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武士道に生きた武人 平手政秀

#武道に学ぶキャリア形成  7

平手 政秀(ひらて まさひで)をご存知ですか?

日本人で戦国時代の武将「織田信長」を知らない人はいないでしょうが、平手政秀をご存知の方は、それほど多くないのではないでしょうか

平手政秀は、幼少期の信長を支え、斎藤道三の娘と信長の結婚を成立させた人物として知られています

平田政秀は、織田信長の父、信秀の懐刀として二番目の家老の座にありました。

信長が奇行を繰り返し、父の葬儀の席でも非常識なふるまいをしでかしたことは、よく知られるところですが、その背後のドラマはあまり知られるところではありません

平田政秀は、信長が不真面目なままでいるのを気に病み、指導しても効果がないので生きていても仕方がないと切腹したとの記述が「信長公記」に記載されているそうです

平田政秀の遺書には、

「わがままばかりで礼儀をわきまえないのは、ご先祖様に対する不幸というもの、心を正しく、よく人を観察し、文武両道に励んでください」

と書かれていたそうです<甫庵信長記>

これを読んだ信長は、家に引きこもって政秀の死を嘆き悲しみました。

このあと、信長は天下布武へと邁進し、のちに政秀の霊を弔うため、政秀寺を建立したのでした

政秀の命をかけた諫言(かんげん)は、無駄にならなかった

そう思いたいところです

政秀の死が、信長にどのような影響を与えたのかは定かでありませんが、人は時として、大きく変わり、大事を成し遂げることがあります

人は、何かのきっかけがあれば、大きく変わることが出来る存在なのです

発達・転機に関する理論を研究したブリッジズは、トランジション理論の中で以下のように言いました

転機は何かが終わるときにはじまる

信長にとっては、自分を守ってくれていた存在が自分のせいで、この世から姿を消すことになったのが、大きな転機になったのかもしれません

私たちキャリアコンサルタントは、相談者さんの気持ちに寄り添い、もし、変わりたいという気持ちを相談者さんが持っているなら、相談者さんの転機を見守り、混乱や苦悩の時期(中立期)を経て、新しい始まりへ至るまでの物事の整理をお手伝いできる存在でありたいものです

そんなことを考えました


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