both you and me. / Oh, how happy we will be! / Under the spreading chestnut tree”となっている。
ただし、オーウェルが〈栗の木カフェ〉でテレスクリーンから流れる曲のもと歌としたのは、むしろ 1938 年から翌年にかけて社交ダンス用の曲として大流行したジャズヴァージョンの「栗の木」(“The Chestnut Tree” 作詞・作曲:ジミー・ケネディ、トミー・コナー、ハミルトン・ケネディ)であったように思われる(これじたい童謡をもとにしているのだが)。イギリスのミュージシャンであるアイヴァー・カーチンの楽団が演奏し、フレッド・ダグラスが唄った1938 年 10 月録音のレコード版の音源では、出だしはこうなっている。

Underneath the spreading chestnut tree
I loved her and she loved me.
There she used to sit upon my knee
’Neath the spreading chestnut tree.
(枝の広がる栗の木の下で/おいらはあの子を愛し、あの子はおいらを愛した。/あそこであの子はおいらの膝に腰を下ろしていたものさ、/枝の広がる栗の木の下で)

おなじ曲を英国のジャック・ヒルトン楽団アンブローズ楽団、また米国のグレン・ミラー楽団も同時期にカバーしている。イギリスのピアニスト・ダンス研究者ジョナサン・スティルによれば、この曲で踊る「栗の木ダンス」(The Chestnut Tree Dance)は「イギリスのダンスの歴史のなかで一風変わった代物」(a bizarre bit of British dance history)だと言う(Jonathan Still, “Inventing Tradition: The Chestnet Tree Dance”)。当時「ロカルノ」(イギリスのダンスホールチェーン)の興行主であったC・L・ハイマンがこの流行の仕掛け人であったとされる。これが「輸出」されてアメリカでも流行したことが「英国の輸出品――栗の木」(England Exports: The Chestnut Tree)と題する1939年のパテのニュース映画に残されている。

図版3

 オーウェルの趣味からして、ジャズの歌曲は好みでなく、この曲もおそらくむしろ不快に思っていた(まさに「奇妙で、耳障りで、けたたましく、人をおちょくる」ような、「黄色い音楽」だと思っていた)と推測されるのだが、これがラジオから、あるいはロンドンの街角のカフェなどで流れていて、耳にこびりついて離れなくなったのではないだろうか。上記ジャズ歌曲版の歌詞をふまえて、その 2-3 行目の “I loved her and she loved me / There she used to sit upon my knee”(おいらはあの子を愛し、あの子はおいらを愛した。/あそこであの子はおいらの膝に腰を下ろしていたものさ)を『1984』版では “I sold you and you sold me: / There lie they, and here lie we”と一種パロディ的な替え歌にしているのが分かるだろう。

 ここでやっかいなのは、3行目に二度出てくる “lie” をどう訳すかである。というのは、この動詞(ここは倒置文で主語はそれぞれ “they” と “we”)は、「〈栗の木カフェ〉ヴァージョン」らしく、「横たわる、寝る」という語義(「恋人たちが愛を交わす」と同時に「埋葬されている」の含意もあるだろう)と、「嘘をつく」(「恋人たちが裏切り合う」を含意する)の語義の両方を含ませていると思われるからだ。吉田・龍口訳も新庄訳も「横たわる」だけを訳文で伝えていて、「嘘をつく」のニュアンスはかけらもない。高橋訳は、童謡のメロディで歌えるように工夫した訳文として整えることを優先していて(その選択じたいは間違っていないのだが)、原詞の3行目は端折っているか、あるいは「なーかーよーくー裏切ったー」でまとめているとすれば、「横たわる」の語義はほぼ捨象している。それに対して、田内訳は「あいつらはあっちでごろり、あたしたちはこっちでごろり」と、“lie”に「ごろり」という訳語を付けている。高橋訳のような歌える訳詞にすることは断念せざるをえないが、そうすることで「横たわる」「寝る」の意に、「寝返る」、「転向する」、「裏切る」の含意をもたせることができているように思う。それで「ごろり」の訳語は絶妙な選択だと感心したのだった。

 なお、「あたし(たち)」という代名詞にしていることから、田内訳はここでの歌い手を女性と解していることがうかがえる。たしかにその解釈もありで、隠れた主体としてジュリアをイメージすることもできるわけであるが、「黄色い音」(a yellow note)という英語の形容辞は必ずしも女性ヴォーカルを意味せず、男性であってもよいのではないか(むしろ男性かな)と私は思う。ちなみに上記の「栗の木」の 4 つのヴァージョンでは、アイヴァー・カーチン楽団版、ジャック・ヒルトン楽団版、アンブローズ楽団版の 3 つが男性ヴォーカル(歌手はそれぞれフレッド・ダグラス、サム・ブラウン、レズリー・カルー)、グレン・ミラー楽団版が女性ヴォーカル(歌手はマリオン・ハットン)になっている。グレン・ミラー楽団版は、英語の歌謡曲の流儀で、恋する相手を示す代名詞(三人称単数)は男性形に変えられている。「〈栗の木カフェ〉ヴァージョン」は代名詞に「彼」も「彼女」も使われていないので区別がつかない。

 以上、新訳版『1984』を読んで気づいたことを書いてみた。指摘したような問題点もあるとはいえ、ドライブの効いたこの訳文で私はオーウェルの物語世界に再度引き込まれ、その周到な語りのうまさを改めて堪能し、また物語世界と現代世界とのつながりについて再考させられた。その点で有益な読書だったので、訳者と版元に感謝したい。

 長くなりついでに最後に贅言を弄するならば、現代風の軽快で読みやすい訳文のなかに、「そんな須臾(しゅゆ)が訪れると」(25 頁)のように、「須臾」という古風な語がルビ付きで何度か出てくる。現代小説に百年前の鷗外や芥川のタッチが加えられたような、一瞬、不思議な雰囲気が醸し出されたようで、ちょっとマニアックなこういう訳語の使用法が私は嫌いではない。

《著者紹介》
川端康雄(かわばた やすお) 
1955年生まれ。日本女子大学教授。
専門はイギリス文学・文化。
著書に『ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌』(岩波新書)、『ウィリアム・モリスの遺したもの――デザイン・社会主義・手しごと・文学』(岩波書店)、『葉蘭をめぐる冒険――イギリス文化・文学論』(みすず書房)など、共著に『文化と社会を読む 批評キーワード辞典』(研究社)、『愛と戦いのイギリス文化史 1951-2010年』(慶應義塾大学出版会)など、翻訳に『動物農場――おとぎばなし』(岩波文庫)など多数。
近刊に『増補 オーウェルのマザー・グース――歌の力、語りの力』(岩波現代文庫)がある。


オーウェルの文章のエッセンスは研究社刊『英文をいかに読むか』(朱牟田夏雄著)でも味わうことができます。


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