むすび目

過去がそっと
わたしの肩に手を置く
でも
握りかえすと引いていってしまう
振りかえると逃げていってしまう
それはたぶんわたしの顔をしている
あの人に似たわたしの

心の扉は
だれかの鍵でなければ
開けられない
あの人が持ってたはずの
わたしの鍵
いつのまにか
今はあなたが

初夏の小径で
太陽と果実たちのにおいを吸いこんで
ふくらんだハンカチ
頬よせてほころんだ
あなたの顔
今もまぶたの裏に

でも
あの人も
ここにいればいいのに
ここにいてほしいのに
ねがう
ひとり ねがう

あの日あなたを抱きしめて
めばえたやさしい気持ち
でもその陰にひそむ
ひりひり
抱きしめすぎて
壊してしまうものがあると
大切なものをつかむ強さで
自分の手もいためてしまうと

それは似ていた
あの人に抱きしめられて感じた
いつくしみの裏のおそれに
強さと背中あわせのおびえに

そんなこと恐れてたんですか
あなたは言う
わたしをつつもうとする
無邪気なその一言
すこしだけ
むずがゆくて
苦しくて
でも
うれしくて

ビー玉をとおして見る
さかさまの世界
光も影ものみこんで
たたえる水色
あの人が胸のうちに
抱き抱えてたあやうさは
倒立する玻璃の中でなら
ゆるされるのかな

手を伸ばしたのに
届かなかった悪夢
手にとったものを
握りつぶしてしまった後悔
そのまま大事に
つなぎとめて
抱きしめて
しめったところに閉じこめておけば
いつか時間と空気と
あなたのぬくもりで
ぶどう酒のように

やさしすぎる
あまりにもやさしすぎる
あの人が
持っていってしまった
わたしの昏い一部分
ふいに取り戻したそれは
あの人の心の鍵に

わたしはたぶん
夢のむすび目になるために
ここにいる
わたしを追い抜いていった
あなたの背中がおしえてくれた

あの日のあの人に手を伸ばそう
心にかかった鍵を開けよう
鉛色の鎖から解きはなち
もう一度手をつなごう
そして告げたい
ちゃんとさよなら

だから
わたしはあなたを
ひたすらに追いかける

素直さゆえに 気高さゆえに
つないだ手を自ら離してしまった
あの人と

あの人をつなぎ止められなくて
自分すら
つなぎ止められなくなりそうだった
わたしと

全てをつないで
あしたへ引っぱっていこうと
生き急ぐように
何もかもをなげうつあなたを

きのうとあしたのあいだに
つなぎ止めよう

たぶんわたしは
そのためにいる

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