プラスチックモーテル

かいだことのない
コリタスの香りではなく
焼けたアスファルトのたてる
じれたようなにおいが
あてのない真夏の
半月強の旅路を
招き おだて 導く
フライパン並みに熱い
ボンネットにまで
逃げ水が生まれてはしゃぐ

飯もろくに食わず
ルートビアをさんざんあおって
湿布のにおいのげっぷを
後続車に投げ捨てる
やがて追いついた黄昏の伸ばす手は
テールフィンに切り裂かれたのでは
そんな妄想を抱くほどに
ヘッドライトと自分の目だけが
爛々と輝いていた

ルートビアを燃料に
疲れを知らずに走ってきたが
背後へ流れていった街明かりは
どんどん光を増して遠ざかり
目の前は青黒い闇が
どんどん深みを増して迫る
この街を過ぎるとたぶん
次の街に着くまで
夜を越してしまうだろう

適当なモーテルでいい
ベッドとシャワーがあるくらいでいい
一夜を過ごせればいい
休めればいい
寝られなくてもいい
とりあえず目に付いたモーテルへ
わがままなテールフィンをおごられた
巨躯の相棒を曲がらせ止まらせる

そして そこはまるで
プラスチックでできたモーテル
薄いピンクと目の覚める白
ときどきミントグリーン
向かいの商店の明かりや街灯を
既製品じみた 新製品じみた光沢が
ぬらぬらと蠱惑的にはねかえす
自分が四十八分の一スケールの
小さなプラスチックの人形にでも
なった気分だ

内装も内装でプラスチック色
フロントの夫婦はしわひとつない中年
服はフィフティーズ風
色は二人ともうすピンク
プラスチックのように固まった
しかし雰囲気のよい笑顔で迎え
自分もきまりの悪い微笑とともに
二束三文の宿賃を払う

部屋の布団までもが
安っぽいドールハウスのように
固いプラスチックのテクスチャ
そのくせ触るとすごくふかふかで
ギャップにむしろ頭を抱える
部屋にあるものどれもこれもが
誘うように拒むようにてかてかしている
汗臭さを削ぎ落とすシャワールームも
汚れひとつもないのはいいが
こじゃれた菓子のような色合い
奇妙な憧れと居心地の悪さに
シャワーあがりのしずくも拭き取らず
小一時間ばかり立ち尽くしていた

向かいの商店で適当に酒と飯を買う
ごちゃごちゃと既製品と新製品が
陳列される古びたすすけた棚たちに
実家に帰ったような安心感がわく
商店のおやじにたわむれに
モーテルのことを聞いてみたが
ずっといつからかそこにあるから
特におかしいとも思わないらしい
あすこの夫婦は感じがいいと
まあ たしかに感じは悪くないが

くそ熱い夜にクーラー全開で心地よいが
居心地の悪い空間で飯を食い
ルートビアでないビールを二本ほど
胃袋にさらさらと流し込むと
待望の疲れが無音でノックして
この部屋に入り自分の隣に座った
明日はどこに行こうかと手に取った
部屋に置いてあった観光案内のちらしも
大瀑布やキャンプに興じる親子が
かすんだりぼやけたり
苦いげっぷを部屋の空気にぶん投げて
電気もクーラーもテレビも消さずに
そのうちそのまま寝てしまった

テレビのやくざなクイズショーの音で
目を覚ました自分
腕時計を見るとまだ夜の九時
とりあえず電気とテレビを消そうと
立ち上がろうとしたとき
ふいにクイズショーの司会者の
芝居がかったおしゃべりが
冷えすぎた部屋の空気にすっと消えた
すべての音を吸い込んだ空気の中
ゆっくりと身を起こすと
テレビにピンク色の粘液のようなものが
見上げると テレビの上にあった
うすピンク色のクーラーが溶けている!

ブラウン管のテレビはバチバチと
スパークしながらやがて破裂
頭に熱を感じて払いのけようとすると
手にはミントグリーンの粘液
天井も溶けはじめて いつの間に
部屋にパステルの雨を降らす
ベッドに突いたひじも布団とマットが
粘液と化しつつあるものに
飲み込まれつつあった
奇妙な粘液にまみれながら
部屋を抜け出そうとドアノブに
手をかけると
白いドアノブがマシュマロのように
手の中でぐにゃり

ねろねろになったドアを突き破り
フロントへ駆け込もうとしたが
外装ももはや悪魔のいびきのような
まがまがしい音を立てながら溶解
なんとかフロントのドアをかき分けて
中を覗くとそこには
ピンク色の粘液になりかけた夫婦
あの表情のまま溶けてゆきながら一言
「申し訳ありません」
何が と言いかけたところで
溶けたうすピンク色の粘液が
夫婦だったものを取り込みうねる

命からがら逃げ出して道路を渡り
向かいの商店に逃げこもうとした
気づくとモーテルだったものの残滓
身にからみついたパステルの粘液たちは
とうに消滅していた
振り返ると空き地にテールフィン一台
何事もなく虫たちが静寂を鳴いていた
モーテルが溶けるのはおやじに
見えなかったらしい
どころかそこにモーテルがあったことを
まるまる忘れて平気な顔
あすこはずっと空き地でしたぜ
変な夢ってあるもんですよ

ずっとそこにあったはずの
プラスチックのモーテルは消えた
熱帯夜にせめられ溶けて消えた
モーテルの名前は知らない
通り過ぎるものはみな気づかず
ここにモーテルが
あったことすらわからないだろう

商店のおやじの部屋に泊まらせてもらい
朝飯の誘いも断り
翌日朝早く出ようと車に飛び乗ったら
助手席にうすピンクとミントグリーンと
白の塗料がべったり
どころか真っ赤な巨躯のテールフィンも
うすピンク色に染まっていた
幻じゃなかったと安心しながら
薄気味悪いと戦慄しながら
来た道を戻る

プラスチックのモーテルがあったことを
とりあえず残しておきたかった
自宅に戻ったら模型店に行こう
モーテルのプラスチックモデルくらい
どこかにあるだろう
パステルピンクと白とミントグリーンの
塗料を買って
あのモーテルがあったというモニュメントを
作ろうじゃないか
行くあてもない旅は
プラスチックモーテルの記憶とともに
終わりを告げた

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