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コロナワクチン接種騒ぎに呑み込まれながら。

札幌市で75歳以上のワクチン接種が先週から始まり、最近気になっているのはこの話題ばかりで申し訳ない。かかりつけ病院は今週から予約受付で、6月1日から接種開始なのだが、ワクチン予約専用電話はこの3日間全くつながらず。病院内に併設されてる訪問看護ステーションに電話で聞いてみた。ウチは月に一回、訪問診療をしてもらっていて、病院には行っては居ないけれど、かかりつけ医がいるのでかかりつけ病院の接種ということで良いかと。答えはイエスの返事。で、今のところ50回かけて一度つながれば良い方だと実際に予約した人から聞いたと。そこで「しばらく日にちの様子を見た方がいいのでしょうかね?」と訊いたら、予約の第一陣は21日までで、それ以後のワクチンの入荷は未定だという話。

それで、ちょっと“え?おいおい“と思って、では第一陣以降の入庫が不明であることを考えたら、いましばらく電話のほうを粘った方がいいですかね?と尋ねたら、看護ステーションの方は「日にちをおいても接種はできます。つまりインフルエンザワクチンと同様に考えてくれれば良いわけです」と。それは急かなくても接種はできる、今日明日うたねばならないわけじゃないから焦らないでと言う意味でおっしゃったのだろうけど、新型コロナをインフルと同様に語られたことにふと電話を切った後で違和感を感じた。やはりこの流行は全く新しいウイルスなのだし、かつてから認知されているインフルエンザの世界とは違うのではないか、と。そう後から疑問に感じた次第。

結局、僕も94歳認知症の親がいることの焦りがあることは確かに否めないのだと改めて実感した。いまこの早くワクチンを打ちたいという後期高齢者の同様な状況が市内各医療機関にあり、高齢者を看るステーション管理者としては、コロナ感染者といっても広く見れば経験的に「くじの確率」に見えるかもしれないし、例年のインフルエンザ罹患による高齢者の疾患の重度化なども考えれば、新型コロナワクチン騒ぎも、もしかしたら多少醒める部分もあるかもしれない。だが、残念ながら当事者抱えの人間としてはそこは冷静にはなれない。そんなギャプがあるんじゃないだろうか。実際は「さめている」わけでもないだろうが、語り口の公務的な冷静ぶり加えて、「インフルエンザと同様に」という言葉の部分がつい気になってしまった。


要はワクチンの応募が凄いので今すぐとはいかないが、必ず接種はできるという認識と、一般の当事者側としての認識にギャップがあるということ。そしておそらくそれを埋める情報が共有がされていないこと。で、「遅れ」があるなら、体制、つまり接種者の人員が供給ワクチンとの間でもギャップがあるんじゃないかと今は想像している。あくまで推察だけれども。

まあ、この辺の水面下心理劇は、おそらく時間をおいてどこかのジャーナリズムが報道するような気がする。そんな感情のさざ波がたった次第です。

※1  と、日記的に記載していたら、以下の埼玉県の八潮市では、ワクチンの備蓄がまだ足りてない様子が伺えて興味深い。よければご覧あれ。(現在国からワクチンの供給が少ないとのこと)


※ 2 自分の親のかかりつけ病院のワクチン予約サイトに札幌市の集団接種サイトのリンクが貼られた。やはりかかりつけ病院でも対応でき得ない様子だと垣間見る。この辺りの因果も今後明らかになるのではないかな。


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