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中動態のモチベーション

昨年の大学院の授業で『中動態』という考え方を知りました。
能動態でもなく受動態でもなく、何かに突き動かされて動き出す時が私たちにはあると思います。そんな状態が中動態なのかなと今は理解しています。

こちらの記事を読んだとき、中動態の概念を思い出しまた。
中動態についてはしっかり文献、書籍を読み、消化したわけではないので、突っ込みをたくさんもらいそうですが、それでもここで書かせていただくのは、私たちの日常は案外「何かに突き動かされたとき」に、まるで自分の意志がそこで生まれたかのように感じて、「自主的に」とか「主体的に」と思い込んで行動しているのかもしれないということを思ったからです。

「やらなきゃいけないのなら、自分がやる」

状況や誰かに押されて自ら動き出すときというのがあったりしませんか。
それは「~させられた」という受動態ではなく、「だから、私は動いた」というのは自身の動機、行動のきっかけとして意外に多いと思うのです。
それでいいじゃないですか。
それくらい、人は社会や人々の間で相互に影響し合って生きている。

「止むに止まれず」-人はそのようにして動き出すこともある。能動態でもなく、受動態でもない。「する」「される」のような支配-被支配の関係ではない、連帯と協働の世界観に通じていくものではないかと感じます。そしてそれは利他の志でもあると思います。

だからこそ、Advocacy(発信)が大切じゃないかと思ったりもします。Advocacyは誰かに何かを要求するような行動とも少し違って、「想い」が伝わって関係性に影響を与える。Advocate(発信)されたStoryを聴いて、突き動かされる自分がいる。突き動かされていく人々が生まれていく。

ゼロから始まる、そんな自ら意志を持ったように思えても、実のところ、それは何かに、誰かの想いに、突き動かされて生まれたものなのかもしれません。それでも、自身が動き出すきっかけになるなら、それで十分。それこそがモチベーションの正体ではないかと思うと、人はたまには互いの「想い」をAdvocate(発信)することが大切なんじゃないかと思うのです。

そういう関係性の中で人々は生きている。

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