自分のからだを知る
こんにちわ。
@osamu036110です。
ふだん、あたり前に使っている自分のからだ。
手が動き、足が動き、お腹がすき、眠くなる。当たり前にいつも使う。
まわりの人と、自分の体型や顔などを比較したりしがちですが、あらためて自分のからだを自由に使えてるのは、あたり前ではないんですね。
他在という
そもそも、人間は一人では存在できないので、他人という存在、他在という概念が必要になる。そんなことを、ユダヤ人大量虐殺のアウシュビッツ強制収容所を経験した、心理学者のフランクルは言っている。
フランクルの著書 :「夜と霧」
ものすごい状況下で生きてこられたフランクルだからこそ、言葉に重みがあり、読んだ時に感銘を受ける。相手の存在の意味を深く理解しようとする。
それが、何かを失ったり、苦しい状況を体験すると、そのありがたみを再認識するが、それをかみしめて行く事はなく、次第に薄れていき、いつもの日常で、自分のからだをあたりまえに使っている毎日になっている。
そのうち、違う視点で他人の存在が気になり、比較をして、あの人よりもと、あたり前にある自分のからだの存在を認識しなくなったりしている。
自分のからだをねぎらってみる
普段からあたりまえに使っている自分のからだ、当たり前のように言うことを聞いてくれている自分のからだに、意識的に敬意をはらってみる。
目が見えていること
においがする鼻を感じること
パソコン作業をしている自分の手や指
行きたいところに歩いてくれている足
ブログに何を書こうかと考えている頭
こう書いていると、自分のからだには、たくさん意識せずに使っているパーツがたくさんあることに気付かされる。あたり前に、無意識に使ってる。
まずは、自分のからだをよく知る
そして、自分の体を大事に使わせてもらう。
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