(詩)九時十七分

娘を連れて
生まれ育った街を訪れるたび
彼女は無邪気に言う
止まった時計も一日に二回
正しい時を指すと
そのたび私は釘をさす
残念だけどその言葉は世間的に
あまりいい意味じゃないんだよ

まだまだ気ままに動かんとする
小さくやわらかな左手を
離れないよう右手で包みこんで
黒い石畳を歩く
人もまばらな広場に面して
屹立する時計塔
九時十七分を指したまま
百年くらい止まったまま
ぼくが知ってた姿のまま

かつて私の場所だった
二階の小さな部屋からは
時計塔がよく見える
壁の褪せた写真のひとつは
得意げに初めての腕時計を
見せびらかすぼく
階下からは父母と伯父の談笑
野菜と香草の煮込まれる香り
嗅覚の九時十七分に引き込まれ
ぼくだった時間を懐かしむ私に
娘はかまうことなく
13時25分の部屋から
九時十七分を見つめている

夜の九時十七分を
見送ることなく
娘は眠ってしまった
安堵まじりの寝息を横に
iPhoneの21:16と
にらめっこしながら
静かに九時十七分を待つ

ある夏休み ぼくは
いつからあの時計塔が
九時十七分にとどまったのか
調べようとしたことがあったが
結局わからずじまい
あの夏の日々に一緒の時間を
ひんやりした図書館で過ごし
後に地元の大学へ行った
私の親友にも
調べはつかなかった

そんなことを思い出しながら
九時十七分が過ぎてゆくのを
私は見送った
時計塔はまた時間の流れに
数万回めの別れを告げ
22時には時計塔の
ライトアップが消えた

娘にせがまれて
朝の九時十七分を広場で待つ
遠くの教会の鐘が聞こえてから
私の左手首の上では
トゥールビヨンのキャリッジが
十五周ほど回転した
娘は両手でiPadを握り
時計塔の九時十七分と
広場の中央の9時17分が
合流する瞬間を撮ろうとしていた

9時17分ちょうどに鳴ったシャッター
娘は鞄にiPadをそそくさとしまい
私の右手を小さな左手で包もうとした
そんな私の左手の中には
とうの昔に電池の切れて
動かなくなった安物のクオーツ
ぼくが律儀に九時十七分にして
机の引き出しにしまっておいたのを
昨夜の私は見つけたのだった

私の右手は娘の左手に握られて
私の左手はぼくの九時十七分を握る
やがて私と彼女には9時18分が訪れ
次の九時十七分までを追いかける

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