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ご報告、ガンになりまして。


「ご報告」

テレビでとある芸人さんがポロっと言っていた言葉が不思議と残ってる。「ほんと順風満帆な人って世の中の一握りしかいないんですよね。」
今となっては、しみじみ感じている。

急な話でビックリされる方も多いかもしれませんが、36歳にして大腸ガン(からの腹膜播種)を患ってしまいました。
「まさか自分が」とはよく言いますが、その「まさか自分が」になってしまいました。

ガンが発覚したのは2020年2月末ごろの話、すでに手術も一度終わり、現在は9月末に2回目の手術を控えています。

ここまで取り立ててご報告してなかったのは、
治療もひと段落した状態で、「そういえばガンになってたんですが、もうペペッと大腸取りましてねー」ぐらいの過去の笑い話にしようと思っていたので、わざわざ言う必要もないかなと考えていました。
病状のことで同じことを何度も説明したり、リアクションをいただくことが、性格上少々めんどくさくなってしまっているのもひとつです。

もう発覚から半年ほど経ってしまったのですが、今後のこともあってご報告と合わせて残しておこうかなと。そして、これからのことで思うことも少々書きます。

大丈夫かよ!?思われるかもしれませんが、わりと元気で健康的な生活を送ってます。

細かい経緯や病状・経過に関しては、当事者の方以外必要ない情報も多いのでここでは一旦省こうと思います。それでもまだ長いですけど。


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発覚から現在まで

発覚したのは2020年2月末、誕生日の前日に行った内視鏡検査にて、大腸(S状結腸)に大きい腫瘍があることが判明。すぐに大病院に紹介状を書いてもらい、再検査後3月中旬にS状結腸の摘出手術を行うも、手術後の病理検査にて「腹膜播種」と診断。

大腸の手術は無事成功したけれど、ガンの腫瘍が大きくなり大腸を突き抜け、腹膜というお腹の中の膜にガンの細胞が飛び散っていることが判明。
これが「腹膜播種」という疾患。

その後、抗がん剤治療(XEROX療法)を行いつつ、9月末に2度目の手術(腹膜切除術・腹腔内化学療法)を行う予定。

現在の状況はというと、体の中にどうやら少しだけあるガン細胞以外、健康体。抗がん剤の副作用も少なく、日常生活を送れている。仕事もバリバリこなすし、至って通常運転。

変わったことは、ご飯がおいしい。入院中の絶食期間のおかげで毎食のご飯が本当においしく、ありがたく感じる。


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再発率から生存率へ。時間の制限が見えてくる

大腸癌の時点では再発率○%というような話だったのだけど、
腹膜播種は5年生存率○%、10年生存率○%という数字に変わってしまった。
当初は大腸癌の治療さえできれば、ガンと付き合いながらではあるけれど、数十年は生きられるのようなイメージだった。

でも、腹膜播種はエビデンスがまだそこまでない治療項目ではあるけれど、調べても数字は厳しいところがある。
大腸がん腹膜播種の腹膜切除後の生存率は、
5年で50%、10年で2・30%程度。

そう、5年・10年という数字が明確に出てきてしまったのです。

全然死ぬつもりは無いのだけれど、可能性も加味して考えると、あと2・30年生きられるのと、あと5年もしくは10年とでは、人生設計がかなり変わってくる。というかガンになった時点で人生設計みたいなモノは一気に崩れて意味のないものになってしまってはいる。
人生100年時代とは言うけれど、人間どこでどのようになるかなんて、全くわからない。自分は真面目に生きてきたつもりだったけど、日頃の行いなんてのも関係ない。ガチャのようなものだなと感じた。


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確率は確率。数字はあまり信用していない。

妻は、安部前首相と同じ「潰瘍性大腸炎」という難病を抱えている。(幸い症状も軽くとても健康的)

子供は、生まれつき停留精巣と尿道下裂を抱えている&生後すぐ髄膜炎という大病を経験している。(こちらも幸い後遺症も残らずとっても健康的)

確率で言うと何万人に一人とか、何千人に一人とか、何回もその数字をひいてしまっているレア家族ではある。
なので我が家では「万が一」なんて言葉は信用していない。

僕の大腸癌も腹膜播種になる患者さんは10%程度だという。
そう考えると、10%や1%や0.1%をひいている経験からすると、
生存率50%や30%なんて、わりと高い数字じゃないかと思っている。
別にポジティブ野郎というわけではないけど、人間「希望」を持てるのがいいところだって、超人安藤忠雄も言ってた。



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残すということ

ガンが発覚してからいろんなことを考えるようになった。その中の一つとして「残すもの」とそうでないものについて考えるようになった。

妻や子供、世の中に何を残せるんだろう?
というか残さないといけないのだろうか?

デザインの分野で作ったモノや行いが総体的な集合知としての向上にすこーしだけ貢献するのだとは思うが、今の世の中ほっといても向上するし、もっと他に崇高な方々が追求なされる分野だと思う。それぞれで生き方や考え方が違えば、時代の変化も予測がつかない、個体によって選択する事や道筋は様々なものになるので、残すべきものなんて本当はないのかもしれない。押し付けはよくない。モノでも考え方でもなんでも。


もし世の中に残せることがあるなら残してみたい気持ちはあるけれど、今からではそこまでクリティカルなことは残せなさそう。そんなことはない、人間頑張れば偉業も成し遂げられるという声も聞こえてきそうだけれど、そこまで使命感があるわけではない。まずは小さいことでも自分がやりたいと思えることからやってみることの方が具合が良さそうだと思っている。それが間接的にでも社会や世の中に対して少しでも役に立てたら嬉しいなぐらいのスタンス。


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ではどんなことが残せるだろうか


「デザイン」

今生業としているデザインの仕事は基本的にプロジェクトに寄り添うお仕事が多い。あくまで主語はプロジェクトを担う人になる。したがって今まで作ったロゴや制作物はその人たちのもの。自分のものではないけれど、どの仕事もある程度、魂込めて作っているので、そういう意味では使い続けてもらううちは息の籠った意匠として残っていくのかもしれない。

ただやはり人のために作ったものなので、自身が残したものというには、どうにもおこがましい。

性分としては手を動かしてナンボと思っているので、ずっと手は動かし続けたい。デザインの仕事はずっと続けたい。


「思考性、考え方」

こちらは文字や言葉として残しやすい。でも哲学を語れるほど至高な人間ではない。子供に対してはなんでもフラットに見て考えれるような人になってほしいなとは思う。良いことにも悪いことにも理由や多くの側面をはらんでいる。偏った思考にならず、いつも自身の目や耳、肌で触れ、考え素直に受け止めれるような優しい人になってほしい。そのためにも妻にはいつも、くだらないことでも自分が思ったことや見て考えたことは伝えるようにはしている。


「お金」

もちろん、お金のことは真っ先に考えた。今の資産と5年10年でどこまでできるか算段を立てておく必要がある。お金の勉強も頑張ってるところ。自分の性格上、石橋を叩きまくって渡るタイプなので、備えはあるに越した事はないのかなと思っている。ただ子供にはいわゆる魚を与えるのではなく魚の釣り方を覚えてほしい。お金の仕組みやその側面で物事がどう動いているのかを、考えるクセがあると様々なことが見えてくる。



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と、現状はこんな感じ。


あれこれと考えるけれど、残すものについては難しい。どこまでいっても考え続けるものなのだろう。

でも自分の中で一つ答えとして出ていることがある。
実はもう、とても大きなものを残している。それは最愛の子供。

言い方に語弊があるかもしれないけれど、自分の分身のようなものを残せたことに、結構な達成感がある。子供からすれば、親の勝手な都合で「何私物化しとんねん」と怒られそうだけれど、自分の遺伝子を分け合った子供と妻が元気でいてくれさえすれば、生きた価値はあったなと思える。

遅かれ早かれ人間最後は死ぬのだから、結局最後に考えることは同じような道筋になるだろうなと改めて実感できている。

いつ死んでもおかしくない。生きてることが当たり前じゃあない。
当たり前を当たり前に思わない姿勢が大事。
とりあえずやりたい事はやっておきたい。


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やりたいこと


「オリジナルノートを作りたい」

実は、病気が発覚する前から超ウルトラマイペースにプロダクトを作っていた。

ずっとデザインの仕事をしながら、いつか自分でノートを中心としたステーショナリーブランドみたいなものを作りたいなと考えていた、いかんせんマイペースではあるが2年近くはかけて研究・プロトタイピングを行い、製品化できるとこまで進めている。

仕事柄ノートはデザインラフやアイデアを書き残すためによく使っており、これまで様々なノートを使ってきた。サイズの違いから紙質の違い、装丁の違いまで、使いやすいものもあれば、モノとして持っておきたいものまで、あれこれ探しては使ってみたが、理想のノートに巡り合う事はできなかった。なら自分で作ってみようというのが事の発端。

ノートは消耗品ではなくプロダクト。
自分が仕事してきた痕跡が残る。
なんでもないメモ、ラフスケッチにも持ち主の思考が見える。
ページに描き溜めた痕跡は持ち主の生きた証。

なんか病気になった今、偶然ではあるけれど改めてこのようなモノとして残る事の大切さを感じている。パソコンのデータよりよっぽど人間的なのだろうなと。

近々リリースできるよう頑張ってますので、もし良ければまた覗いていただけると幸いです。進捗はSNSなどで発信していこうかなと思ってます。


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「プロセス動画」

これはすでに行っている事だけれど、ロゴやデザインの成果物ができるまでの記録をノーカットでそのままアーカイブにしている。

<良いこと>
・チーム内進捗共有
・アーカイブ資産
・プロモーション支援、コンテンツ活用
・今どこの段階にあたるのかプロジェクトのワークフロー明確化
・デザインワークのナレッジ共有
・簡単(とりあえず録画しておくだけでOK)
・作業に集中できる(アーカイブに残すという意識からサボれない)

包み隠さずプロセスもオープンにすることで、複合的なメリットを提示できるように思っている、これは動画の再生数うんぬんというより、事例と組み合わせて見るようなアーカイブ的要素が強い。こんな作り方していたのか、こんな考え方していたのかといった具合に、みたい人がみてもらえればそれでいい。これも思考が見えて人間的かもしれない。



「作業場兼、お店兼、駄菓子屋でもやってみたい」

もしプロダクトが好調であれば、コンセプトショップ的な場を持てたらなと思っている。基本的にはデザイン仕事をする作業場だが、開けた場所も持ってみたい。そこでは開発したプロダクトを展開するのだろう。

おじいちゃんにでもなったら駄菓子屋でもやるか

昔から駄菓子屋が好きで、学校帰りにそこに集まってはダラダラお菓子を食べたりゲームをしたりするのが好きだった。SNKの筐体やCAPCOMの格闘ゲームをウキウキしながら小銭を握り締めプレイしに行っていた。

あの感じが大好きで、いつか自分が老後にでもなった時、暇や余裕があれば駄菓子屋のオッサンにでもなりたいなとは思っていた。

そんなことをしながら、くだらない話でも子供たちに吹き込んでやろうと。

この辺はもはや妄想に近い。

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「家族と過ごしたい」

言わずもがな、妻と子供とはもっとずっと一緒に生きたい。今月で2歳になった子供はすくすく成長してやれることがどんどん増えている。大袈裟ではなく毎日なにかしら一つは新しい成長がみられる。親心としては可能であれば全部見届けたい。

コロナの影響と抗がん剤治療で免疫力が低下している関係で、あまりいろんなところに出かけられない。どんどん成長する時期なのに、いっぱい外に遊びに連れて行ってあげられないのが申し訳ない。

好きな電車や、新しいものに触れさせてあげたい。
来年の春ごろには、世の中の状況も病状も落ち着いて動きやすくなると思う。みんなでいろんなことをやろう。

しかし、偶然にもコロナの影響もあって仕事場環境や仕事のスタイルを変えた結果、子供や家族で一緒に過ごせる時間はうんと増えた。
毎日、妻と子供の笑顔を見るたびに、幸せだなと心底実感できている。
病気になる前より、毎日のありがたみを感じるようになった。

妻と二人の時間も大好きだ。当初は子供が独り立ちして手がかからなくなったら、二人でまた旅行行ったり遊びに行ったりしたいなと思っていた。付き合ってからしばらくして、結婚し、子供も生まれ、環境もだいぶ変わったが、不思議と二人でいた頃と感覚は変わっておらず、またあの頃のように一緒に時間を過ごしたいと思っている。

大好きな妻と大好きな子供と、もっと一緒にいたい、成長を見届けたい、旅行やいろんなところに行きたい。

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と、こんな感じで今の気持ちをまとめてみました。

こう書いてると、いかにももう死んでしまうみたいな気持ちになってきそうだけど、前記の通り、死ぬつもりは全くない。不幸だなと思われることもあるかもしれないけれど、そんなことはない。大好きな妻がいて、大好きな子供がいて、大好きな仕事ができて、ご飯もおいしい。(お酒は飲めなくなっちゃったけど、)むしろ死に触れることで毎日の幸せを噛み締めることができてる。マジで。病気に学ばされている。


入院のタイミングだけ少しだけご迷惑をおかけするかもしれませんが、数日すれば普段通りにお仕事も再開できてますので、引き続きお仕事お待ちしてます。

最後に、相談を聞いてアドバイスをくれた妻や友人たちに感謝を。


そして、みんな人間ドック行ってくれ!
そして、大切な人を大切に。



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デザイナー / アートディレクター 1984年2月 大阪生まれ 京都育ち。2012年よりmémとしてデザイン業を行う。大腸癌(S状結腸)/ 腹膜播種患者。 http://www.m-e-m.jp/