小説「tripper」10章~考える機械たちの午後~

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彼がこの部屋から出ていったあとも、わたしはずっと、ベッドの上に寝転がっていた。
ただただ、まだおぼろげな意識をかかえたまま、ワーヘッドにトレースさせた入出力データの解析結果を待っていた。

プロセッサの負荷はもう問題ないレベルまで下がってはいたけれど、まだなにか、体に残る火照りのようなものがわたしを支配していた。
自分の筐体のモニタリングデータにも、センサの記録にも、はっきり、どころか場合によってはまったく残らないかもしれない、奇妙な感覚。


そう。感覚といえば。

あまり思い出したくもない悪夢もそうなのだけれど、わたしが耐えられないのは、あのときの感覚だ。

わたしではないものが、強引に、わたしの中へと入ってくるあの感じ。
たんに異物が入ってくるのとは違う。わたしではないものが、むりやりわたしの中の核の部分をわしづかみにするような、ごわごわした手触りをともなう感覚。

わたし自身、確固たる自我のようなものがあるわけじゃない。でも、最低限の「わたしは、わたしでいたい」というおぼろげな望みのようなものを、あのとき襲ってくる感覚は、無神経に蹂躙してゆく。

わたしが彼に、手を握っていてほしいとお願いしたのは、心細かっただけじゃない。
わたしがわたしのままでいることを、わたし自身が確かめるためでも、そして彼に確かめてもらうためでもあった。
そのことは、彼には言わなかったけれど。

わたしがわたしのままでいられなくなるのであれば、いつかのように気を失ってなにかしてしまう可能性があるから(しかもあのときなにをしたのかは覚えてない)、逆に彼を近づけさせないほうがよかったかもしれない。

なんだか、またひとつ彼を、巻き込まなくていいことに巻き込んでしまったような気がしている。

彼がそばにいてくれること、同じ方向を見てくれていること、もっと頼っていい、とは言ってくれたこと…それらには、本当に感謝している。
でも、それでいいのかはわからない。
特に、彼にとって。

距離感がつかめない。
そもそも、今、彼とわたしはどういう関係なのか。
いや、どういう関係でいればいいのか。

ただ、予感はしている。
船の目的地がわかって、そこへ行き着けたとしても、彼とはこれで終わりではなさそうだ、と。

そのときどんな関係で、そのあとどんな関係になるにしろ。


そういえば、このベッドを使うのは初めてだった。
機械の体を持つわたしには、眠る必要がない。定期的なチェックと都度のメンテナンスさえ怠らなければ、わたしの筐体は休みなく稼動させられる。精神、と言っていいのかわからないけれど、ソフトウェア的にも、さっきのリブートなどを行っていれば、問題を起こすことはない。それに、今までのリブートでも、ここまでこたえるものではなかった。
だから、ベッドを使う機会そのものがなかった。

そんなわたしが、今ベッドに身体を横たえ、やわらかな弾力に支えられている。
わたしの息にあわせて、マットのスプリングの支点のおりなす張力が、たしかな密度の中でたゆたっている。

わたしが「眠る」ことができるのなら、たぶん今の状態は「まどろんでいる」に相当するのだろう。
この筐体やプロセッサ、OSには「眠る」機能はないし、今まで眠ろうという気持ちが起こることもなかった。けれど今、唐突に、自分の状態を眠りに近い状態までもっていこうと思いついた。

各関節のアクチュエータにかかっている負担をゆるめ、センサからの情報を部分的に遮断もしくはフィルタリングして、姿勢制御や処理に関わる負荷をおさえる。
プロセッサの廃熱も終わったので、口と鼻から息をすることすら止めてしまう。
視覚センサの情報も切ってしまおう。まぶたも閉じてしまおう。

そんな風にして、わたしはたぶん生まれて、いや、作られてはじめて、眠りのような状態に入った。


とはいえ、夢を見ることまではできなかった。
彼とどういう関係を築いていけばいいのかについて、まだまだ考えなければならなかったから、最小限のマシンパワーを使って、ゆるやかに考えることにした。
筐体のあらゆる負荷が最小限になった今、わたしの悩みだけが、プロセッサの奥のほうでちろちろと、弱いパルスを放ちながらうごめいていた。

もしかすると、なにか人がする「恋」のようなものなのではないか、とも考えた。でも、ちょっと安直にすぎる気もした。
もっと基本的な、人と人とのつながりを、わたしたちは結ばなければならないような気がしている。
好意、あるいは恋というものは、たぶんその先にあるのだろう。よくわからないけれど、そう思う。

まあ、わたしも、あの人も、人ではないのだけれど。

あの人は、わたしのことを、人間らしい、と言ってくれた。
正直にいうと、うれしかった。
ただ、そのうれしさが、どこからきたものなのかは、わからない。
わたしより人間に近い存在から、人間に近いという判定をされたから?
たぶん、そうじゃない。
機械の扱いが人より下だとして、人間と同様に扱われたい、という気持ちはたしかにある。でも、人間になりたいのかというと、よくわからない。ひどい扱いはされたくないけれど、それが「人間になりたい」とイコールなのかというとそうでもない。
それとも彼との関係性?

なんでなんだろう。
いや、なんなんだろう。

考えても考えても、よくわからない。
なにしろ、あの人と出会ってから一週間も経っていないわけだし、まだ本当の人間には出会っていない。
考えるだけ無駄なことに、いまさら気づいた。


ワーヘッドの解析の進捗状況を覗いてみる。まだ54%程度。
解析できたところまでのデータを見ることもできなくはないが、速報値でおおよその見積はできたので、あまりその気はない。

やることがない。
体も心も通常に戻りかけてはいたけれど、まだ休んでいたい気分。
なんだか急激に、自分が機械っぽく感じられなくなっている。
まだまだ休みたいと思う機械なんて、いるのかな。
人間っぽいと言われたから、急に思いこみが強くなっただけなんだろうけど。


しばらくして、自分で止めていた各種機能を再開させ、わたしはため息をつきながら目を開いた。
ため息にあわせて、ベッドの上を、はりのある硬い波が短く伝う。
そして、顔を掛け布団に半分うずめた。

ベッドメイキングはしばらくしていなかったと思うけれど、ベッドは特にほこりっぽい感じはしない。部屋自体あまり使うことがなかったから、ほこりもあまり立っていなかったのかもしれない。
なんとなしに姿勢を変えて、小さなデスクのほうに目をやる。

わたしが手打ちのログを打つのに引っ張り出してきた、古ぼけたラップトップ端末がある。
安っぽい銀色の塗装がところどころはげていて、使い込まれた感じのある、厚ぼったい端末。
そういえばここ数日、手打ちのログを書くのを忘れていた。
なかなか長続きしない。三日坊主の機械なんて、わたしくらいしかいないかもしれない。

もっとも、この世界には、わたしとあの人の二人…というか、「二体」しかいないのかもしれないけれど。


どのくらいの時間かもわからなくなるくらい、ぼんやりとあれこれ考えていたら、ワーヘッドからお呼びがかかった。
入出力データの解析が完了したらしい。

詳しい入出力データを見られるほど分解能の高い情報は期待できないにしろ、大まかな流れと内容、それと、どの程度の負荷までであればシステムから攻撃対象として探知されないか、がわかればいい。ただしなにしろ自分がシステム上停止した状態で、かつリブートまでかけられるということで、ワーヘッドにいろいろと任せておいた。
ワーヘッドにはわたしのように人格のようなものが備わっているわけではないけれど、マシンパワーをスクリプトやアプリケーションの起動といった単純な仕事だけに使うわけではなく、ちゃんといろいろ「判断できる機械」ではあるようだった。

わたしの知りたかったことが、「判断する機械」としてのワーヘッドによって、コンパクトなレポートにまとめられている。
システムがわたしの記憶データを強制的に「倉庫」へと吸い上げリブートをかけている間に起こっていたこと。
なぜわたしの記憶が送られるときに悪夢のようなものを見るのか。
そして、わたしの強制リブートにあわせて、システムに侵入できる可能性。

速報値の時点で、ワーヘッドの力を借りれば力業で侵入が可能、ということはわかった。さらにワーヘッドによるレポートと詳報で、ざっくりとだが戦略を組み立てられそうだ。
船のシステムとわたしの間に形成されるパイプラインに対して負荷をかけることで、システムがわたしの処理系をオーバーライドするのを遅延させたり、割り込むことができるようだった。その間にワーヘッドにソフトウェア上で防壁を構成させることもやりようによっては可能。そこでわたし自身をエージェントに偽装させ、パイプラインからシステムに侵入、改竄することで、権限昇格することもできそうだ。ただ、リソースの関係で、強固な防壁や凝った偽装まではできないか。
いや、いっそのこと、わたしがオーバーライドされるときに、トラップが作動するような仕組みのほうがリソースを有効活用できるか。捨て身にはなってしまうが。
でも、それはやはり最後の手段にとっておこう。
まだそのときではない。
彼をひとりでこの世界に置いていってしまいたくない。
それは、いやだ。

しかしなぜ、そう思うのだろう。
わたしにはまだわからない。


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「もう、大丈夫なの?」

ロビーのピアノ近く、一人掛けのソファにたたずんでいた彼は、わたしを見るなりそう話しかけてきた。
午後五時の太陽が、彼の背中の向こうにあった。
「はい。ちょっと眠ったら楽になりまして」
「それはよかった。いつも、あんな感じなの…?」
「今回は、特に…あ、今日はありがとうございました。すごく助かりました」
「いやいや、だいたい手握ってただけだったし」

わたしも、彼の隣の椅子に、ゆっくり腰をかけた。
透明なアクリルでできたピアノが、わたしたちにかまうことなく、連なった音を空間に放り投げていた。

「ねえ…この自動演奏のピアノって、曲目とか変えられないのかな」
「わたしの権限じゃできなくって。止めたいですよね、この音」
「へえ…ショパンは苦手なの?」
「いえ、ショパンが嫌いというより、この音が」

ショパンという作曲者がいて、今流れているのが一般的に「別れの曲」と呼ばれているものであることは、わたしの中にも、いわゆる「一般常識」としては記録されている。
ピアノがなんであるのかも、そこから流れてくる音の連なりが音楽であるということも、そして人間が音楽によって気分を落ち着かせたり、高揚させたり、楽しさを感じることも知っている。

でも、どうしてなのか、わたしは音楽というものを「理解」できなかった。
人間と似たような感情や感覚を持ち合わせているのに、音楽とは高低の異なる音が連続しているだけのもの、としか認識されなかった。なんというか、音楽という概念そのものが、頭から抜け落ちているような感じに近いかもしれない。

そして、どういうことなのか、わたしにはその音の連なりがすこし不快だった。
ロビーで昼夜問わずいつも流れていて、慣れているはずなのたけれど、ちょっと耳の奥にきんきんとぶつかってくる感じがして、出来れば止めたいな…と思っていた。
そしてわたしのセンサやプロセッサの機能を使ってフィルタリングしようにも、なぜかどうもうまくいかなかった。

「なるほどね…」
「わたしも、なんでなのかよくわからなくて…なんなんでしょうね、これ」
「んー…それって、なんというか、はじめから音楽を人間並みに楽しむ機能がないというよりは…いや、ちょっと失礼な話になるかもしれないけど」
「いえ、かまいません」
「それ…『故障』とかそういうたぐいのものなんじゃないかな、って」
「故障…」
「たまたま音楽を音楽として認識したり、それが人間にとってどういう影響を及ぼすのかを判定したりする部分が、うまく働いてないのかもね」
「なるほど…」

どこで壊れたのか、本当に壊れているのかどうかはわからないけれど、なんとなくわかる感じがする。
音楽を認識し、どのような効果を与えるものなのか判定する機能が初めからなければ、たぶん音楽からこんな感覚を受けることもないはずなのだ。
機械としてのわたしの直感だけれど、機械にとって感じとれないものは、存在しないものとして無視されるか、わたしの意識や認識とは関係なくフィルタリングされるはずなのだ。未知のものとして経験や知識を動員し適当なラベルをつけてとりあえずの解釈をするにしても、何の危害も与えないものをそのように分類することはありえないと思う。とくに、私のような機械であれば。
ただ邪魔なものとしてではなく、不快なものとして感じられるのであれば、それは特別であるか、そうでなければ異常だ。

機械というのは、基本的に壊れていることを自分では認識できない。船もわたしも、自己診断機能がなければそれを感じることすらできないのだから。
そして船のシステムによる定期的なスキャンでも、この「音楽を認識する機能」が壊れている可能性までは感知できていないみたいだった。
船のシステムの一部としてのわたしに、そのような機能は必要ないから、仕方ないのかもしれないけれど。

「ねえ」
「はい?」
「もしかしたらさ、ワーヘッドに君をスキャンする機能があったら、その『音楽が不快に思える』ほんとの理由ってわかるんじゃないかな」
「ワーヘッドにスキャンさせる、ですか…あ、そういえば」
「ん?」
「わたしがリブートのとき、『悪夢』を見る理由、わかりました」
「お、ほんとに?」
「はい。あのときにわたしの記憶の圧縮に伴う記憶データの再構築とか、あと定期的なスキャンよりも高度なスキャンも行われるみたいで、それをわたしのシステムが侵襲と受け取った結果、そのプロセスが好ましくないビジョン、すなわち『悪夢』として知覚される、ということだったみたいで」
「へぇ…でも、その定期的なリブートっていうのは、一応必要なものとしてあるわけでしょ。でもそれが君のシステムから『侵襲」と受け取られるってことは、それももしかしたら故障か何かの可能性がなくない?」
「これも、ですか…」
「あ、気を悪くしたかな、ごめん…で、でも、故障じゃなくて、ただの仕様って可能性だってあるしなぁ…たとえば、君が作られたころの技術じゃそのプロセスを侵襲的にしかできなくて、悪夢を見るのを回避できなかった、とか」
彼は焦りがちに、すこし早口で言った。
「お気遣いなく。わたし、気にしてませんから。確かに、なおればいいとは思いますけど」

実を言うと、そのときわたしはもう一つの可能性を考えていた。
わたしが、実ははじめからこの船のシステムの一部として組み入れられていたのではなく、あとから組み入れられたものなのではないか、と。
私のシステムと船のシステムの整合性がとれずにどこかで機能衝突しているとか、船のシステムが強引にわたしを支配下に置いているとか。そんなことも考えた。

もし強引に支配下に置くような存在があるのだとすれば、それはあの声の主なのかもしれなかった。
でも。
わたしに対して、おくりもの、すなわちワーヘッドの存在をほのめかしたような者が、そんなことをするだろうか。
その上でわたしたちを出し抜いて嘲笑うのが目的なら、それもありうるのだろうけれど。

「いずれにしても、ワーヘッドにきみをスキャンしてもらうの、考えたほうがいいと思う」
「でも、どうですかね…リブートのときだってわたしのシステムから侵襲だと認識されますし、いくら外部リソースとはいっても、ワーヘッドでわたしの深い部分をスキャンする行為が、わたしのシステムだけでなくて、船のシステムからも侵襲だと認識される可能性もなくはないし…」
そう言って、かかとを踏み潰したキャンバススニーカをつま先でもてあそびながら、わたしは軽くため息をついた。
「おれがなおせたら、いいんだけどね」
「大丈夫ですよ…今のところ、音楽が不快なのも、リブートのときの悪夢も、致命的なほどの問題じゃないですし」
「そっか…でも、なんとかしたいよね。今すぐはできないかもしんないけど、いつかは…ああ、そうだ」
「どうしました?」
「ワーヘッドって、おれ一人でも扱えるかな…君とつながずに、あのゴーグルだけで使えたりすんのかな」
「ゴーグルの機能はまだ精査してないんでなんとも言えないですね。あと、ゴーグル単体でネットワークにつなげられたとしても、パイプラインでつながってる端末がわたししかないですし、ほかの端末のポートからつなげられるのか、未知数ですね……じゃあ時間も時間ですし、このあと、わたしで精査してみますね」
「あ、それ、おれにも手伝わせて。おれのことだし…まあ、手伝えるところがあればの話だけど」
「でも、もうそろそろ眠くなる時間ですよ…大丈夫ですか?」
「大丈夫だって…多分ね」
「寝ちゃったら、0404号室に運べばいいですか?」
「ああ」
そう言って、彼は苦笑いした。


ワーヘッド自体は、ある程度の「判断する機能」は持ち合わせているものの、基本的にはスタンドアロンのコンピュータのようなものだった。なので、わたしのように頭がコンピュータでできている存在でなくても、扱い方さえわかれば使えるはず。
ただ、わたし以外でアクセスできれば、の話。
ワーヘッドはわたしのポートとパイプラインで直結しているが、別のデバイスのポートとパイプラインを形成できるのか。それが第一の問題。
二つめの問題は、ゴーグルが単体でネットワークに接続できて、かつポートを開けられるのかどうか。


「ゴーグル、持ってきました…じゃあ、まずわたし一人でゴーグルの設定をいじれるか、確認してみますね」
そう言ってわたしはゴーグルのケーブルを首元のジャックにつないで起動した。インタフェイスモードからどのように設定に入れるのかを探るのには多少難儀したけれど、隅々まで探した結果、入り組んだメニューの片隅にあるメンテナンスモードから設定できることがわかった。
「…設定画面、やっと見つかりました。投影しますね」
と言って、わたしは設定画面を彼にも見えるように投影した。
「すごいな…項目数も多いしかなり入り組んでる」
「拡大して投影します?」
「いや、大丈夫」
「ファームウェアのバージョンが0.3とかなんで、これ開発中だったんでしょうね」
「とりあえず、何かヘルプ的なドキュメントとかないのかな」
「んー…」
ざっとメニュー内を見てみたが、ヘルプや仕様らしきものが記載されていたりということはなかった。
「ひとつひとつ、しらみつぶしに探すしかないかな…あ、でもこういうのにワーヘッドって使えるかな。こいつの中身を解析したりとか」
「さあ…でも、このくらいならわたしたちで探せそうですかね」

そう言うと、わたしはメンテナンスモードの中身を彼に見せながらサーチしはじめた。その設定の細かさは、メンテナンスモードというよりはデバッグか何かのためのものに思えるくらいだった。とりあえずいまはゴーグルの通信機能に的を絞って精査するしかなかったが、メニューの深いところまで潜っていったら、なにか面白いものがみつかったりするかもしれない。

「Communication云々って出てきたな。なんかここらへんにあるんじゃないかな」
「っぽいですね…」
「とりあえずWirelessとかそういう項目を探そう…」
「…あ、ありました。でも項目すっごい多いですよ」
「本当だ…」

Communication.Wireless.frwx.pkt-w…
Communication.Wireless.ccp.routing…
Communication.Wireless.hw.lowlevel.…
Communication.Wireless.fw.sv…

そんなよくわからない文字の羅列の設定項目を、一つずつ開いては変更し、まずわたしとワイヤレス接続が確立できるかを試していった。
いくつかの設定項目を切り替えることでワイヤレス接続を有効にできたものの、ワイヤレス接続自体が未完成の部分を多く含むのか、どこか不安定というか、危うい感じではあった。
最悪自分で中身の深いところを「いじってしまう」ほうが早いんじゃないか…と思い始めたころ、なんとか設定項目のいくつかが奇跡的にも噛み合って、ワイヤレス接続がそれなりに安定するようになった。

「なんとか、繋がるようになりましたね」
「えらい手探りだったけど…で、なんだか納得いってないみたいだね」
「ええ。もう少し安定して接続できるようにしたいですね」
「ところで、今のところワイヤレスで接続できるようになったってだけで、船のネットワークとも本格的につながってないだろうし、目的のワーヘッドともまだ繋がってないんでしょ?」
「そうですね、わたしのメンテナンス用の臨時ポートと試しに繋いでる状態です」
「へぇ…有線で繋いでた時点で思ったんだけど」
「どうかしました?」
「このゴーグルで、君の中身とかも見られるんじゃないかな…いや、へんな意味じゃなくて、コンピュータとしての君の状態とか、さ」
「まさか。たぶん何かのプロテクトがかかってるでしょうし」
「俺が見るんでなくて、君自身で見る、とかも?」
「わたし自身でわたしを、ですか?」
「うん」
「たぶん、それもプロテクトとかでできないでしょうね…そもそも、おそらく見られたのだとしても、壊れているのかどうかというのは自分では判断できないと思うんです。機械って、そういうものだから」
「そっか。そういや人間もお医者さんでないと病気になってるのかどうかわかんないことはままあるもんな…まあおれ、人間じゃないけど」
彼はしばらく黙ったあと、すこし気まずそうに笑った。
「いえ、お気遣い、ありがとうございます」
そう言って、わたしは微笑みを返してみた。

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眠そうな顔をしていた彼を0404号室まで送り、わたしは自室でゴーグルの機能の精査を始めた。
ゴーグルのワイヤレス接続は、今の程度の安定性なら、「わたしが使う分には」問題ないと思う。しかし、わたしのように機械仕掛けではない彼が使うとなると、不測の事態が起こらないほうが理想だ。
まだワーヘッドの手を借りる必要までは感じなかった。自力でいろいろな設定項目やらパラメータやらを探し回り、あっちをいじりこっちをいじりしつつ、さぐりさぐりの作業。しかし決してつらいものではなく、むしろ楽しかった。直接いじるのも楽しいのだけれど、こういうのも悪くなかった。

人間はおそらくこういうものを、充実感と言うのだろう。機械なら充実感なんてものはいらないはずで、なぜこのようなものが備わっているのか、やっぱりわからなかった。
わたしを作った人に、直接聞ければいいのだけれど。

そんなことをいつものようにもやもや考えながらゴーグルいじりをしていたけれど、やがて限界が見えてきてしまった。思ったよりも手詰まりポイントに行き着くまで早かった。ワイヤレスまわりだけでなくほかのいろんなパラメータもいじる余地はあるけれど、いまやることじゃなかった。
いや、もしかしたら、ちょっと見方を変えれば、限界の横をくぐり抜けて先にいけるかもしれない。そうだよね、わたしがスクリプトとかを自前で作ってたときも、そういうことはあったし。
どうしよう。

と、迷いを抱きはじめたところで、ひとつ思い出した。

そうだ、ワーヘッドのポート側の精査をしなきゃ。
ゴーグル側のネットワーク接続の具合がよくなっても、ワーヘッドのポートがわたし以外と接続ができなかったら何の意味もないんだった。


とりあえず可視化プログラムを起動しワーヘッドの中に入り、「ホール」からポート関係のセクションに向かう。わたしが触れられる権限を持つポートはすべてのポートの半分くらい。ただそれでも数は膨大で、スキャンにはそこそこの時間がかかるようだった。ポート探しと平行して、ワーヘッドのドキュメントも読んで、参考になりそうな記述を探した。

ここで、ひとつ気になる一文を見つけた。
このドキュメントは、ワーヘッドの「高度処理演算デバイス『としての』機能」を解説する、と、冒頭に書かれているのだ。高度処理演算デバイスとしての、ということは、ワーヘッドはそれ以外の何かでもあるのだ。そういえば彼も、この「ワーヘッド」(warhead:弾頭)という名前から兵器か何かではと言っていた。かりにワーヘッドが兵器だとして、高度な演算機能やAIが搭載されているのなら、電子戦や偵察か何かに使われていたのかもしれない。

とはいえ、わたしが参照できるドキュメントは、「高度処理演算デバイスとしてのワーヘッド」のものに限定されている。全部読み切るには数年かかるほどの分量ではあるけども。

いずれにしても、推測の粋はぜんぜん出ない。
ワーヘッドに、直接聞ければね。

と、ここでわたしは思いついた。
本当に、ワーヘッドに聞いてみればいいのだ。

ワーヘッドはわたしのように人格のようなものや感情のようなものを持たない。ただ、判断する能力を持つ機械であれば、会話のようなものくらいはできるんじゃないか。

落とし穴だった。

ワーヘッドを道具くらいにしか思ってなかったから、中に入っていろいろ取り出したり、外部リソースとして使うしか考えてなかった。音声対話機能がある可能性なんて考えたこともなかった。

ドキュメントを検索すると…ビンゴ。「音声エージェントサービス」というものがあった。音声での対話により回答を引き出したり指示できるらしい。灯台元暗しとはまさにこれだ。

「ホール」に戻り、コンソールを出したまま、話しかけてみた。

「ねえワーヘッド、聞こえてる?」


しばしの沈黙。
しかし、コンソール上に動きがあった。

<音声コマンド感知 音声エージェントサービス起動>

そして、やや硬質な女声が、ワーヘッドから放たれた。


「おかえりなさい マスター」
「は、はい。ただいま…」

すこし面食らってしまった。
マスター…?

「しゃべれたなんて、知らなくって。ドキュメント見てはじめて気づいたよ」
「はい マスター 当機には音声エージェントサービスが備わっております」
「コンピュータというと、直接自分の手で使うものだっていう先入観あったから、音声対話機能があるなんて思ってなかった」
「マスターとパートナーの声は 起動時に登録されておりますので いつでもご利用ください」
「なるほどね…でも、起動時って?」
「当機 WDF-400R/mx改 ペットネーム『ワーヘッド』の初回起動時です」
「それは、一週間前のこと?」
「いいえ それよりも以前です」
「え?……それは、いつ?」
「申し訳ありません その情報は削除されております」
「削除? だれが削除したの?」
「『管理局』の委員の権限を持つメンバーにより 削除されております」
「具体的にはだれ?」
「申し訳ありません マスターの権限では開示不可です」
「ここでも権限か…で、『管理局』って?」
「管理局は 人類を ……………………エラーが発生しました エラーコード 65534 音声エージェントサービスを再起動します」

エラーを吐いて、音声対話機能は黙りこくってしまった。

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