真夜中のでんでん太鼓

わたしが生まれ育った村では
毎日真夜中になると
森の奥から
でんでん太鼓の音が鳴り響く
日によって鳴らされる時間は異なり
どうやら月齢にあわせているようだった
新月の日には短く
満月の日にはひときわ長く
てんてんてん
てんとこてん
とことんてん
ててててとん

いつからそうなのかは
誰も知らない
記録もなく
村に伝わる古文書にも
いっさい残されていない
村のものは誰ひとり
一日一回のでんでん太鼓を恐れず
真夜中には森に近づいては
いけないというしきたりもなかった
村で生まれ育った子供たちも
でんでん太鼓のことをつきとめる
肝試しを一度はやるのだが
誰ひとりとしてでんでん太鼓の主を
見つけることができず
誰ひとりとして
夜更かししたことを咎められる以外
悪い目にあったことがない

村から出て大学に行ったわたしは
いつか友達たちにそんな話をした
気味悪がるもの
興味深く聞くもの
非科学的だと嗤うもの
はしゃぐもの
ただただじっと聞くもの
いろいろいたが
みんな興味を持つという点では
共通していた
だから大学はじめての夏に
友達数人と実家に泊まって
真夜中のでんでん太鼓を
みんなで聞くことになった
一日めは無駄に広い部屋と
焼き肉とすいかのもてなしで
はしゃぐ一同
しかし旅疲れに全員電池切れし
誰ひとりでんでん太鼓を聞かずに
寝てしまった

二日めは実家の畑仕事を
みんなで手伝いつつ過ごす
疲れてまた聞けないのではと思ったら
気合いとコーヒーと怪談で乗り切って
でんでん太鼓をみんなで聞いた
てんてんてん
てんとこてん
とことんてん
ててててとん
三日めは朝からみんなで
ささいな大議論
誰のせいなのか
人間ではないもののしわざか
それともあの音は実は
でんでん太鼓ではないのか

そして昼からは
でんでん太鼓の鳴る森へ行く
特に怪しい雰囲気もなく
いわくありげな祠などもない
薄暗い森の中を涼みながら
みんなでぐるぐる
不思議なことを期待したのに
雰囲気のいい木立にがっかりしつつ
それでもなぜかみんなで満足
その日の夜はいよいよ
でんでん太鼓の鳴る時間に森へ
でもやっぱりわたしの子供の頃みたく
特にでんでん太鼓の主に
行き当たることもなく

四日めの夜は
誰かが持ってきたでんでん太鼓で
真夜中のでんでん太鼓と
交信を試みることに
満月の下 木漏れ月の中
響きはじめるでんでん太鼓
はじめはその鳴らし方に
あわせるように
しだいにリズムを少しずつ
変えながら
しかし真夜中のでんでん太鼓は
リズムをいっこも変えることなく
こちらにかまわずに
てんてんてん
てんとこてん
とことんてん
ててててとん

でも鳴らしてるやつはノってきて
ててんてんてん
てんてんててん
とことことてん
てんてんててて
そのうちだれかが手拍子をはじめ
でたらめな歌を歌い始める
気づいたらみんな踊ってて
森の中からのでんでん太鼓が
鳴り止んだのにも気づかないまま
小一時間ばかり踊り狂っていた

へとへとになって戻り
目覚めた次の朝
そのことを両親に話したら
母がこんな話をしてくれた
もともと母は都会の生まれで
大学のとき知り合った父から
真夜中のでんでん太鼓の話を聞いて
ある夏この村を訪れた
わたしたちのような物見遊山でなく
研究の題材にしようと考えて
下見にきたのだという
ある日父に連れられて
真夜中の森に踏み入り
でんでん太鼓の主に近づこうとした

その日は満月で
森の奥からいつものように
てんてんてん
てんとこてん
とことんてん
ててててとん
そしたら父は戯れに
でんでん太鼓の音にあわせて
手拍子をはじめた
でんでん太鼓は変わらずに
鳴り続けていたが
ふいに楽しくなって二人して
枝葉から漏れる月明かりの下で
でんでん太鼓が終わっても
朝になるまで踊っていたという
母と父が結ばれたのも
それがきっかけだったとか

なお母によると
満月の日にでんでん太鼓の鳴るとき
森にいたら結ばれるとか
太鼓に合わせて手拍子したら
踊りたくなるという言い伝えは
当然のようになかった

母にもわからなかったという
でんでん太鼓の謎は
結局わからないまま
しかし何年かあとに
この中の誰かと誰かが
結ばれているのだろうか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?