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#13 意識が低いのではなく、慣れきっている。という視点

どうも。

防災ライフスタイルブランド「+maffs」中の人。

北里 憲です。

初めてご覧いただく方は、是非こちらも合わせてお読みください。

さて、今日は先日チームメンバーの清水がClubHouseで某市の首長さんと話したという内容から考えたこと。

そのルームでの話で、「日本人の防災意識」について議論になったそう。

結構有名な首長さんに、なんのバイアスもかからず、凸れるのが彼女の伝家の宝刀。そんな彼女とClubHouseの相性はエグいよなぁと思ってます。
#いい意味で

と、それはおいといて。

いつも通り、清水は生活者の低い 防災意識に変化を与えるために、「防災をライフスタイルに」することが必要なんじゃないかという話をしたんだそう。

それ自体には、否定的な意見ではなくて、共感をもらった一方で、「日本人は世界で最も、災害に対して慣れている国民なのではないか」という意見をもらったという。

これ、一応補足しておくと、良し悪しという話ではなくて、過去の状況から鑑みた場合の事実として仰ってると思います。

僕はこの話を聞いて、眼から鱗だった。

災害大国ここ日本においては、大きな被害を出す規模の地震が、大雨や台風による水害が起こることは日常的なことになっいて、それ故に、災害から復旧・復興すると言うことも数多く見ている。

だからこそ、「意識が低い」ではなくて、「慣れ(きって)ている」のだと。

僕は「慣れている」ということの弊害を「正しく被害想定ができない」と翻訳した。意識が低いものは、何かの取組や、きっかけによって、上げることができるかもしれない。でも、「慣れる」という不可逆的な現象に変化を与えるというのはどうできるだろうか。

「慣れている」=「恐れない」・「楽天的」=「変化しない」

コロナに「慣れ」、「共生」することを不可逆的な変化の意味を込めて、ニューノーマルと呼んだわけだけど、仮に現在の日本の状況が大規模災害後のニューノーマル状態なのだとすれば、災害に見舞われることと共生することを受け入れるということになるのだろうか・・・。

この「慣れ」については、もう少し考えてみようと思う。

今日はこの辺で。

最後まで読んでくれてありがとう。

また明日。

防災をライフスタイルに。



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