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あー『アオイホノオ』 (島本和彦)

むかしむかし、mixiというソーシャルネットの日記コンテンツで、あ行から「わをん」までの50音の頭文字で無理にネタをひねり出して、日記を書いたことがありました。そのときはそれほど苦労しなかったんですけど、今回は唐突に五十音で「本の感想」を書くと思い立ちました。読書感想を五十音で書くのはかなり大変なことで、これはいつ終わりがあるかわかりません。1年で終わらないと思いますし、途中で挫折の可能性も高いです。ですが、とりあえず「思い立ったら」という線でチャレンジしてみようと思います。その時々、何百ページもの本の“積読“を初めて読んだり、改めて読んだりして感想を書くかと思いますので、長いスパンで見ていただけたらと思います。まず1回目は「あ」で、漫画「アオイホノオ」(島本和彦:著)から。

『アオイホノオ』

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漫画家、島本和彦が大学入学した1980年から、原作付き漫画連載を始めた大学3年の5月に大学を中退し、東京で本格的にプロの漫画家になるまでの軌跡を描いており、現在も連載中の青春漫画(現在コミックスで25巻)。

同じ年齢(60歳)として、また、ある程度漫画好きもかぶるものとしては大変興味深く、島本和彦が得意とする熱血が“過剰すぎて笑いに転化する“「島本節」も変わらず笑えたり、時に重苦しいほどの深刻さも垣間見え、たぶん漫画ゆえにデフォルメされていると思うが、おそらく心象風景としては実際そうだったのだろうと思われる青年期特有の過剰な自意識描写と、マンガ・アニメに対して驚くほど鋭い観察眼に基づく批評能力。そしてその批評性に追いつかない自分の漫画の才能に落ち込むところは、かなり説得力があって「わかる」と思わせ、同時に当時活躍をし始め、今では大家である漫画家も実名でどんどん批評されていく(おそらく当時の絵のページもそのまま使われている)のがその時代を知るものとしては笑える。

冒頭に書いたように、島本和彦自身の大阪芸術大学時代の生活を描いているのだけれども(作品の中では大作家(おおさっか)芸術大学と表現)、本人は自分の将来について「漫画家になるか、アニメ作家になるか」の二択に悩んでいて、その激しい揺れがこの作品の軸なのだが、もう一つこの作品の軸になるのが大学の同級生である庵野秀明、赤井孝美、山賀博之ら、後に「エヴァンゲリオン」などの有名アニメ作品を作るガイナックス社の主要メンバーたちが「オタク・カリスマ」岡田斗司夫のお声がかりで伝説的なアニメフィルムを作りあげながら、プロの入り口に入らんとする動きのドキュメントがサブストーリーとしてある。(岡田斗司夫のキャラクター造形が秀逸)。


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(岡田斗司夫邸で、庵野秀明、赤井孝美、山賀博之が初対面する場面)

感想を書いている私自身は、島本氏が大阪芸大1年である1980年頃には漫画から離れ始めていたけれども、巻が進み始めて、高橋留美子やあだち充(あだち充は苦手でした。ものすごい人気でしたが)などの漫画界の巨匠が出始めの頃の空気は「少年サンデー」の愛読者でなくてもおおむね了解できる。そのころの空気感は主人公の焔燃(島本氏のこと)の一喜一憂的な批評や動揺、混乱や理解から濃厚に立ち上がってくる。ちなみに島本氏は小学館の「サンデー」誌でデビューし、一貫して小学館の雑誌で書いている。

同時に80年代前半の大学生の空気感、下宿生活や、自分の部屋に来る友人とのマニアックでありつつもたわいなげな会話の日々も「わかるなぁ〜」という感じなのである。これも今ではもう希少な世界なのかもしれないが……。(80年代前半は別に芸大に限らず、日本の大学生のモラトリアム感は共通のものではなかったかと思う)。

正直いえば、私の中で島本和彦という人は1巻で完結している『燃えよペン』のイメージしかなかったし、すでに25巻まで来ているこの作品を最初に一読したときはガロで書いていた泉昌之という人の一連の作品(『かっこいいスキヤキ』『豪快さんだ!』など)や、山田芳裕のデビュー作『大正野郎』などの身辺自意識、身辺美意識へのこだわりから来る失敗などで冷静な自己が崩れるタイプのギャグに面白さとの共通項があるなあと思った。そういうタイプの漫画が大好きな自分はそこで笑っていたのだが、再読すると大学生の3年間近くのみで24巻を使うじっくりした時間の流れ、その中でそれなりの志を持つ若者の多分一方的な理想と挫折感、倦怠感とやる気の往復、そして島本氏が得意とする無闇な断定や美学など、読ませどころが多くて病みつきになる。

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基本的に主人公のモノローグが多い作品で、そのモノローグも漫画やテレビアニメを見ながらの分析に基づいている部分が多く、落ち込んだり、動揺したりしつつも、どこかで自分の創作のヒントに使えるか使えないかを常に考えている様相があって、アマチュアであってもセミプロ的な視点を持つ島本氏のプロ作家生活に入るまでの過程がじっくり描かれつつ読ませる内容は、本人が大人となってかつてを振り返る成熟を見せているゆえだと思われ、おそらく島本作品でも一番完成度が高いのではないかと勝手に思っている。

当時の漫画は確かに70年代から80年代に向かう中、ラブコメ学園ものに少年誌はなだれ込み、高橋留美子の「うる星やつら」やあだち充の「タッチ」がやたらに受けて同世代の家には必ず彼らの作品のコミックがあったなぁと思い返す。

あと一つ、個人的に意外だったのは、「過剰に男気が燃えるギャグ」を書いていると思った島本和彦氏。同年齢として、梶原一騎原作の『巨人の星』『あしたのジョー』などの根性ものが好きだというのは当然だと思ったし、その路線一筋の人だと思っていたのだが、もともとはSFギャグを目指し、一般アニメや戦隊モノ、ロボットアニメもののウンチクなど、結構なオタク気質も持っていたのは知らなかった。ゆえに個人的には岡田斗司夫をリーダーとする庵野秀明ら天才が描くアニメの世界(主人公、焔は大ショックを受ける)や、当時のテレビアニメの入れ込みぶりは全然ついていけないのだが、ともかくテレビアニメなどに猛烈に入れ込んでいる主人公の様子は読んでいて面白い。それと、主人公側からはアクションを起こさないけれども、大学先輩の女性や、同学年の女の子などの結構な美女にモテてもいる。発展はしないのだが、そこは主人公がクリエイターのプロとして食っていくための戦略や作品の鑑定が常に優先されていること、その目標が明確であるところに魅力を感じられる(同時についていけないものも感じている)がゆえにモテるのだろう。

作品は24巻でプロになるために東京に上京し、大学を中退する。流れ的には一旦これで完結して良い感じである。漫画家となる青年の大学青春期物語としては完結されている。(実際、ほかの誰か漫画実作者のツイートには完結されたと思っているTwitterがあったと思う)。

しかし、今もプロ東京編として25巻目が出ている。そして既に主人公は週刊連載が決まりつつも、新たな波乱が待っている様子だ。作者としては、プロになってからも書きたいドラマやエピソードがまだまだたくさんあるのかもしれない。今後漫画家プロ編が島本氏のライフワークとなっていくのだろうか。今や漫画家専業だけで食べていない人だけに、今後の展開も気になるところである。

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