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十九作目 菓子と紅茶とモーツァルト 第四回百合文芸小説コンテスト応募作  一

一 舞姫

散乱する花々の上を、ひとりの女が踊る。
 フィガロの結婚に合わせて、ファーストフラッシュの香りを振りまいて。
 その姿は自由。身に纏う物もない、まるで月夜の妖精のよう。
 白肌は暗闇の中でただ輝き。
 月明かりがその純な桃色の女らしさを見せる。
 足には赤い靴。
 鮮血のような紅色は、乾いた花々を踏み荒らしていく。
 それは私の記憶。過去の女たち。
 無邪気な表情は、私に甘えていた頃のミルクの香りのする君と変わらない。
 そう、あの頃の始まりの君と。

 二 とある女のメリエンダ
 
 近所で自宅教室をやっている寧々さん。彼女の家からはいつも甘い香りがして。それにつられてふらふらと入っていったのが運の尽きだった。お腹が空いていたのだ。バイト代も尽きた。それから私は、彼女という人間に取り入られてしまった。
「こんにちは。助かるわ。ほら、愛(あい)花(か)。由(ゆ)那(な)ちゃんが来てくれたわよ」
「ゆぁー」
「こんにちは。愛花ちゃん」
「にちあー」
 初めはただの生徒と先生の関係だった。
 ただ、娘さんが時々ぐずるのをなんとなくあやしていたら。懐かれてしまった。
 そして、私は毎回呼ばれるようになった、というわけだ。
 会社員でもなければ特段やることのないコンビニバイト。
 毎回出席となった。
 私自身、将来保母さんにでもなろうかと思っていたから、この生活は苦ではい。
 いや、諦めた夢を取り戻してもらったようなものだ。
 私は既に人生を失敗したフリーターなのだ。
 信用してもらえるだけでもありがたい。
 生意気な子供の相手は実習でこりごりだ。
 愛花ちゃんのようにおとなしい子がいい。
「はぁい。今日は、SNSで人気の『だっこクッキー』をつくりましょう」
 生徒に作り方を教えていく寧々さん。
 愛花ちゃんはいつもの大泣きが嘘のように私に抱っこされて眠っている。
 私が来るといつもおとなしいので分からないが、けっこうぐずる子らしい。
「助かるわ」
「あぁ、いえ。大丈夫です」
「私、この子に嫌われてるみたい。最近ぐずりがひどくなって……」
「そんなことないですよ。ママには思いっきり甘えたいんでしょう。気を遣わずに」
「そうかしら……」
「そうですよ」
「そう思っておくわ……はぁーい。あ、生地が薄すぎるとおててが離れてしまいますよ」
「あとどれくらいですか」
「1時間くらいかしら」
「じゃあ、そのように寝かしつけておきますね」
「えぇ。ありがとう」
 愛花ちゃんの癖はもうわかっている。深い眠りになると3時間ほど起きない。教室が終わって、寧々さんとのふたりきりの時間を過ごすためにはまだ眠ってもらっては困る。本格的に寝てしまう前に、愛花ちゃんに声をかける。私が彼女の名を呼ぶと。うれしそうにほほえんでくれる。
 タブレットで、愛花ちゃんの大好きなファニーフレンズというアニメを見る。舌足らずな話し方で、フレンズたちのマネをする。それに対して相槌を打って。驚いて。ちょっとしたクイズを出してあげる。手慣れたもので、愛花ちゃんは夢中になってくれている。
 時々、早めに作り終えた奥さん方がふらっとこちらに来ては私と愛花ちゃんを愛でていく。この空間で私は、必要とされている感じがして。とても心が満たされる。
 しかし、その平穏はひとりの女性によって歯車を狂わせられようとしていた。
「ねぇ。由那ちゃんは恋人とかいるのかしら」
「いませんよ。どうしたんですか、笹野さん」
「あなたみたいなかわいい子だったら。恋人のひとりやふたり、ね」
「はは。そんなわけないですよ。家とここの往復ですよ? 出会いなんてあるはずない」
「あるじゃない。ここに」
「え……」
「旦那がいい茶葉を買ってきたの。あなたの大好きなダージリン。ごいっしょしない?」
「えっと……どうして私が好きだと?」
「あなたみたいな女性には、シンプルなダージリンが似合うもの」
「5時までなんです。ディナーの紅茶は眠れなくなってしまいますよ。奥さんのお肌に悪いです」
「あら。眠れなくなるように、誘っているつもりなのだけど」
「あぁ。そういうこと。回りくどいな。初めからそう言ってよ」
「今日ね、旦那がいないの。娘とデートだから」
「そうなんですね」
「住所。渡しておくわ。気が向いたら、いらっしゃいな」
「考えておきます」
「ふふっ」
「……美咲さん」
「あら、寧々さん。早く出来上がってしまったからおしゃべりしてたの」
「あまり、この子にちょっかいを出さないで」
「いいじゃないの。寧々さんのものっていうわけじゃ、ないでしょう?」
「まぁ、そうですが……」
「それとも、紅茶とお菓子のような甘い関係なのかしら」
「……お片付け。手伝っていただいても?」
「ふふっ。はぁい」
 私のなにがいいのか。いまいち自分では計りかねているわけで。
 大方、有閑マダムが若い子と火遊びがしたい。
 ただそれだけなのだろうと思うにとどめる。自惚れは破滅を生むから。
 メモを見る。しかし、ここから数分。しかも帰りの道中。なんて都合がいい。
 それに、いい茶葉と言われたらお呼ばれしてもいいかな。
 なんて思っていたら、寧々さんと目があった。手を振る。
 少し、むっとした表情。あぁ。今日は激しそうだ。
 教室が終わった後は、普段。愛花ちゃんを寝かしつけて片付けを手伝う。
 けど今日は、片付けは後回し。
 夜、旦那と眠るベッドの上で彼女の肌に染み込んだ、甘いクッキーの匂いを堪能する。
 いつもなら甘く、なめらかな時間。今日は少し、肌がヒリついた。
「今日は激しかったね」
「そんなことありません……」
「怒ってる」
「いいえ」
「うそ。不機嫌」
「誰かさんが鼻の下を伸ばしてるからです」
「そんな。寧々さん以外に色目は使ってないよ」
「私のはしたないバストに飽きちゃった?」
「そんなことないってば。寧々さんのは柔らかくて気持ちいよ。そりゃあ、笹野さんはキレイな形してそうだけど」
「やっぱり。いやらしい目で見てたわね。あなた、口説かれてたのよ」
「ディナーに呼ばれてるだけだよ」
「行くの」
「迷ってる」
「行かない。とは言ってくれないのね」
「嘘はつきたくない」
「浮気はするくせに」
「最後は戻ってくるよ」
「ずっと私のものでいてほしいのに」
「だったら、旦那さんと別れないと」
「ずるいわ……そんなの。愛花のために、できるわけないじゃない」
「そうだね。でも私だって、たった1時間そこらじゃ満たされない時はあるよ」
「仕方ないじゃない……旦那にバレたら、あなたといられなくなるの」
「だから、我慢するんだってば。お互いに」
「はぁ、悪い人……」
「もともと、そういう話だったじゃん。大丈夫、笹野さんは寧々さんの足りなかった部分を埋めてもらうだけだよ。あくまで寧々さんのおまけ」
「ほんとう?」
「うん。私がいちばん好きなのは、寧々さんだから」
「信じてる」
「うん。私も」
 そう、私も。信じていたかった。
 笹野さんはそれはそれはかわいらしいネグリジェ姿だった。

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