小説「tripper」5章~手と手、体温と体温~

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目覚めると、自分は0404号室にいた。
きのうほどではないにしろ、日はそれなりに高くのぼっていた。
ベッドサイドの時計を見ると、十時だった。

にわかに状況がつかめなかったが、ベッドでごろごろしている間に思い出した。
そうだ。メイと「ブレードランナー」を観てるあいだに寝てしまったのだ。
しかし、メイがシアターからこの部屋まで自分を運んでくれたのだろうか。
機械仕掛けであるとはいえ、腕っぷしはかなり強いようだ。

…しかし。
きのう「ブレードランナー」を観始めたのはいつ頃だったか。
昼下がりをすぎたころ、だいたい午後三時くらいのはずだ。
三十分以上は観て寝てるはずだから、午後四時にもなってないくらいから寝てるってことになる。
…徹夜明けならまだしも、おとといからきのうにかけても、その前に昼寝する程度には、そこそこ寝てるはずなんだ。

いや待て。
おとといも、いつ寝に入った?
まだ日も落ちてないくらいじゃなかったか。
それから翌日の正午くらいに起きたはずだが…

おかしい。

目覚めてからの自分の睡眠時間が、人間のそれにしてはやけに長い。
おととい、きのうと軽く…いや、ガッツリ十二時間以上は寝ている。

やおらベッドから起きあがって、なんとなしに自分の手を見つめる。
…人の手だ。見た目は。

ベッドから出て、軽くのびをする。
寝すぎた、という感じはない。
ただ、多少だがのどが渇いている。

小さなテーブルのかたわらにおいてあるコップを持って、バスルームに入り、蛇口をひねる。とぽとぽと流れる水をコップに受け止め、口に運んだ。

…どうしたことか、コップ一杯の三分の一にもみたないくらいで、腹がいっぱいになってしまった。
そして、強めの酒を飲んだときのような、カッとした熱さが胃の奥からこみ上げてくる。
鼻息の中に、妙な熱を感じる。

…いや、いまの水、酒の味はしてなかったよな?

かといって酔っぱらうでもなく。

…あと、今さら気づいたが、二日前に目覚めてここまで、一口も水を口にしていなかった。

自分の中の「人間」の認識に、「十二時間以上寝る」とか「水を飲むと熱を感じる」とか「二日以上水を飲まなくても大丈夫」というのはなかったはずだ。

だとすれば。

だとしたら………

もしかしたら自分は、メイと同じく、「作り物」なのではないだろうか、という考えがよぎる。



ロビーに出ると、メイがロビーのテーブルを、念入りに念入りに拭いていた。

「おはよう」
「おはようございます、お客様」
「ちょっと聞いていい?」
「はい。なんでしょうか」
「君の知識の中では、人間って何時間睡眠する動物だってことになってる?」
「ええ…だいたい六時間から八時間くらい、ということになってます」
「君が0404号室まで自分を運んだの、だいたいいつごろかわかる?」
「そうですね…だいたい十六時くらい、かな、と」
「自分、たった今起きたばっかなんだけど…だとしたら、十八時間くらいは寝てることになるよ、ね」
「…ざっくり計算すると、たしかに…えっ、長くないですか、睡眠時間」
「いや、そうなんだよ。おとといもきのうも。自分も気づかなかったんだけどさ」
「でも、おととい船内のシステムでスキャンしたときは、システム的にはお客様は人間だと…」
「たぶんシステムから見たらあくまでそういう『見立て』ってことなんだろうけど…ねえ」
「はい」
「そのシステムでのスキャン、今もう一度やってくれないかな」
「は、はい…でも、どうして」
「本当に、自分が人間なのか、一度確かめたいんだ」

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手打ちのログも三日目だが、きょうもわりと、いや、かなり驚くべきことがあった。

まず、「お客様」が、「もしかしたら自分は人間ではないのかもしれない」みたいなことを言いだした。

お客様が人間なのかどうか。

いや…それ以前に、彼は彼で、独立した人格をもっている。
わたしのことを理解しようとしたり、勇気づけてくれもする。
わたしとおなじ作り物だろうがなんだろうが、あまり関係はない。
彼は、彼だ。

ただ、わたしが「作り物」であることでどこかもやもやとしたものを抱えてるのとおなじで、「もしかしたら人間ではないのかもしれない」ということが、あの人の心に動揺を与えたのだろう、ということは想像できる。

そして、最初から作り物とわかっている場合と、途中から作り物とわかる場合とでは、大違いだ。
「ブレードランナー」の、ロイの苦悩と、レイチェルの苦悩が異なるように。

ということで、「お客様」はわたしに、「乗客位置把握サービス」を使って自分をスキャンしてほしい、と頼まれたのだった。
しかも、「乗客位置把握サービス」がセキュリティシステムの一部だからといって、そこからバグとかセキュリティホールとか探せないか、と言われて…

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「じゃあ今から『乗客位置把握サービス』を起動しますが…ちょっと時間がかかります。なんかセキュリティシステム上でわたしの権限を昇格する必要とかあるみたいで」

どういうわけか、その乗客位置把握サービスとやらは、セキュリティシステムに絡む都合、起動が面倒だということだった。
唯一の乗員の行動や権限が、なぜこんなに制限されているのか、ホントにまったくよくわからない。

…ん?
権限の昇格?

「え、ちょっと待って」
「はい?」
「その乗客云々サービスを使う場合、セキュリティシステムでの権限が一時昇格される、っていうことならさ…」
「はい」
「てことは…もしかしたらそれを起動してる間、君の権限が上がって、入れなかったところにも入れたりとかするんじゃないかなーって」
「なるほど…でもそういうことでもないんじゃないかなって思うんです。なんか権限が昇格するのってホントにほんの一部みたいで」
「そっか…でも試してみる価値はあるんじゃないかな。なんならずっとその乗客云々を立ち上げたままいろいろ試してみるとか、アリなんじゃない?」
「そうですかね…それに乗客位置把握サービスも一度につき六時間しか起動できないから、ずっとってわけにはいかないみたいで」
「六時間あれば十分。それにもしかしたら、自己診断プログラムと同じく乗客云々にもセキュリティホールがあって、そっからいろんなとこに侵入できるかもしんないでしょ」
「たしかにそうなのかもしれないですけど、セキュリティシステムって案外強固で…あ、乗客位置把握サービス、起動できました」


乗客位置把握サービスとやらでスキャンした自分は、一応人間ということではあった。

その時点では。

「今わたしに見えている『乗客位置把握サービス』のデータ、見てみます?」
「うん。お願い」

きのうと同じく、メイの手からタブレットのような立体投影式ディスプレイが生成された。
そこには、メイの視覚情報が表示されていて、そこに映る自分の姿にいくつかの情報が重ねられている。

電子チケット番号:0404

推測される対象物カテゴリ:人間
推測される身体ステータス:覚醒/活動中/傷病なし(活動度=低 推測疲労度=低)
推測される心理ステータス:困惑/緊張(介入必要度=中)

「なるほどね…で、これが表示できる全部?」
「これ以上の表示をつかったことないんですが…追加で詳細を表示できるみたいです」


乗客名: 未登録
年齢: 未登録(推測 30代前半)
身体ステータス詳細:
介護必要性 明示なし
(推測介護必要性 なし)
埋込機器 心臓ペースメーカ(推測)
体温 約36℃
発汗 ほぼなし
推測ストレス評価 B-

「ペースメーカ、ね…心臓悪かったみたいだね、自分」
「でも、推測ですし」
「…一応この船的には、自分は人間みたいだけど、やっぱりまだわかんないよね。ときたところで…」

その乗客位置把握サービスが起動している間に、メイの立ち入れる場所が増えているのかどうか、確かめてみた。

結果として、変わらなかった。きのうのフロントにも入れなかった。
この「乗客位置把握サービス」は、船のセキュリティでもごく入口の部分にあるのだろう。

ただ、自己診断プログラムにあったというバグやセキュリティホールのようなものが、こちらにもある可能性があった。

「どう?セキュリティホールとか、ありそう?」
「そんなに簡単に見つかれば苦労はしませんよ…でも、ちょっと気になることがあって」
「なに?」
「おととい言ってた、自己診断プログラムのバグを突いたroot奪取のことなんですけど…」
「ああ、言ってたね、それ」
「…よくわからないんですけど、今確認してみたら、あったはずのバグが見つからないんですよ」
「あー、もう塞がれちゃったとか」
「でもこの船、ここまでわたししか乗ってなかったじゃないですか…なのにバグフィックスされることって、あります?」
「だね…じゃあ、ホントはだれか乗ってた、とか、だれかが遠隔で監視してて、それでバグを直された、とか」
「え…それならそれで、問題、というか、攻め方が変わってきますよね…」
「ちなみに自己診断プログラムのバージョンが変わってたりとか、挙動が変わってたりとかは?」
「してないですね…」
「なんだろうね…思い違い、ってことはないよね」
「たぶん、ないと思います」


外を見ると、雨が降っていた。ぱらぱらと、窓に雨が打ち付けられていた。海はそれほど荒れてはおらず、暗い青の海面が、ひそやかに雨を受け止めるばかりであった。

彼女がプログラムのバグやセキュリティホールを探してるあいだ、なにか退屈がしのげないかと、なんとなしに財布を出した。
リップストップ生地の、どことなくあかぬけてない、しかもベルクロ留めの財布。嫌いじゃないが、カジュアルすぎるにもほどがある。
ゆっくりベルクロをはがして中をのぞき込むが、きのうメイから預けられた青のマスターキーと、自室の電子チケット含む三つの磁気カード、そしてバーコードつきのラミネートカード以外にはやはり何も入っていなかった。

今持っているうち、磁気カード二枚とラミネートカードだけが、用途不明だ。


「…1523927555」
「…え?」
「そのカードのバーコードです…」
「…どういうこと?」
「あの、そのバーコードを読みとると、その数字になるんです」
「…あ、そうなんだ。これ、見せたことなかったっけ」
「今はじめて見ました」
「でも…これなんのカードなんだろうね…このカードとかバーコードの数字に覚えは?」
「やっぱりないですね…」
意外なところでバーコードについてひとつ情報が得られたものの、それがなんなのかは、やはりよくわからない。


そのあと、メイはまるでガチでフリーズしたかのように、バグ探しに集中していった。
そこで、自分は邪魔にならないよう自室に戻ることにした。
ただ、自室に戻ったところでやることもない。
自室でも船内配信サービスを使って映画を観ることはできるが、きょうはそういう気分ではない。

窓際に椅子を置いて、雨の降りそそぐ海をぼんやり見つめる。

自分は、一段と深い混乱の中に引きずりこまれてしまった。
船内システムでスキャンした自分は、船側の推測では人間ということだが、それがなんのたしになるのか。

ペースメーカのようなものがこの体に入っているかもしれない、という意外な情報もあったが、知ったところでやはりよくわからない。

しかし、自分はいったいどうしてしまったのだろう。
知らないあいだに…おそらくなったのだとすれば目覚めるまでのあいだに…そうなってしまったか、させられてしまったのだろうか。
自分が人間ではないものになったのか。人間というものがこういうものになってしまったのか。そもそもこの世界における人間とはそういうものだったのか。

そういえば。
目覚めてからなにも食べてないし、空腹感もない。食欲というものがはじめからなかったのではないか、というくらいすっぽり頭から抜け落ちている。
軽食スタンドにもレストランにも食材らしきものはなかったから、腹が減らないというのはお誂え向きなのかもしれないが。

(メイによれば、700人ほどが一週間生存できる程度の非常用食料が備わっているそうなので、腹が減ったところで当分は死なないだろうし、たぶん水と同じく食う量も極端に少なくなってるだろうから、心配はないだろう)

しかし睡眠時間についてもそうだが、なぜこうも気づくのが遅いのか。

謎が解けなかろうが、おそらく死ぬわけではないだろう。
不安があるわけではない。しかし、今立っている場所が、アイデンティティとかそういうものにとって不安定であるのは間違いない。

自分は自分の名前すら忘れてしまった。それで困るような状況ではないにしろ、自分がどうなってしまって、どうなってゆくのか、見えない。


やがて、眠気のさざなみのようなものがおしよせてきた。

きょうは、こんなもんで眠くなるのか。
まだ、起きて一時間くらいしか経ってないんだが…

まあ、二度寝みたいなものか。
べつにその眠気に抗うつもりもない。寝てしまおうか。

あきらめたように、自分はベッドに体を放り投げた。

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お客様が自室にもどったあとも、ずっと船内センサが把握したあの人の状況を、「乗客位置把握サービス」を走らせて監視しつづけた。
きのうあの人が言っていた「はじめは羊でも、やがて狼になることもある」ではないけれど、なにか「人間ではない存在の兆候」というものが、センサで掴める可能性はあった。

とりあえず、「乗客位置把握サービス」上では、お客様は人間として認識されていた。

それも船内システムのAI的にはこう判断しました、という程度のものでしかないはず。それ自体はあまりあてになるようなものではない。
ただ、継続して観察することで、見えてくるもの、わかってくるものもある、はず。


しかし、「乗客位置把握サービス」を走らせ続けた理由は、さっき書いたように、それだけではなかった。

このシステムまわりに、バグやセキュリティホールがないか。


わたしが扱える船内のシステムでは、唯一この「乗客位置把握サービス」だけが、セキュリティに関わる部分と絡んでいた。

はじめてこのシステムを使ったときには、思わずシステムがよこすメッセージに対して「権限の昇格とかどうでもいいから」と思ってしまったが、よく考えると、セキュリティまわりに対してじかにアクセスできる手段になりうるのだった。

じゃあ、なぜそのときにとっさにそう思えなかったのか。

たぶんそれは、あきらめのようなものだろう。
船の自己診断プログラムにあったバグからrootをとって、全ての船の情報にアクセスできるようにしようとしたら、セキュリティシステムにからひどく返り討ちにあった、あの事件。
懲りたつもりではなかったが、慎重にはなった。
でも、いつのまにか、慎重さはあきらめへと変わっていったのだろう。
いや、懲りてはいない、というのもわたしのただの思いこみなのかもしれなかった。「いつかやろう」のいつかをいつまでも先延ばしにするようなものなのかもしれない。

とはいえ、今はすこし状況が違う。
あの人が(たぶんよくわからないながらも)背中を押してくれたのだ。
彼とはまだ三日ほどしか過ごしてないはずなのに、なぜかしっかりと、わたしの心の支えになっている。
どういうことなんだろう。不思議だ。


…と言ってはみたが、自己診断プログラムのバグから船にアクセスするのと、セキュリティシステムをいじってアクセスするのとではだいぶ違う。表に番犬のいる家に対して、裏口の鍵を開けるか、番犬をてなずけて表から入るかくらいの違いがある。

ちなみに、わたしから直接セキュリティシステムに権限昇格を申し出るわけではない。
船内管理システムに対して「乗客位置把握サービス」を使いたいと申し出ると、船内管理システムとセキュリティシステムとのあいだでやりとりを行い、船内管理システムから承認がおりれば、セキュリティ権限が一部かつ一時的に昇格され、セキュリティシステム上の「乗客位置把握サービス」が使える、という流れになっている。

アプローチとしては、二つ。
ひとつは、一時的かつ一部権限昇格しているあいだに、セキュリティシステムの穴を突いて、より高度な部分へと踏み込んだり、より上の権限への昇格を目指すもの。
もうひとつは、船内管理システムとセキュリティシステムとのやりとりに介入して、確実な権限昇格につなげるというもの。

まずは、後者のほうから試してみようとした。船の自己診断プログラムのバグを応用すれば、できると踏んだからだ。
「乗客位置把握サービス」が走っているあいだ、三十分に一度、船内管理システムとセキュリティシステムとのあいだで、権限昇格の維持に関する確認のやりとりがある。そこにうまく介入できれば、セキュリティシステムをうまいことダマして、わたしをより上の権限にすることもできそうだった。

しかし、そこで問題が発生した。
自己診断プログラムのバグが、あったはずのところになかったのだ。
まるではじめからそんなモノなどなかったかのように感じるくらい、きれいさっぱり。

見た限りでは、バグフィックスされたような形跡はない。バージョンも変わってはいない。そもそもろくな権限を持たない二人しか存在しないこの船で、だれがシステムまわりをいじれるのか。

…いや、実はいるのかもしれない。
この客室区画ではなく、わたしたちの立ち入れない乗務員区画や、おそらく車両甲板があるであろう下層に、わたしたちを監視する、だれかが。

そんな恐ろしい考えを振り切るために、さっき書いたアプローチの前者、一時昇格中に突けるセキュリティホールがないか、探索をはじめた。
ごく浅い部分ではあるけれど、セキュリティシステムの内部を探るのは大変だ。ずっと腫れ物にさわるような姿勢を崩さないように。少しでもヘタなことをすれば、警告、いや、だいたいの場合それ以上のペナルティが瞬時に与えられる。ひどいときには前みたいに一カ月くらいなにもできなくなってしまう。
神経をすり減らすような、極度の集中が求められた。

それを察したお客様が部屋へと戻っていったあと、二時間くらい探索を続けていた。

しかし、突然、その「乗客位置把握サービス」から、アラートがあがってきた。
ヘタなところを触ってしまったか、と恐れおののいたが、そうではなかった。


「チケット:0404の乗客について、健康チェックの必要あり」

「身体ステータス:睡眠中/体温上昇(緊急度A+)」


0404号室のドアをあける前に、軽くノック。
耳をすませて反応を待つが、ない。
念のためもう何回かノック。やはり反応なし。
静かにドアをあけると、二つあるベッドの片方で彼は寝息をたてて寝ていた。
「乗客位置把握サービス」によると、発熱の兆候を見せているとのことだったが、見たところ何の問題もない。

掛け布団もシーツもかけずにベッドの上にごろんと転がってはいたが、とくに息苦しそうな様子でもなく、うなされているわけでもない。気持ちの良さそうな顔で、濁りのない寝息をたてながら寝ていた。

ただ、念のため本当に熱がないか、彼の額に手を触れてみた。


…わたしは驚愕した。


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目が覚めると、なぜか枕元にメイがいた。
彼女は椅子に座って、自分をじっと見つめていた。

額に違和感がある。なにかが乗っている。
かたくしぼったタオル。
メイの隣の小さなテーブルには、水をはった洗面器もある。

「おはよう」を言うよりも先に、「なにこれ」、と言ってしまった。

「…それよりも、大丈夫ですか?」
「ん…なにが」
「熱、です」
「…熱?」

またもや混乱していた。
べつにきのう寝に入るまえに、熱があったとか、体がだるいとか、そういうことはなかった。
寝ているあいだに発熱したのかもしれないが、いま、体力の減衰とかだるさとかもない。

「あの、きのう『乗客位置把握サービス』を動かしてたじゃないですか。そしたらお客様の体温が上がってる、ってアラートがあがってきまして」
「ほう」
「で、確認してみたら…体温が60度まであがってたんです」
「60度…え?」

体温が60度、というのは、人間ではありえないことだ。普通の人間は、40度を超えるとヤバいはずである。

「ウソでしょ?」
「…これ、見てください」

彼女の手にタブレットが生成され、そこに寝ているときの自分の姿が映し出された。

「これ、きのうの夜わたしが見た視覚データなんですけど…あ、勝手に寝てるところ撮ってごめんなさい」
「大丈夫、減るもんじゃないから」
「で…ええと、わたしの目には、あまり高度ではないですけど、サーモグラフィ機能がありまして…」
自分の寝姿の動画に、そのサーモグラフィのデータが重ねられた。中央にはレティクルのようなものがあり、その部分の温度が表示されている。
自分の寝ているあたりは真っ白、そして遠ざかるにつれて赤系の色のグラデーションになっている。
そしてレティクルの隣の数字は、驚くべきことに「62.3℃」。

よくわからないが、そのまま布団に伏せって、長い長いため息をついてしまった。

「…すみません、起き抜けによけい混乱させてしまって」
「いや…いいの…これでわかったわ…自分、やっぱり人間じゃなかったんだなぁ……」

これで本当に確定した。
自分は人間じゃない。
人間の形で、人間の思考と行動様式をもった、しかし実際は人間でないナニカだったのだ。

よくわかったような、ますますわからなくなったような。

そんな整理のつかない頭をかかえた自分に、すこしの沈黙のあと、メイが言った。

「でも…………」

布団から顔をあげると、彼女はやさしそうな、かつ凛とした視線をまっすぐ自分に投げかけてきていた。

「でも、人間だとか人間じゃないとか、わたし、関係ないですから。あなたは…あなたですから」

「……ありがとう…うん、ありがとう」

なんだか少しだけほっとしてしまって、思わずメイに握手を求めてしまった。

差しだした自分の手に、彼女はおそるおそる手を伸ばし、握ってくれた。
自分も、やんわりとした力で握りかえす。

そういえば、彼女に触れるのははじめてだった。
人の皮膚とはやや異なる、すこしだけ摩擦係数の高い肌触り。
細く、やわらかく、なんだか強く握ったら壊れてしまうのではないかというはかなさを思わせるそのつくり。
そして奥におびた熱は、人のそれとあまり変わりがなかったように感じた。
血が通っていそうな、あたたかさ。


「…あ、いまの自分、体温下がってるかな」
「はい、一時間ほど前に急激に、いわゆる平熱に戻りました」
「…でもさ、なんなんだろこれ。なんでそんな発熱してたんだろ」

謎だ。
睡眠時間が長い上に、寝ているあいだに非常識なほどの発熱。
これが自分の「仕様」、もしくは「機能」だとすると…
寝ているあいだになにかの処理をしているのだろうか。

しかもこの発熱、きょうだけなのかずっとなのかもわからない。

やっぱり、なんだかまとまらない。

そのうち、まとめておかないと…

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