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溶接工から相方へ


愛媛県で生まれた彼は、
母親を早くに亡くし、
父親も体調が悪かったため生活保護を受けていた。
 
 
中学卒業後、
親戚の伝で広島に移り住んだ。
高校は定時制に通いながら溶接工として働いていた。
  
   
本当はお笑い芸人になりたかったが、
父親に反対されていたため、
親孝行のために高校を卒業してからも溶接工として働いていた。
 
 
しかし、父親が亡くなり、
兄から「好きなことをやれ」と許可を貰い、
憧れの明石家さんまがいる吉本興業に入るために大阪に向かった。
 
 
吉本での面接の際、
面接官から「君は何ができる?」と聞かれ、
「溶接です」と答えた。
 
    
吉本入りして初めて与えられた仕事は、
「劇場の手すりの溶接」だった。
     
      
その後は吉本所属の漫談家に弟子入り。
   
全国ネットのテレビデビューを果たすと、
ギャグを売りにするギャグ芸人の代表格として活躍。
    

彼の名前は全国に広がっていった。
 
 
今では、かつての憧れた明石家さんまの相方のような存在になり、
ラジオのレギュラー番組をはじめ数多くの番組で共演している。
 
 

彼の名前は、

 
 
 
 
村上ショージ

以上、「溶接工から相方へ」でした。

※この記事は彼の半生の極一部を抜粋して書いたものです。

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