格ゲーのアトランティス・ムー時代の始まり1(先駆者が作りし偉大なる原型)
全国のゲーセンの筐体があっという間に6ボタン、4ボタンに
91年にカプコンから発売されたストリートファイター2、SNKから発売された餓狼伝説。この二つが発売されて以降、ゲームセンターのアーケード筐体はあっという間に6ボタン、もしくはSNKの4ボタンのものばかりになっていった。この二つを対戦においてのクオリティという面で比べると圧倒的にスト2に軍配があがる。しかし、この初代餓狼伝説というゲームにもそれだけで片付けられないドラマがあるので、それについては後で紹介したい。
簡単にこの時代に起こった事を説明すると、カプコンがスト2を物凄い大ヒットで飛ばし、並行して同じ時期にほぼ格ゲーしかリリースしなくなったSNKという2大<アーキテクト>の輝ける時代の始まりだ。これが本当に社会現象と言われるほどのブームに格闘ゲームをのし上げたのた。田舎道にある自動販売機のような感覚で無造作にアーケード筐体を目にするまでになるという嘘みたいな話だが(当時でも嘘みたいだと思っていた)、これはおそらく当時日本全国で起きた現象なのだ。格ゲーを置くのはゲームセンターはほぼ義務化、ホームセンターやショッピングモールの駐車場、駄菓子屋にまで置かれていた。時々あえてストリートファイターではなく、他で見ない格ゲーをあえて置く(豪血寺一族、ワールドヒーローズ等)渋め路線の駄菓子屋まで現れるほどに競争原理が働いた。そしてその文化は海外のスラム街の売店にまで波及していった(筆者は、実際にメキシコのとても山奥の村でそれらの存在を確認している)。SNKがこの時代に出したゲームは餓狼伝説の元祖と2、それから龍虎の拳の元祖あたりまでだと思う。カプコンはスト2、スト2’(ダッシュ)とターボの3作品までに分けてそれぞれの進化を考察していきたいと思う。まずはスト2出会いの思い出から。
ストリートファーター2との出会いの思い出
91年の春のある日、近所のデパートのゲームコーナーに行くと電源の落ちたゲーム筐体に見慣れないゲームのインストカード(操作説明)が貼られていた。画面の下部に8キャラクターいて、それぞれの操作方法(?)らしきものが貼られている。カラテカ の日本人と、骸骨ブレスレットに白目のハゲ、ジョジョのシュトロハイム軍曹(ホーキ頭)、緑の肌の怪獣、歌舞伎のデブ(?)……全員気になる。一体どんなゲームなのか意味がわからなかった。それまではどんなアクションでも3キャラがせいぜいであった。8キャラというのは一体どんなゲームになるのか?8キャラ同時に画面に出てくるゲームなのか?横に書いてある説明のパンチボタン連打とかは分かるが、<↓↘︎→と同時にパンチボタン>だとか<←に溜めて右と同時パンチボタン>だとかは全然なんの話だかわからない。でもシュトロハイム軍曹(ガイル)のところにソニックブームと片仮名で書いてあった。「空を切り裂く奴なんだな」と思った。当時はオカルトブームでもあり、月刊ムーを読んでいればこれはよく出てくるワードだったので知っていた。小学校低学年でクラスメイトはみんなコロコロコミックやボンボンを読んでいる中、自分の愛読書は月刊ムーだった。ソニックブームという現象について初めて目にした記事は86年に急接近したハレー彗星の記事かなんかだったと思う。俺はこのホーキ頭(ガイル)と髑髏ハゲ(ダルシム)に目をつけた。真面目な話、このインストカード上のダルシムは全キャラの中で一番かっこいいと最初の時に思っていた。怪しくてオカルト感があるのが好きだったんだと思う。凄くシャイで、知らない大人への警戒心の強い子供だった自分もさすがに聞いた。
「おじちゃんこれいつできるの?きょうはダメ?」
「ごめんねー、今日はまだダメだな!もう何日か!もうちょっと待ってね!」
その後、二日連続で兄達と様子を見に行ったが筐体は暗いままだった。5日ぐらいして当時中学生だった兄が
「あれ、すげーぜ!絵がリアルですげー喋る!」と興奮気味にそれを見た感想を語って来たので、翌日ゲームセンターに行った。
「バチーン!!!ドカ…はどーぉけん!カン!カン!」
ファイナルファイトの轟音を掻き消す程に迫力のある音が音が聴こえてきた。凄くワクワクして足早に中を進むと物凄い人だかりが筐体の前に出来ていた。でも皆やる順番はお行儀よく守っていて、自分より年上のお兄さん達が自分の番になったらちゃんと席を譲ってくれた。初のプレイはダルシムを使ってCPUの春麗か何かに一瞬でボコられて終わった。でもプレイ中、知らない子が横から
「ねぇそいつ、口から火でるみたいだよ!やってよ!!?え!?どうやって手伸ばすの?!」
なんだか凄く興奮して画面に張り付き始めた。
「(知らないよ……画面見えにくい!あっち行って!!)」と思いつつも、なんだかみんなで順番こに楽しく何度もプレイした。知らない人同士で違うキャラを披露してはお互い驚きあった。俺は、子供が中に入って遊ぶあの巨大な風船空間の、もう少し<大人なもの>に出会った気になった。最初はスト2も、皆一人用メインで遊んでいたのだ。ここからアップデート版のスト2’が出るまでの1年間の中で、対戦というものが盛り上がり始めたのは稼働から半年ほどしたスト2(無印)の後期であったと記憶している。それ以降、ゲーメストとというアーケードゲーム雑誌が俺の2冊目の定期購読雑誌となり、クラスメイト達がどんどん幼く見えてしまうという早熟の中2病を迎えた。
波動拳の声は<焼き鳥屋>の匂い、象の鳴き声は煙の役割
昔、テレアポのバイトをした時に
「皆さん町を歩いていて腹が減ったら焼き鳥屋がよくあるって事ありませんか?あれって煙と匂いが営業してるんスよ。皆さんは煙の役割だと思ってください。」
と、金髪にスーツの男が言っていた。なるほど、焼き鳥屋は人件費をかけずに中距離型のスタンド(煙と匂い)に客の呼び込みをさせているという理屈らしい。これに当てはめると、スト2やファイナルファイトを手掛けた西谷亮さんはその辺の事に非常に着目してゲームの演出をデザインしていたのだろうなと思う。前にも少し触れたが、当時のゲームセンターにおいて声が出てくるものはとても少なく、あっても大型の筐体から決まったタイミングで掛け声程度のものが出る発せられる程度であった。アーケードゲームのアクション的なもので、シリアスな迫力のある男の声を響かせたのはセガの<スペースハリアー(85)>というゲームが走りだったように思う。3人称視点で前に進んでいくタイプのシューティングゲームで、ファンタジーなカッコいいグラフィックの中で主人公が死ぬと
「わぁーーーーーううううぅぅ。………まだまだ!」
と立ち上がるのが当時は凄いと同時にギャグ的にも多くの人を惹きつけた。実は<元祖>のミノタウロス、アップライト筐体もこのスペースハリアーの<体感ゲーム>というハッシュタグ上に作られたものであった。結局の所6ボタンで落ち着いたが、その当時のカプコンは<ゲームセンターで抜けてくる音>というものに一早く着眼していたフシがある。他のアーケードのゲームよりも圧倒的に音数が多くて雄弁で、抜けてくる声をスト2とファイナルファイトは出していた。他の筐体が喋らないなか、人の声というのは他の雑音をかき分けて遠くまで抜ける。特に波動拳の声と、ダルシムステージの象の鳴き声は
「ここにスト2ありまっせ!」
と言われているようなもので、気づくと自分はそれらの音に昆虫のように寄っていってしまう習性を持つ生き物に当時なった。
まず1人用がずば抜けて面白かったから流行った(間違ったステレオタイプだが魅力的。一人ひとりの紹介12人、ステージ)
スト2は魅力に満ち溢れていた。8キャラ(まだリュウとケンはほぼ同性能だが)にこれだけの個性、想像力、爽快感、操作性、グラフィックのカッコ良さ、大きさ、ステージ演出……あげればキリがない。とても重要なのはスト2がヒットしたから今のe-sports業界があるという事。おそらくこれを言い切っても怒るプロゲーマーさんはいないと思う。では、何故スト2がヒットしたのか?「対戦文化によるものでは?」違う。対戦が着目されるようになったのは稼働してだいぶ後の話だ。一人用でもダントツで当時としては面白い、お得感の得られるゲームだったのだ。先ほどあげた<音による爽快感や迫力>というのは外せない要素の一つだが、もう一つに<行き過ぎた個性を持つ世界中のキャラクター>が大きな魅力の要素として挙げられる。次回はこのストリートファイターの登場キャラクターの特徴を一人一人見て行きたいと思う。