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建築スタジオの中間発表前の困惑

これからNOTEに日記を始めていく。
今まで考えてきた事や、日常での気づきに対する姿勢を正していく。
一つ一つのアイデアを保存、共有していく。
三日坊主にならないように日時、タイミングを決めて投稿するのがいいかもしれない。

今日は中間発表日の直前エスキス。
なかなか自分の考えていきたい方向性が決まらない。
先生のアドバイスも内容はわかるが中々シックリこない。
しかし、その中でも納得できたことがあった。
それは、一つ一つの自分のスケッチや行動に対して貪欲に向き合い、次のステップに活かしていくことの大切さである。
それは今回日記を残すことを決めた理由である。


建築スタジオについて考えた。
何か自然の要素を敷地に持ち込んで、街に変化をもたらすことについて考える。

谷に関して調べてみた。
すると、谷は隆起した台地を水が削っていく事でできるらしい。
山が削られV字谷となり、その上層部が崩壊して川を埋める。
その土砂を川がまた削っては海のほうへと運んでいく。
その結果、山は平地に戻っていく。

この過程は建築の終わり方に見立てられないだろうか?

現在空き家問題で騒がれているが、それらの家を残すことが必要なのか?
人口が減っているということは、住む場所を確保する必要性はなくなる。
そうすると、それらを別の用途で使うか。終わらせてしまうか。

家や都市の終わらせ方はどんな風景になるのか?
家がただ朽ちていくのでは寂しいし、景観もよくない。
だんだんと人の気配がなくなっていく風景にどんな手を加えられるのか。


もう一つ、以前の経験ではあるが、古民家の屋根に上る機会があった。
その時に感じたのは、二つある。
1.足元が傾いていることで見る場所が変わる事。
周囲を注意深く観察する。(移動速度の変化にも影響があるかもしれない)
道を歩く人にも気軽に話しかけられるような気持になる。(高揚感による影響?)

2.屋根の素材に触れる機会がなかったが、意外と冷たくて気持ちいい事。
普段見る事しかない素材に触れることで体験できる新たな感覚の目覚め。
今まで、それがその場所にあるのが当たり前だったことが変わったときの感覚の変化。


この二つの気づきを空間に活かしていけないだろうか。

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