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労働力希少社会での賃金はどう動くのか

勿凝学問415

最頻値、中位値、平均値


市場による所得分配が元々,右にすそ野が広がるように歪んでいるために,初めから中低所得層が多く高所得層の方が少ない.

『もっと気になる社会保障』248頁

つまり、市場が所得を分配すると、次の図のような分布になる(右の裾野を右に引っ張った分布を右に歪むと言う)。

このように、右に歪んだ分布の下では、左から、最頻値(mode)、中位値(median)、平均値(mean)の順番に並ぶ。そして、この分布の時に、平均値で話をすると、その左側にいる圧倒的多くの人たちは大いに驚く――2019年の2000万円大騒動の時をおもいだせば想像できるはず。
驚かせて、騒動をおこすことを目的としていない限り、報道のあり方は工夫をした方がいいのかもしれない。なお、社会保険料は、賃金に比例保険料率を掛けて、労働者と使用者が労使折半で負担する――よく、社会保険は逆進的と言われるが、たとえば、公的医療保険の標準報酬月額の上限は139万円である。つまりほとんど所得比例で負担される社会保険料を、平均額はいくらと話をされても、何を言いたいのか、僕らにはよくわからない。中には定額負担、人頭払いと思う人もいるようで、いつもながら、初動の誤解は、伝言ゲームの力も借りて、底なし沼になっていく。

はじまった財源話


ところで、こども・子育て政策の財源をどうするかが、こども未来戦略会議で議論されたりしている。どうなることやら。5月22日の第4回会議に提出した、当日の資料9「第4回こども未来戦略会議への意見書」に書いていたように、「少子化の原因であり、かつ少子化緩和の便益を受ける既存の医療、介護、年金保険などの社会保険制度の活用」を、これまで長く言ってきた。社会保険制度の費用負担は、労使折半である。このことについては、第3回会議(5月17日)で次のように発言している。

ビスマルク社会保険のロジックと現在


権丈構成員 今回、資料6で総理が社会保険について触れられている箇所がありました。

第2回こども未来戦略会議 議事録

周知のように、社会保険は、ドイツ帝国のビスマルク社会保険からはじまります。そこでは、労使折半という負担のルールが作られました。その時の理由づけは、資本主義から最も利益を得ているのは経済界だ、だから資本主義の存続に不可欠な労働者の生活を守るために、企業も折半で負担するようにというロジックでした。

ビスマルクの時代のロジックに加えて、今は、人口減少は、将来の労働力のみならず、未来の消費、投資需要の縮小をもたらすのであるから、という理由があるかと思いますが、これは経済界全体のマクロの観点からみた場合に問題を意識するという「合成の誤謬」の話であって、日々の企業経営というミクロの観点からはやはり、そうは言っても労使折半には反対したいということになるかと思います。

18世紀後半にビスマルク社会保険制度が成立して以降、社会の安定性と発展に貢献する合理性が広く確認されて、社会保険は世界に普及していきました。しかしこれまで、使用者が労使折半を進んで支持した話はきいたことありません。

「合成の誤謬」の問題を解決するには、社会の持続性に向けた確固たるビジョンを持った政治の力が必要になります。そして、社会全体で子育てを支えるという理念の下に、昨年の骨太およびそれに沿った全世代型社会保障構築会議の報告書にある「企業を含め社会・経済の参加者全員が連帯し、公平な立場で、広く負担していく新たな枠組み」を考える際には、施政方針演説で触れられていた社会保険の仕組みを視野に入れるのは十分にありうるのかと思います。

第2回こども未来戦略会議 議事録

労使折半とは

社会保険の仕組みのもとでは、費用負担は労使折半になる。ゆえに、事業主負担を負うことになる使用者は、この方式には反対する。


現時点では、「賃上げのモメンタムに水を差すな」というのが今の定番の批判になっている。経団連、日商、同友会が揃って、そういう。そこで、第2回こども未来戦略会議(4月27日)で次のような発言をしていた。

本格的に労働力希少社会に入ってきている

○権丈構成員 権丈です。本日の議題であります構造的な賃上げ及び後藤大臣の御提出の資料と関わる話ですが、ちょうど一昨日、年金局の数理課にこれからの財政検証の在り方について話をしていました。私が言っていたのは、今この国は本格的に労働力希少社会に入ってきたということです。女性の就業率はかなり高い水準に達して、天井に近づいてきている。そして前期高齢者は減少し始めているからです。今後の賃金の伸びというのは、ここ数十年間の傾向を外挿する、先に延ばしていくという方法では、もしかすると下方に外れる。これからのこの国に参考となるのは、1960年代の経験ではないかと考えているというのを伝えました。
1960年代初め、大企業と中小企業の間の二重労働市場という大きな問題がこの国にはあったわけですが、労働市場が逼迫し始めてきた途端に中小の賃金が上がり始めて、問題が一気に解決します。その辺りを東大名誉教授である労働経済学者、隅谷三喜男先生という、かつて存在した社会保障制度審議会会長の言葉を引用しますと、「昭和36年以降、事態は大きく変化した。35、36年頃から顕在化した労働力不足が、とりわけ初任給上昇となって現れ、若年労働者の賃金水準上昇を梃子として、全体的な大幅な賃上げを必然化し、この過程で労働市場の圧迫を強く受けた中小企業のほうが賃上げ幅が大きく、企業規模間の賃金格差は著しく縮小するに至った」と論じられています。
もちろんその間、市場での新陳代謝が進んで、経営者の真の経営力が問われる局面に入っていたわけですけれども、結果として昭和40年代半ばになると、この国は1億総中流社会になりました。
賃金の伸び率を決める一次要因は、どうも労働市場の逼迫度合いであって、経験的には、賃金は、市場が弛緩していたら掛け声をかけても上がらず、逼迫していたら自然に上がるもののようです。数十年間、この国は、高齢者と女性という労働力を非正規という雇用形態でとても安く、毎年増加する形で雇うことができました。しかし、いよいよその供給源が枯渇し始めて、言わば開発経済学者ルイスの言う転換点に近い状況にあると見ることもでき、これからは非正規が正規の供給源になっていくことも考えられます。
60年代と今では労働力不足に至った経路が異なりますけれども、この国が本格的に突入したと考えられる労働力希少社会では、広く社会全体で子育て世代を支えるという政策、こうした社会保障政策は、北欧の政労使のネオ・コーポラティズムの下では、社会的賃金、組合員以外にも給付が及ぶこともある社会保障を彼らはソーシャル・ウェッジ、社会的賃金と呼ぶわけですが、そういう社会的賃金を充実させても、個別の賃金上昇のモメンタムはそう簡単に失われることはないのではないかというようなことを年金局に話しましたということです。
以上です。

第2回こども未来戦略会議 議事録

この日は、社経営共創基盤 IGPI グループ会長であり経済同友会の副代表幹事でもある富山和彦構成員も、私と同じような話をされていた。

○冨山構成員 ありがとうございました。まず、少子化対策のための政策推進の基本理念の第1として、「若い人の所得を増やすこと」が書かれていることは正鵠を射ていると思います。今の労働市場の感覚として、私も権丈先生の感じと全く同じです。私は東北から四国までいろいろなところで中堅・
中小企業を経営していますけれども、地方でも同じです。今後、間違いなく賃金は上がっていきます。ということは、今まさに政策転換の大チャンスだと思っているので、ここは絶対に進めるべきで、そのときに大事なことは、女性、非正規職員、中小企業で働く方々も含めた全ての働く人々が主体的に自身のキャリアの形成を図ることのできる制度、社会をつくることは絶対に不可欠です。
・・・
なお、今後財源に関わる負担の問題が議論になると予想されますが、この問題は今や国家国民の長期的持続性に関わる問題です。言うなれば長期的有事であります。有事ですから、いかなる形であれ、個人か企業か、そういう尻の穴の小さいことを言っていないで、幅広く連帯的に負担して、将来世代の責任を果たすべきです。
私は今、地方を中心に7,500人の雇用を抱えている経営者であります。その企業人として申すならば、福沢諭吉先生の国を支えて国を頼らず、松下幸之助さんの産業報国の精神、これは彼らは物すごく貧しくて弱いときに言っているのです。このときのパナソニックなんてはっきり言って中小企業です。この精神で経営者はやらなければ駄目ですよ、企業の大中小を問わず。私はそれを声を大にして言いたいと思っています。

第2回こども未来戦略会議議事録

子育て支援、財源の行方は


さてさて、財源の話、いつものようにスマートボール状態で、どこに転がっていくのやら状態。しかし、労働市場が、本格的な「労働力希少社会」に入っていく中で、賃金上昇のモメンタムというのは、こども・子育て政策に経済界が求められる支援金の規模くらいでは水は差されないのではないだろうか。
ちなみに、次は、今から15年ほど前、経済界が、みんなそろって、基礎年金の租税方式化を唱えていた頃の記事である。

このあたり、次のインタビューの中では、下記のように答えている。
「専業主婦の年金3号はお得だ」って誰が言った? 慶応大・権丈氏が語る「年収の壁」論議の愚かさ | ニュース・リポート | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

──子育て支援政策でも、財源として社会保険料の活用が検討されていますが、経済界(事業主)は反対しています。やはり、この事業主負担の存在があるからです。経済界が主張する消費税を財源とすれば、事業主の負担はありませんが。

経済界が消費税をということ自体は悪くはない。ただ、経済界は、目下の子育て支援政策に限らず、かつての基礎年金租税方式かのように、ひたすら事業主負担を逃れる方式を提案してきた。
・・・略

──それにしても、日本では社会保険の事業主負担に対する経済界の抵抗は強いです。

彼らのその力が、被用者保険の適用拡大を阻み、多くの非正規を生んだ原因だった。

最近の日本の経済界では、事業主負担を増やすことで「賃金上昇のモメンタムに水を差すな」という話がはやっている。しかし、経済界が賃金を上げなかった過去に言っていたように、賃金が上がるか上がらないかを決めるのは、関係者たちのやる気や気合いなんかではなく、市場の力だ。

賃金上昇のモメンタムが話題になった日のこども未来戦略会議が終わった後に囲んできた記者たちには、「経済学にはいろいろと問題もあるが、需要と供給だけは正しいね。他の条件を一定として供給が減れば価格は上がるんだよ」と話してきた。

これから、本格的な「労働力希少社会」に入ることを原因として上がっていく賃金の規模と、子育てのために企業に求められることになる額とでは、前者のほうが比較にもならないくらい大きくなるだろう。賃上げのモメンタムに水を差すというような話とは異なる変化は起こる。政府は、モメンタム水差し論に怖じ気づくことなく、この国の未来のために、経済界に求めるべきものは求めていってもらいたい。

最後に、労働力希少社会とは

次は、『もっと気になる社会保障』の「はじめに、そして勤労者皆保険の話」からです。

労働力希少社会を迎えて
最近,とみに思うのは,年金をはじめとした社会保障政策にしろ,労働政策全般にしろ,使用者には申し訳ない話だが,彼らに譲歩を求めることが多いということである.だがそれはある面仕方がなく,それは,『ちょっと気になる「働き方」の話』にあるように
「労働力の供給曲線が左側にシフトしていくために労働力の希少性が増して労働条件が改善していく「労働力希少社会」」
の必然の出来事であるのかもしれない.
というのも,労働力希少社会は,社会全体に労働力の有効な活用を求めることになる.そしてそれまで働いていなかった人たちにも労働力となってもらうことを求めることにもなる.ゆえに使用者には,これまでの労働力の使い方,働いてもらい方に再考を求めることになるので,必然,労働力希少社会は,このままでいたい,今までこれでよかったんだと思う使用者たちに譲歩を求めることになってしまう.
労働力希少社会は次のようにまとめられていた.
「日本は,人口減少社会,特に,生産年齢人口が大幅に減少していく社会に入っています.そうした社会では,労働力の希少性が増す「労働力希少社会」を迎えることになります.今は,希少性が高まりゆく労働力をいかに有効に活用するかという方向性を模索する大きな動きの中にあると言えます.これまで,グローバリズムをはじめとした環境の変化は,労働力の価値を押し下げる方向に作用してきました.その逆向きへの動きが,今,世界中に先駆けて,この日本で始まりつつあるとも言えます.」
『ちょっと気になる「働き方」の話』

『もっと気になる社会保障』vi-vii頁


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