実業家芸人
高校のときから同級生とコンビを組み、
文化祭などでネタを披露していた。
高校卒業後もコンビを継続。
プロのお笑い芸人として活動を続けることになった。
ネタ番組などに多く出演し、
若い女性から高い人気を得ていたが、
26歳のとき、
相方が一般企業に就職することになり、
コンビは解散。
以降はピン芸人として活動することになる。
大阪の劇場を中心に活動する一方で、
他のピン芸人2人と共にM-1グランプリにも出場。
結果は3回戦敗退。
(時間切れによる強制終了)
ほぼ時を同じくして、
義母が経営していた飲食店の経営を引き継ぎ、
焼肉屋をオープン。
店の看板のロゴは後輩芸人の野性爆弾・くっきー!にデザインを依頼した。
この頃から「実業家芸人」のイメージが定着し始める。
翌年には2号店をオープン。
その翌年には3号店をオープン。
同期や後輩の芸人達にイジられながらも事業を拡大していき、プロボクサーの試合のスポンサーにもついた。
その後も、
駅構内のフードコートと空港にカレー店を出店。
さらに、自動車の販売・買取・整備を行う会社の設立した。
実業家として大きく飛躍していく一方で、
芸人としても関西ローカルのレギュラー番組を多数抱え、多忙な日々を送っている。
彼の名前は、
たむらけんじ
以上、「実業家芸人」でした。
※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。
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