小説「tripper」3章~dialogue~

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夢を見ていた。

書き割りの摩天楼が並ぶ舞台にひとり立っていた。

スポットライトが当たっていて、舞台の様子がはっきりうかがえないが、観客はおそらくひとりもいない。

この船と同じく、全くの無人。

自分になにかを演じろというのか。

よくわからず、舞台にあぐらをかいて座り込む。

すると、舞台の天井から音を立ててなにかが降ってくる。

鳥居だ。

鳥居が大量に降ってくる。

しかし、鳥居は実体のないまま自分の体をすり抜ける。

気がつくと、自分は床をすり抜けて、あまたの鳥居とともに落下していた。

「落ちる」夢というのはたいてい不快だ。そのはずだ。
しかし、この時は違った。

落ちるのが気持ちよかった。
落ちてゆくたびに、思考から無駄なまとわりつきがほどけてゆく。

何も考えなくていい。
何も感じなくていい。
なんて快いのだろう。

そんな風にして、自分はまた船の一人掛けソファに落ちてきた。

ややこしい現実にまた戻った自分の目の前には、なんということだろう、人が立っていた。

思いっきり警戒を解いているタイミングでこれだ。
まあ、仕方がない。警戒を解いていたのは他ならない自分だ。
とりあえずこのシチュエーションを、どう切り抜けるか、考えなければいけない。話はそれからだ。

まず目の前の人影を眺める。
女性だ。しかも若い。十代後半から二十代前半、といった感じ。背格好は、座って見上げていても小柄だとわかる程度には小柄で、割合華奢。
服装は、かなりクラシカルなメイド服。華美な装飾はなく、スカートも長い。髪は後ろで結っているようだ。
顔立ちは端正で、美人とかかわいいというよりかは、凛とした感じというか、中性的にも見える。化粧っけは皆無で、それがより中性感を強調している。
口を真一文字に閉ざし、こちらを身じろぎもせず見つめている。警戒しているのか、抗議しているのか。

三十秒とか一分とか見つめていた気がする。
そしてどことなく違和感を抱き始めたところで、先に彼女が口を開いた。

「あの」

顔立ちに比して幼く聞こえる声が、ピアノとエンジンのうなりが満たす空間に、ぽろりと放たれた。

彼女の声に答えようとしたところで、そういえば目覚めてから声を一度も出していないことに気づいた。
もしかしたら、声が出せなくなっているかもしれない。そんなことを考えながら、確かめるように声を出して答えようとした。

「…はい」

声は出た。
しかし、自分の声に聴きなじみというものが全くなくなっていた。
自分の声すら覚えてないのか。
…いや、そんなことはどうでもいい。彼女の反応を待つしかない。

でも、彼女はなかなか次の言葉を自分に投げかけてこない。
彼女自身もなにか戸惑いを抱えていたのかもしれないが、なぜかそう感じない。なんというか、電子機器がフリーズしたような感じにかなり近い。
あちらからも反応しない。こっちからのアクションにも反応しない。ピタッと止まってしまったようなあの感覚。

そんなふうにして十秒くらい待たされたのちに、彼女はやっと口を開いた。

「お客様が、人間ですか?」

お客様が人間。
まあ、たいていの業種においては、お客様は人間になることが多いけれど。
質問の意図がいまいちわからない。

「お客様が…人間?」

「…………あなたが、人間ですか、ということです」

「…ええ、まあ、たぶん」

たぶん、とした理由は自分でもよくわからない。なにしろ記憶がないんだ。自分を人間と言い切る自信だって、ない。

また彼女の、電子機器がフリーズしたような挙動。
というか、彼女の動きや表情がフリーズした電子機器に似てるのではない。
彼女はおそらく、人間のように精巧に作られた電子機器なのだろう。
どこか立ち居振る舞いが、人間の持つブレを、ノイズを有していない。
違和感はこれか。

「初めて見ました。初めて」

彼女は、間隔を置かずに答えられるようになってきた。しかしなにが初めて? 人間を見たのが?

「初めて…?」
「あ、人間を見たのが、です…」

おずおずとした口調だった彼女の声が、いきなり人っぽい適度なゆらぎのあるトーンに変わった。
相変わらず、表情とたたずまいにはゆらぎがない、人形っぽい感じだけれど。

「ああ、そうですか……ええと、初めまして」
「あ、ああ、失礼しました…初めまして…あ、いや、いらっしゃいませ…」

彼女の動揺にあわせてその体や表情もやや揺れ動いたようにも見えたが、やはり人よりは小さい。誤差の範囲に収まっているような感じか。
そしてやはり、彼女は見た目通り、給仕の仕事のためにここにいるようだ。

「どういたまして…とりあえず聞いてもいいですか。あなたは…人間ではないわけ」
「は、はい。一応。ここで働くために作られました」
「ああ、そうですか…」
もちろん、誰もいないのにここで働いてるのか? と聞きたい気持ちはあった。ただ、それよりも大事なことを聞きたかったし、彼女の名誉のため、というのもあって、それはやめておいた。

「…あ、なにかお手伝いすることはございませんか」
「そうだ、お手伝いではないんだけど、教えてくれないかな…なんでうちがこの船に乗ってんだろ」
「この船に乗っている、理由、ですか?」
「うん。起きたときにはこの船に乗ってて、乗る前の記憶が無くって」
「そうだったんですか…それは困りましたね」
「そう。わりと困ってる。わかったり、するかな…」

わかっててもらわないと困る。
まあもっとも、今すぐ知らなくても問題はなさそうではある。自分が何者なのか、ここが何で、どこへ向かおうとしてるのか、わからなくて死ぬということはないはずだ。さんざん飲んで記憶がトんだ次の朝に友人宅で目覚めたときのように、居心地は悪いけれど。

また、彼女はフリーズしたように表情と姿勢を固まらせた。二十秒くらいだろうか。
その間、回答を待つ自分の唾を飲み込む音が、船特有の通奏低音に負けないくらい大きく響いた。

「…ちょっと厳しい、ですね」
「わからないんだ…」
「はい。わたしの権限では、アクセスできる情報って限られてて」
「アクセス?」
「わたし、一応この船のコンピュータに繋がってるんです。乗員名簿についても詳細な情報まではわからなくて。お客様のチケット番号および部屋番号が『0404』で、ってところまでしか…」
「…ゼロヨンゼロヨン、ねぇ」
まるで自分につけられた名前みたいだが、数字四桁なんてたまったもんじゃない。
しかも、船のコンピュータと繋がってるわりに、彼女は給仕する客の情報すら満足に得られないらしい。
もっと、根本的なところを聞いてみるか。期待はできないが。

「じゃあ、この船ってどんな船で、どこに行こうとしてるのかな」
「あの…それ…実はわたしも知りたいんです」
「え?」
「その情報すら、わたしには確認する権限がないんです。それだけはどうしても知りたくて、自己診断プログラムにこっそり見つけたバグを使って船のシステムのroot権限を奪取しようとしたんですけど、セキュリティに検知されて返り討ちに遭っちゃって。思考・認識エンジンの自己修復に一カ月くらいはかかりました」
「マジか……」
「はい。マジです」

表情をあまり変えずにテクニカルタームを口走り、挙げ句「マジです」と呟いた彼女のさまに、思わず噴きだしてしまった。

そもそも、メイド姿の人型接客機器が、船のシステムに侵入しようとした、という時点でありえない。

彼女は、自分に敵意を持っているわけではないようだが、とんでもない奴ではありそうだ。

「ああ、ごめん。失礼だったかな」
「お気になさらずに。大丈夫です。どうせわたし、機械ですし」
「どうせ機械、なんて言うなよ。まあ自分の記憶とか、この船が云々って情報だって、今すぐでなくていいし、知らなくても死なないだろうから。こっちのほうが『どうせ』さ…ていうか、どうせとか言いながらシステムに侵入とか、君すごいね」

そう言うと、彼女はどんな表情をすればよくわからないといった風に戸惑いはじめた。
戸惑ったときの振る舞いから、少しだけ「フリーズした電子機器」っぽさが抜けたように、ほんの一瞬感じた。

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普段は定期的に「倉庫」へデータを送信するから、手入力のログなんて必要ないのだけれど、今日はいろいろあったので、手入力でログを記録しておく。

まあ、ログというか、日記なのかな。

「倉庫」へ記憶を送信したあと、いつも通り(必要のない、といつもわたしが思う)軽食スタンドの設備チェックをしてるとき、プロムナードの一人掛けソファに「彼」は現れた。
厳密にいうと、現れたのはわたしのほうで、彼が先にそこに「寝ていた」のだが。

彼は、わたしが初めて遭遇した「人間」だった。
人間は、たしかにわたしと同じような姿形だった。でも、「人間が寝ている姿」というのがどういうものなのかわからなくて、戸惑ってしまった。

人間の寝息なんて、初めて聞いた。ていうか、あれが「寝息」と呼ばれることはそのあとで彼から聞いたくらい。

わたしは気づくと、寝息をたてる彼の前に立ち尽くしていた。
どのくらいの時間だったのかは覚えていない。わたしの「記憶」でなくて「記録」のほうをたどればわかるだろうけど、わざわざ記録にあたる必要も感じない。たぶん数分くらいだろう。

彼が目を覚ましたとき、最初に声をかけたのはわたしのほうだった。「お客様が人間ですか」と。
初めて人間と出会ったというときに、とっさに他人を「お客様」と呼んでしまったのは、あとから思い出しても、おかしい。

しかし、今までわたし以外誰も乗っていなかったこの船に、なぜ突然人間である彼が現れたのか。
彼自身も当然ながら、疑問に思っていた。
恐らく「倉庫」に収集されたログデータを辿れば、彼が現れた瞬間になにが起こったか、そもそもどの時点で彼が現れたのか、確認するのはたやすい。

しかし、わたしにはその権限もない。

彼に対して、すぐ必要な情報を与えられなかったことが、なぜか、すごく、歯がゆい。

日々、船を見回り、ときどき客室のシーツを替え、掃除をする。
(お客様がいれば接客するが、お客様は今までいなかったわけで)
わたしはそれしかしていないし、できない。

わたし以外がわたしに対して介入することはない。しかし、わたしはわたし以外のもの、いや、わたしの置かれた環境に対して介入できない。
知ることすらできないことと、触れることのできないことが、たくさん。

でも、それでもいいと、わたしはなんとなく思い続けてきた。

同じような日々を繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し送ることで、そのことでなにかを消耗しつづけることで、知らないうちに、細かいひびのような「あきらめ」が、この身に、この心(と呼べるかよくわからないもの)に染みついている。

でも、あのとき感じた歯がゆさ。

別に人の役に立てれば嬉しいとかそういうわけじゃない。接客のためにここにいるはずなのに、わたしの心は、なぜかそんなふうにはできていないようだ。
それに、彼も言っていた。知らなくても死なない。

わたしにまつわるあれこれ…たとえばなぜこんなふうにできていて、このようにできていないのか、という事柄も、知らなくてもよい話なのだ。

そのはずなのに、なぜか悔しかった。

ていうか、なんでわたしの中には、ざっくりとしか「人間」にかかわる情報が入ってないのか。

よくわからない。

接客をする機械なら、もっと「人間」に関する情報があらかじめ入っていてもおかしくはない。
むしろ、入っていないのがおかしい。

そんなことが、なぜかわたしにはいっぱいある。
本当にいっぱいある。
機械のはずなのに、矛盾だらけだ。
別にわたしをつくった人間のことを恨んでいるわけでも、なぜなのか教えてくれと迫りたいわけでもない。恨んだところで、知ったところでどうなるってわけじゃない。

しかし、わたしがどこへ行こうとしているのかくらいは、知りたい。

それで起こした、あのroot事件。
わたしだって、決して懲りたわけではない。
なぜわたしに、一介の接客用機器に、船全体の自己診断を行うプログラムを実行する権限が、ピンポイントで与えられているのか。
これもまたわからないけど、決して意味なく付与されているわけではないと思う。
機を見て、また挑戦してみようとは思ってる。
彼のためって感じではないけど、今日感じた歯がゆさへのリベンジは果たしたい。

うーん。なんかまとまらないなぁ。

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