今年を振り返って(個人的な感想)

やはり、今年は特別な年になったのは間違いがないことでした。
コロナウイルスにかかる可能性は万人平等だったのですが、この全く新しい種類のウイルスは長い潜伏期間を持つことと、高齢者や基礎疾患を持つ人を重篤化、場合により死に至らしめるという意味で、その戦略性の高度さは実に現代的としか思えないものでした。
「現代的」という意味合いをより説得力を持たせたのは、日本を代表に先進国の長寿化による高齢施設がかつてなく増えていること、それに伴い無症状の人たちが市中で行動することで施設などの職員に感染し、そこから脆弱な病者、高齢者に瞬く間のクラスターを発生させる。実に手強い高度戦略を持つウイルスであるということです。


その意味では、この平等なウイルスは現代社会で人々をその立場それぞれによって、分断させる側面があったと思います。先進国の国家、社会の産業がサービス業中心に、特に工業生産がない土地柄では観光や飲食に依存し、観光客を呼び入れるために都市の景観をインテリジェントに、そして「おもてなし」サービスに依存するようになり、同時に裏面では都市のそこかしこにデイサービスルームや老人ホーム、施設が立ち、高齢社会であることは誰の目にも明らかな時代に。市中は介護施設の車、運転する職員の人たちの姿が日常風景になりました。
そして、私の母も現代にジャストフィットするように、認知症であることによって、介護医療業者にさまざまなヘルプをしてもらい、それでもまだ緊張度が高かった2月から6月頭までデイサービスを休ませた結果、巷で話題になったように、ウチも母の認知能力の程度が下がりまくって頭を抱えることになりました。今は認知症対応デイサービスに週2回通い、他にも訪問サービスを受けているので、下半期はそこそこ安定した同居生活を続けていけるようになりましたが、やはりこと中央の「政治」については強烈に違和感が、もっと言えば怒りがあります。


批判が多いGo To トラベルはもちろん、経済か現在の生命のリスクかで経済を優先するというのは個人的な事情として反対です。しかし現在、特に札幌北海道は観光や飲食が大きな比重を占めるようになった土地柄です。高齢認知症の発症可能性に危機感を持つ家族同様、自粛で職を失った人たちや事業者のことも大変であるのは了解します。特に本年の女性の自殺は看過できない。

怒りに近い「政治問題」を感ずるのは、いったん感染が少なった時、春に識者のみならず多くの人から問われた「検査の徹底」ということをとうとうせず、今に至るまで、同じ方法論の繰り返し。自粛要請で国民の努力に甘える姿勢できたのはどうしてなのか?という疑問だらけでした。

専門家の中には全員検査はせずとも、感染集積しやすい夜の街、そして重症化リスクの高い介護医療施設の職員、そして学校は健康診断と合わせて検査をすればかなり抑えられるはずと言うひとたちがいて、僕は全く、それはその通りだと思ったものですが、一向そうはならず、春と同じ様相を呈したままだった。こうなってしまったのは政治の責任が問われるべきですが、我々の側もそういう政治ではダメだという機運が盛り上がらないできたと思います。そこが最も自分には分からないことでもあります。もちろん、個人的事情として、親がデイサービスに通っているので心配だということが反映してますが、「割れ鍋に閉じ蓋」と言われても仕方がない面もあるのではないか。全体がこの体制に甘んじてしまっているのは何故なのか。いよいよ患者が1000人に迫らんとしている東京の様子を案じながら、そう思う本年の末日です。と書いたのち、東京は一挙に1300人の1日の感染者があっという間に出てきました。

来年はワクチンが接種できるかもしれないから、期待の年にしましょうね、とかいう話にはもうできないはずです。
日本で第一波が収まりかけた時に打つ手立て、かけるべき予算は絶対にGO TOトラベルでもイートでもなかった。エピセンター(感染集積地)、老人施設職や医療職員と入居者の検査、あるいは幼保施設の定期検査であり、観光や飲食への休業補償であるべきでした。

グリーンエネルギー、デジタル産業への先行投資、それは未来を考える上で良いでしょう。でも、それは「今すぐやるべきこと」なのか。もしかしたら省庁の予算の取り合いが人々の「いのち」さえ蔑ろにしているのではないか。

そんな政治不信が自分には際立つ年でした。

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