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「観測問題」は不良設定問題か?

量子論における「観測問題」は存在し,かつ実証科学として部分的な答えを与えられるといってもよいのではないかと,私自身は考えています。この記事では,その理由として,部分的な答えを与えられそうな具体的な問題を明らかにしたいと思います。

私は「観測問題」の専門家ではありませんので,この記事に間違いを含んでいる可能性があります。もし間違いが見つかりましたら,ご指摘いただけると幸いです。


「観測問題」とは?

「観測問題」について議論するためには,この用語の意味を十分に明確にする必要があるでしょう。この用語の意味については,以下の記事の「誤解1:量子論に『観測問題』は存在しない」にて述べました。

ここでは,上の記事から関連部分を引用します。

『観測問題』の定義によりますが,一般的には量子論の測定に関する各種の基礎的な(かつ未解決の)問題のことを意味するようです。たとえば,以下のような問題が考えられます。
・測定は『誰』が行えるのか?(例:無生物は測定できるのか?)
・測定とは具体的にどのようなプロセスを行うことなのか?
・測定は厳密にどのタイミングで行われるのか?(「波動関数はいつ収縮するのか?」のように表現される場合もあります)

この記事では,上で引用した三つの問題を含む問題を観測問題とよぶことにします。なお,以降では「測定」のことを「観測」とよぶことにします。

観測問題は不良設定問題か?

このように観測問題を定めたとき,量子論に詳しくない方にとっては,実証科学におけるいわゆる不良設定問題(つまりこれらの疑問に対して何も答えを与えられないような問題)ではないかと感じられるかもしれません。もし実際に不良設定問題なのだとしたら「(実証科学の範疇において)観測問題は存在しない」といってもよさそうです。しかし,すぐに不良設定問題だと決めつけてしまうのは早計だと思います。

私自身は,(ある意味においては)原理的には実証科学として観測問題に対して部分的な答えを与えられるはずだと考えています(現在のテクノロジーで実証可能か否かはわかりません)。以降では,部分的に答えを与えられると思われる問題の一つを明らかにします

('23/12/23追記)この記事の概要

この記事では,上の引用文にある3個の問題のうち,2番目の問題である「観測とは具体的にどのような操作を行うことなのか?」(以下,問題A)に着目します。なお,「プロセス」を「操作」と言い換えていますが,同じ意味です。仮にこの問題が解決されれば,1番目と3番目の問題へのアプローチも見えてくると思います。

この問題Aを部分的に解決するために,「与えられた操作が観測とよべるか否かを判断するための客観的な指標」を与えます。もしこのような指標が与えられれば,「観測とはその指標を満たす操作のことである」という形で問題Aに答えられます。ただし,その指標は,①適切なものか?,②その指標を満たすか否かを実験で確かめられるか?,によって評価されるべきでしょう。

具体的には,「$${p}$$-観測」という指標を与えます。ただし,$${p}$$は$${0}$$以上$${1}$$以下の実数で,直観的には1に近いほど条件が厳しくなります。この指標については,あとで詳しく説明します。この指標を採用して,$${p}$$をある適切と思われる値に固定すれば,問題Aに対して「与えられた操作が観測であるとは$${p}$$-観測であることだ」という答えを考えることになります。また,与えられた操作が$${p}$$-観測か否かを調べることで,観測か否かを判断できるようになります。

補足:$${p}$$という値を導入する理由は,与えられた操作が「観測」か否かを確実に判定する妥当な方法はおそらくないであろうことと関連しています。

また,上記と本質的には同じ考え方なのですが,「$${p}$$-観測」という概念を用いて,「観測らしさ」とよべるような値を導入することもできます。「観測らしさ」を定められれば,問題Aに対して「観測とは観測らしさが十分に大きい操作のことだ」といった形で部分的に答えられます。

この「観測らしさ」とは,この記事の最後のほうにある「補足2」で導入する値$${q}$$のことを意味しています。

「観測」とは?

「観測」という用語の意味も十分に明確にする必要があるでしょう。この記事では,次の二つの条件を満たす操作を観測とよぶことにします。

  1. 事前に定まっている2個以上の「観測結果の候補」の中から一つ(観測結果とよぶ)を返す。

  2. 異なる観測結果は1にかなり近い確率で識別可能である。

これらの条件についてはすぐ後で補足しますが,これらの条件はある操作が「観測」とよべるために必要最低限の条件といえます(このことはすぐ後の補足で納得してもらえるのではと思います)。「これらの最低限の条件を満たすならば観測とよんでもよいであろう」と考えて,観測という用語を定めているといえます。

条件1について補足します。例として,電子のスピンのz成分の向きを決めるための「観測」を行う場合を考えます。この場合には,事前に定まっている「観測結果の候補」は,「上向き」(を表す状態)と「下向き」(を表す状態)の2個だといえるでしょう。また,このような「観測」は,観測結果として「上向き」か「下向き」のうち一方のみを返すはずです。このような要請を一般化したものが条件1です。

補足1:同一の状態に対して同一の観測を複数回行った場合には,同じ観測結果を返す必要はありません。たとえば同じ状態にある2個の電子のスピンのz成分の向きを観測したとき,1個目の電子に対する観測結果は「上向き」で,2個目の電子に対する観測は「下向き」であっても構いません。

補足2:「観測結果の候補」が1個の場合には,その観測結果には何も情報が含まれていませんので,この記事では「観測結果の候補」が2個以上の場合に限定しています。

条件2についても補足します。少なくとも実証科学としては,観測結果をほかの観測者に十分に適切な方法で伝えたとき,ほかの観測者は異なる観測結果を正しく識別できることが必要でしょう。もしこの条件が満たされていなければ,観測結果をほかの観測者と正しく共有することができなくなり,実証科学の考察の対象ではなくなるかもしれません。

また,条件2では「確率1で」と書く代わりに「1にかなり近い確率で」と書いていることに気づくと思います。これは,「確率1で」と書いてしまうと,現実世界ではそのような「観測」はひょっとすると存在しない可能性があるためです(確率$${0.9999999999}$$と確率1は厳密には異なります)。ただし,1に近い値$${p}$$を適切に設定すれば,確率$${p}$$以上で識別可能な操作ならば現実世界にも存在するでしょうから,そのような操作も「観測」とよべるように「1にかなり近い確率で」と書いています。

補足:条件2は,「観測結果は完全に近いコピーを作れる」と言い換えても構いません。量子論では,確率1で識別可能であることと,完全なコピーを作れることは同じ意味であることが知られています。

ただし,「1にかなり近い確率で」ではあいまいです。そこで,条件2を次の条件に替えることは妥当だと思われます。

2'. 異なる観測結果は確率$${p}$$以上で識別可能である(ただし$${p}$$は事前に定められた$${0}$$以上$${1}$$以下の実数)。

補足:妥当な$${p}$$の値は,少なくとも実証科学の範疇では定められないように思います。観測対象や周囲の環境や人の価値観などに依存して,適切な$${p}$$の値は変化することでしょう。

条件1と条件2'を満たすような操作を「$${p}$$-観測」とよぶことにします。$${p}$$に依存しない形で観測をうまく定められればよいのですが,上で述べたように困難そうですので,代わりに$${p}$$-観測という概念を導入したのです。なお,異なる観測結果が確率$${p}$$以上で識別可能か否かは,原理的には実験により調べられます。

高度な話題:条件2'の「異なる観測結果は確率$${p}$$以上で識別可能である」という文言があいまいだと感じる方は,「任意の異なる2個の観測結果$${\rho}$$と$${\sigma}$$に対して(観測結果の候補は状態の組だと考えてください),$${\rho}$$と$${\sigma}$$を識別するときの平均正解率の最大値は$${p}$$以上である」といった文言に読み替えてください。

実証科学で部分的に答えを与えられそうな観測問題

準備が整いましたので,(ある意味においては)「観測問題のうち実証科学で部分的に答えを与えられそうな問題」について述べたいと思います。次の問題1が,このような問題の一つだと考えています。

問題1:ある固定した値$${p}$$に対して,与えられた操作は$${p}$$-観測か?

たとえば$${p \coloneqq 0.999}$$のように$${p}$$を定めて,$${p}$$-観測を改めて「観測」とよぶことにすれば,この問題は「与えられた操作が観測であるかを判定する問題」だといえます。

問題1に似た問題として,次の問題2も考えられます。

問題2:与えられた操作が$${p}$$-観測であるためには,$${p}$$はいくつ以上あればよいか?

与えられた操作について具体例を挙げます。たとえば,「電子のスピンのz方向の向きを調べるための実験装置を人が見る」という状況を考えます。このとき,「得られる視覚情報がその人の記憶領域に格納される」という操作を考えることができます。この例においては,事前に定まっている「観測結果の候補」は「上向き」と「下向き」の2個とすればよいでしょう。また,「記憶領域に格納される」の部分を「眼球網膜の視細胞で電気信号に変換される」に替えた,別の操作も考えられます。

これらの例についての実験を行うことは困難なように思いますし,実験をかなり単純化したとしても悩ましい問題が少なからず発生すると思います。しかし,そのような実験のうち実現可能なものがあるかもしれませんし,適切な実験を行えばかなりおもしろい結果が得られる可能性はあるのではないかと楽観視しています。個人的には,上記の問題1,2は,観測といえるような操作の内部構造や機能についての知見を得る」という意味において,量子論を含むいくつかの科学分野における重要な問題になり得ると考えています。個人的には,どなたかに実験を行っていただけるととても嬉しいです(私が無知なだけで,もうすでに類似の実験結果が公開されていたら申し訳ありません)。

補足

補足1

操作を観測として捉えるとき,厳密には「観測結果を表す系」を特定する必要があるでしょう。たとえば,人の記憶領域に格納されるという操作を考えた場合,「観測結果を表す系」は記憶領域とするのが妥当そうです。また,$${q}$$を実験で求める際には,「観測結果を表す系」以外の系を「無視する」必要があるでしょう。この「無視する」という操作は,量子論では部分トレースをとるという演算で表されます。なお,今回提示した問題は,「観測結果を表す系」とそれ以外の系との相互作用の問題と捉えることができると思います。

補足2

上述のスピンの例において,問題2における回答を$${q}$$とおきます(つまり「$${p \ge q}$$であればよい」といった回答になります)。このとき,人が実験装置を見たときに,人の体内でさまざまな処理が行われますが,処理が進むにつれて$${q}$$の値がどのように推移するかを調べられればおもしろそうです。たとえば次のような操作と対応する$${q}$$を考えます(ただしこれらの操作はすべて条件1を満たすと仮定します)。

(1) 実験装置のふるまい:$${q = q_1}$$
(2) 人の眼球網膜の視細胞で電気信号に変換される:$${q = q_2}$$

(n) 人の記憶領域に格納される:$${q = q_n}$$

このとき,もし$${q_1, q_2, \cdots, q_n \cdots}$$の推移を知ることができれば重要な知見になり得るのではないかと思います。なお,操作ごとに「観測結果を表す系」や「観測結果の候補」が異なることを鑑みると,$${q_k}$$が$${q_{k-1}}$$よりも大きくなる場合も小さくなる場合も両方あり得ると思います。


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