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エナメル

ていねいに琺瑯びきされた
あのころのこわばった感情を
わけもなくひっぱりだしては
そんなことしなくても
いいはずなのに
ひとり泣く日々です

かたくつややかな光沢に
つつまれたそれは
痛々しさも生々しさをたたえたまま
なかなかひしゃげたり
ひび割れたりしないのです
大事にしたいわけでもないのに
ずっと棚の目立つところに
置いてしまうのです

思い出すのもつらい感情の記憶も
わたしの一部になりはてました
わかちがたく わたしになった
そのなめらかな表面に
涙といっしょに頬寄せて
自分をこの先いつかゆるせるように
あの人を永遠につきはなせるように
願いをこめて掌でつつみこんで
やさしく 棚に戻すのです
そんなことしなくてもいいはずなのに
そんなことをするのは
それが わたしにほかならないからです

*

エナメルみたいなつやの孤独
黒い猫がその身をなめるように
ごろごろする猫をなでるように
いつくしめるだけいつくしんで
掌の温度で温めて

孤独のエナメルが体温を宿すほど
わたしの掌はつめたくなってゆく
でもわたしはこの孤独を
ひとりぼっちにはしたくないから
あの日々に体温を戻すように温めるのです

この孤独はわたしだけのもの
わたしは孤独を大事に抱えて歩いていきます
孤独がそばにいるかぎりひとりじゃない
それは孤独にとっても同じなのです
ひとりと孤独は 手をとりあえるから
手をとりあって 同じ光を見るのだから

*

雨ふりの外の空気で
思いのほか冷たくなっていた手を
ほんのり赤くしながら
琺瑯のマグカップのコーヒーは
温かさを気前よく譲ってくれます
なのに気がつくとわたしは
涙を流していました

空が泣くのなら
わたしが泣く必要なんて
ないのでしょうか
たといそうだとして
それをわかっていてもなお泣くことには
どんな意味が宿るのでしょうか
空が誰かのために泣いていても
わたしは自分のために泣くべきでしょうか
琺瑯ごしに温度を感じてもなお
誰かの体温を握りしめたいと思うのは
ぜいたくでしょうか
そもそも
涙と寂しさに意味を求めること
慰めの外に感情を置きたがること
そこに理由と答えを求めるのが
律儀すぎるのでしょうか

雨が降ったあとのアスファルトは
エナメルのように濡れて
そこから立ちのぼるのは
雨上がりのはずむ芳香
空の涙がかわくにおいと
頬の涙のかわいたあとを
お見合いさせにいってきます
問の答えは そのあとでもいいですか

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