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千曲川サイクリングロードを動画撮影しました。 音声日記の形式で作成してみました。
生まれも育ちも信州です。 大学浪人の1年間と大学時代の4年間は関東で過ごし、 新卒で長野県内に就職して勤続42年、66歳でリタイアしました。 沖縄出身の妻と一男一女の家族です。 現在は、妻と一緒に地域の施設を訪問して、ハーモニカとギターで「歌声サロン」をボランティアをしてしています。 自分のために使える自由時間を、勤続40年の心身のメンテナンス&向上に使ったり、 築30年のわが家のメンテナンスに使ったりして、 私自身の文化度を高める時間についやします。 そしてN
中国帰国子女教育の原点が綴られています。 現役時代、私が30代に南信の泰阜村で過ごした4年間の実践を、当時の同僚であった中 繁彦さんが書き記してくれています。 私にとっても貴重な実践記録であり、貴重な書物です。 当時、私が直接関わった中国帰国子女は、看護士になり、現在も働いており、結婚して幸せな家庭を築いています。
初めての参加は、千曲市内の「あんずの里観光会館」です。市内の訪問看護の皆さんの懇親会(千曲市社協主催)に、淹れたての珈琲を提供するボランティアです。 いきなりですが、3人分、1人分と、ドリップ珈琲を淹れてきました。 会場には、「チャオ」の他に、懐かしいレコードコンサートを開催しているシニア地域プロデューサーの岸田さんもいらっしゃいました。 4月からは、ハーモニカボランティアとコラボができたら、活動の幅が広がっていいなあと思います。
今から40年前の新婚旅行。時間もお金もない当時、スカイメート(妻が院生)を使ったり、格安ツアーを申し込んだりして、二泊三日くらい?の弾丸旅行でした。 経費節減と運転は疲れるという理由で、レンタカーも借りなかった。移動はすべて公共交通機関。 バスや電車で移動すると、相手の人柄がよりいっそう見えてくるのです。それは、旅先で出会う幼い子どもや高齢者に向ける眼差しからです。 幼い子どもに向ける優しいまなざしを見れば、本当に子どもが好きなんだなあということがわかります。 困っている高齢
くも膜下出血で倒れた妻が、救急車で病院に搬送されたとき、 私は、その救急車に同乗していた。救急隊員が妻に話しかけている間、 病院に到着するまで、私にできることは、妻の脚をさすってマッサージするだけだった。 退院後、しばらくは、妻の脚の「むくみ」が目立った。妻にうつ伏せになってもらい、ふくらはぎから、太ももの裏を丁寧にオイルマッサージを繰り返している。 毎日、散歩が日課になっているので、脚の筋肉疲労を回復させるにも効果があると思う。 今では、ハンドマッサージ、腰、背中
金属アレルギー持ちなので、肌に触れるアクセサリーは避けて、バッグチャームを選択しました。 名前(ファーストネーム)のビーズの両脇にはニコちゃんマークとカラフルなビーズをはさみました。 切れることのないように、細いワイヤーを使用しています。 連結は二重リングにしてあるので、はずれて紛失することを防止しました。 万が一はずれて落ちた時のために鈴をつけました。 笑顔で暮らせますように、親の願いを込めて作りました。