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10. Dessert Storm

「この分からず屋! どうしてこっちの仕事を手伝わないのかな。あのさ、私は君の彼女ってことになっているんだよ! わかってるのかな、もう」

剣呑な態度で話していたせいかプツンっと強制的に電話を切られた巡音潤は『S.A.I.』.渋谷地区指導者代理である『鴇ノ下綺礼』の用意した隠密作戦特別仕様霊装『飛影』を着用して戦闘準備を整えている。

彼女の周りをふわふわと飛び回っている通信用小型霊獣『竹右衛門』を使用して渋谷地区の特別顧問として教団運営に関わっている『E2-Efor』

『E2-Efor』の『九条院大河』に特別支援要請を送っている。

『竹右衛門』は頭の上のプロペラを回転させて一際目立つ大きな目をパチクリさせながら巡音が着衣室の鏡の前で椅子に彼女の白い肌が露出している右足を掛けて特殊な強化繊維で編み込まれた網タイツを履いている姿を眺めている。

「大河君には嫌われちゃったね。あの人、ビッチは嫌いだからね。ヤリマンだと手伝ってもらえないよ」

「あーもう。お前ほんとうにうるさいな。私に獣姦でもしろっていうのか。ご主人様に対する敬いが足らないな」

『竹右衛門』のお節介な台詞に苛立ちを感じている巡音にパツンッと右手の人差し指で弾かれて軽く吹き飛ぶ『竹右衛門』は、痛みを訴えかけるような表情でふらふらと空中を飛び回っている。

巡音は『TV=SF』が内包しているエンターテイメントとしての側面を重視する為にあえて露出された太腿の白い絶対領域を誇示するような黒い網タイツを履いてチタン合金製鎖帷子で編まれた黒い上衣を身にまとう。

腰のあたりに燃え盛るような赤い色の帯を巻きつけると、鎖帷子と同じ素材で出来た手甲を両腕にしっかりと身につけ、同じく黒色のロングブーツを履いて、彼女の愛刀である『鬼丸国綱』を背中に背負い、カシャリと黒いマスクで顔の下半分を覆い、戦闘準備を整える。

「ではうちらの出番で問題はないっすね」

「勝ったら大衆の面前でご主人様の身体を自由に出来る」

「マジで破裂寸前のぼくらに二言は許されないです」

「『蛇』」

「『蛙』」

「『蛞蝓』」

「──今日のご褒美タイム。しかと享受致しました。拙者たちは命に代えて天敵『夢見る機械人形』を陵辱させて頂きます──」

着替え中は決して頭を上げずに屈服の意志を示しつつ奴隷であることを自覚しながら空間に共存していなさいという無茶な命令をされながら更衣室の隅っこにかしづく三人の忍者は主人が着衣の度に漏らす微かな衣摺れの音に興奮して忍び装束から僅かにはみ出た両眼を赤く充血させて憤りと屈辱を充満させている。

「いいよ。勝ったらマジでやらせてあげるから。その汚い股間の使えない物体さ。洗わずにその場で咥えてあげるから。特に今回は手の一本や二本捨てる覚悟でいきな」

おそらく巡音の挑発に我慢の限界に達していると思われる三人は濃い紫色の忍び装束に身を包み鼻息を荒げながら必死で自身の今にも暴れだしそうな欲情に耐え忍んでいる。

このクソ生意気な女を二度と立ち上がれないほどの恥辱の限りを尽くし公衆の面前で再起不能に追い込んでやるのだと固く誓って心に決める『三竦み』は奥歯をぎりぎりと噛み締めて充血した両眼でリノリウム製の床の汚れだけを見つめ続けている。

「──了解──」

パンッと手を叩き開戦の合図と覚醒の知らせを届けて巡音はふらふらと飛び回る『竹右衛門』と『三竦み』と供に明確な意志を持つ不可逆のファシズムと相対する無差別な乱流を非制御のまま実行するテロリズムの概念的決着をつけようとする。

圧倒的な暴力という与えられた力の出所を明らかにすることで適切な形の装置を生成する為の戦いが始まろうとする。

「よしっ。顔あげていいよ。三人一殺。達成出来たらその場でセックス。巡音潤と『三竦み』、出動しますー」

朝の九時半近くになっても開発する過程が片付かずまだ集中力を切らさずPCの前で作業をしている佐々木和人と白河稔はどうやら『アースガルズ』のレーザービームによって高揚感を煽られたまま作業に没頭し襲いかかってくる睡魔に呑み込まれないようにして最後の追い込みをかけているようだ。

彼らに付き合って朝まで様子を伺っていた三島沙耶は少しだけ彼らのことが心配になりながらもまずは大きな乱流に呑み込まれて消滅と存続の可能性を提示させ続けられている状況を打破する為に与えられた自分の本来の仕事をしようと思い直し精密な戦争装置を開発する『『Lunaheim.co』』の渋谷宇田川町のとある一角にあるアジトを後にする。

白河稔は感情というデータ化出来ない現象を外部化することで制御可能な状態へと移行させる為の古代魔術を組み込んだウェアラブルデバイスを開発しているが三島沙耶がアジトをこっそり出たことに気付いて少しだけ息を抜き『毘沙門天』のインストール作業に没頭している佐々木和人に声をかける。

「和人氏、多分この量販店で売っていた般若面をカスタムした『MASK』でござるけれど、うまく量産化まで整えばこの一件が片付いた後の残党狩りも適切な制御下に導いてあげられるでござるよ」

「あはは。『S.A.I.』を暴走させないまま無闇矢鱈に抑圧するのではなく信仰による行動の制御は残したまま運営させることが出来ればということだよな。下手をすると量産型『改造医療実験体』が投入されるだろうし、いっそのことポイポイカプセルでも作って怪人コレクターにでもなるか。最強の魔道具を開発して戦局を一気に塗り替える一騎当千の兵器を投入したら限界領域まで猟奇性への没入へ侵入して容赦なく対流に介入、そうだな、今日は土曜日だ。自由遊泳を思い切り楽しんでやろう」

『アースガルズ』に無理矢理レーザービームで覚醒を促されているとはいえ最終調整段階へ移行するまでの集中力を切らさない為に水だけを摂取して3Dモデリング作業を行っている白河稔と開発コードを打ち込む佐々木和人は、彼らの作業している間に好き勝手なダンスミュージックを流して踊り疲れてしまった挙句、寝袋の中にすっぽり収まって惰眠を貪っている『ぷるぷる』が流しっぱなしにしていたクリックハウスの硬質な矩形音だけを追いかけるようにコードエディタに意識に干渉する関数と想念の揺らぎを予測した変数の適切な関係性を打ち込んでいく。

佐々木和人のPCに表示された神性強化外骨格の形は鬼神のような角を生やし燃え盛る火炎を見にまとっているような鎧に包まれて腰骨の辺りに外骨格全体の力学的な統一性をもたらす為の御印が表形化している。細部に至るまで出来るだけ詳細に具象化していくことで武神である『毘沙門天』の教義上の概念を『ワンアウトオブメニー』にインストールして精密に強化外骨格の量子着装を構築していく。

佐々木和人の脇にはズタボロになったブルーのグローブとホワイトブーツが転がっていて、つい二ヶ月ほど前にアップデートした『ラジカルミラージュ』が恐らく彼の作品の中で最高傑作に近いことを噛み締めるように更なる高みを目指してコーディングを続けている。

「あーあ。また戦闘中に──※5カタオモイ──が暴走して余分な『スペクタリアン』巻き込んじゃったよ。和人の野郎、私には全く欲情しないしさ、あいつはインポ野郎なのかな。なんでサヤばっかりなんだろ」

壁一面の窓ガラスの陽の光がたっぷり入ってくるデザイナーズマンションでシャワーを浴びたばかりの中沢乃亜がXLサイズのTシャツを着て大きなソファにゆったりと腰掛け、ビールを飲み干しながらリビングを占有している有機ELディスプレイに映る眼の下がクマだらけで病的なほど疲れ切っている横尾深愛とビデオ通話で連絡を取り合っている。

「君は相変わらず破天荒だな。優しさは暴力そのものであるのだから君が快進撃を続けているのは頷ける。フーリガンの一人や二人巻き込んだところで誰も悲しまないさ」

「あはは。まーそうなんだけど、彼にだってこの先どこかで誰かと運命的な出会いをして恋をすることだってあるかもしれないだろ。そー考えると私の力は必ず誰かを傷つけてどこかで何かを喪失させてしまう。別に正義の味方になりたいわけじゃないけどさ、もっと極限まで高めたいんだ、私に与えられた肉体の力をさ。合理的に無駄なく簡潔にね」

「今日はずいぶんとおしゃべりだな、自分のことを語りすぎるものは足元を掬われる。ところで私たち『Y=s』は渋谷侵攻を決めたぞ。まず手始めに『ゼツ』を使ったピンポイント爆撃は私たちの名を知らしめるには大成功だったと言える。渋谷区周辺の都市開発に関して、二、三気になる噂もキャッチすることが出来た。もし潜伏中の新勢力が本格的に稼働すれば君のD地区で評価点数も安泰とは言えなくなるな」

「姉御が来るならもし負けたとしても私は新しい恋を探しに他の街に行くさ。──カタオモイ──を成就する為に私は暴力を行使し続ける」

「まったく君らしい。とはいえ、次の相手は君の天敵だ。油断につけ込まれて道を失わないように気をつけることだ」

「いきなり私たちを裏切ったんだ。恋と愛を履き違えておじさんにバッグでも買ってもらうつもりかな、あいつは」

ぐいっと残った缶ビールを飲み干して中沢乃亜はスマートフォンに送られてきた『TV=SF』のプログラムを確認する。

もし、──*6蝶々結び──が必要になったら覚悟を決めよう、おじいちゃんの言いつけをしっかり守って私は私であり続けようと中沢乃亜は決意する。

──臨時ニュース 暴力に関する問いと明確な答えを有する優しさについて 二〇二一年 五月八日 十八時三十三分 機械:巡音潤 人間:中沢乃亜──『TV=SF』

中沢乃亜はスマートフォンのメールアプリを開いて日の入りの時刻を確認する。

なぜか予定表に少しだけずれが生じてしまったのかを考えているが、確かに彼らの言う通り力を誇示することでしか生まれ持った能力に関する問題を解決する方法は見いだせないのかもしれない。

「私には私たちと一緒に戦っている時、あの魔法少女がとても簡単に『『Lunaheim.co』』の兵器を受け入れているように思えた。私はあのグローブを身につけてしまうだけでこの身が引き裂かれる思いに駆られてしまう。きっと彼女とはそういうことを感じられる時間を一緒に過ごすべきなんだろう」

中沢乃亜はdust8と書かれた真っ白なTシャツに黒いスキニーを履いてクタクタになった灰色のジップパーカーを羽織り、首から下げたハート形のネックレスに軽くキスをして自室の玄関前で自分の形を確認するように鏡を眺める。

例えば、同じ二十八歳の女の子であれば、こんな週末の時間に念入りに支度を重ねて隙なく化粧をして大好きな彼氏と会う前に心を踊らせながらデートに行く準備をしているのかもしれない。

土曜日っていうのはたぶんそういう日であるはずだけれど、私は悪の秘密結社と戦いに行くための準備をしている。

今日もまた私の行動の結果次第で、世界のあり方が変わり、日曜日と次の土曜日に笑顔になる人の絶対数も変わってしまうはずだ。

まあ、それでもとにかく今は待ち合わせの時間に遅れないことだけを考えようと中沢乃亜はヒールでなく赤いバスケットシューズを履いて最寄り駅まで急いで向かう。

中野駅までは徒歩で五分ほどの距離でレンガ通りを抜けていくだけだ。

寄り道をしている余裕は全くない。

ガード下で得体の知れない銀色の全身タイツを着たストリートミュージシャンが──自分たちを小馬鹿にしているやつらを皆殺しにしろっ──と全身から声を振り絞るようにして奇怪な声で、けれどどこか落ち着く声質で歌を歌っている。

傍にうっすらと影のように立っている同じような銀色の全身タイツがちらりと目に入ったけれど、信号待ちの間に後ろを振り返った時にはそんなやつはどこにもいなくてちょっとだけ調子外れの歌を歌うストリートミュージシャンが妙に微笑ましくなってしまった。

信号が青に変わる。

後ろから──世界が滅びるまで後三ヶ月──と声がする。

ガードの上を走る電車がそんな世迷言を掻き消してしまう。

北口のほうから冷たい匂いがして遠回りをしてしまいたくなるけれど、そちらに向かっていけば傷ついた人間の行なうはしたない仕草を目の当たりにして丹念に端正に作り上げた身体に僅かな迷いが入り込んでくるかもしれない。

注意深くベトベトとした油の匂いのする気配を追い払って南口へと向かうと、改札前でスーツを着た三十代後半の眼鏡の男性が誰かの訪れを待っているのが目に止まる。

もしかしたら彼はここでもうずっと誰かが来るのを待っているのかもしれないけれど、待ち人はもう既に次の電車に乗ってしまってここには来ないだろうと振り返るのを辞めて自動改札をくぐり抜ける。

都内の駅のトイレに爆弾の類が放り込まれて若い男女が巻き込まれたとさかんにテレビのニュースで放映されていて、何かが私たちの社会に侵入してしまい、問題なく動いていたはずのシステムに異変が現れ出したことを伝えられる。

けれど、高性能な爆弾であるIEDようなものが簡単に製造されて、ましてや殺傷事件にまで発展するようなセキュリティの低い時代だろうかと中沢乃亜は動物的直感が決して鈍ることのないように冷静に中野駅JR総武線二番ホームの階段へとあがる。

たぶん、あのニュースは自然法則の物理的な流れに遅効性の麻薬に似た阻害因子が確認された為に起こる自動照準装置の発動かもしれないと駆け上がっていく小さな女の子の笑顔を見てそんなことを考える。

きっと誰かがどこかで悪いものに取り憑かれたまま暴力を振りかざし過ちを侵してしまったのだろう。

「そや。『赤い蝙蝠』は頭を使わん人の間にそっと現れるんや」

二番線ホームにはもう次の電車がやって来ているのですぐに乗り込んで中吊り広告が異変を巧妙に包んで簡単に手にすることの出来る肥満と難しくて手に入りにくい愛に関する印象の問題をどうやらすり替えられて伝えられているのだということを理解する。

それは音速に近い場所では当たり前に確認出来る光の残穢ではあるけれど、私が彼らからこんなに遠い場所で気付くことが出来たのはただの偶然だろうと居眠りをしながらつり革を握っている二十代後半のサラリーマンのあどけない顔が目に入った時に大きな流れに呑み込まれないようにと注意深く意識を集中して操作する。

小さな異変を彼らは見つけ出して取り除いては私たちの中にバグを混入させて空調設備の整った部屋の中に閉じ込めようとする。

「ねえ、気付いている?最近さ、テレビにマツコの出番が増えているの」

「うん、あれってさ、たぶん、タモリのギャラを少し削る為のテレビ局の作戦だって聞いた」

「馬鹿すぎる。どうしてあんな風なやり方で私たちと話そうとするのかな」

「まぁなんとなくわかるよ。昨日だってさ、他校の男子生徒と遊んだらさ、いきなりキスしようとしてくるんだよ」

「そりゃそうかー。それならわたしはいっそのこと『あいみょん』が歌ってくれるだけでいい気がするけどね」

あまり大人には褒められそうにないルックスの女子高生と思しき女が二人、電車の空気が乱れるのも気にせずに優先席に座って噂話をしている。

どうあがいてもどう逆らっても必要な処理にまっすぐ向かう時は街の中に溢れている小さなメッセージを送ってくる警報装置とメッセージを整理して翻訳した中吊広告が気になってしまう。

タクシーに乗って知らない世界の扉を開けて迂回する方法も確かに考えられるけれど、体感速度の問題を平常に保ち普遍性の中で生きていく為に電車移動のほうを選択してしまう。

東中野駅に着いて扉が開くほうとは反対側の扉の脇にもたれかかり、パーカーを被って精細で緻密なコントロールがされている思考領域から逃げるようにして気配をしばらくの間殺してやり過ごそうとするが、もし日常生活を送るみたいにすっかりひと目に紛れ込んでしまっては僅かな異変のサインを見逃す可能性がある、なんとかして過敏な状態を保ったままでなお刺激が増して殺気が充満してしまう状態に溺れないように直感を最大限に働かせ続ける必要がある。

電車に乗っている人の靴の様子を伺って色と形とブランドとつま先の汚れを詳細に見つめてみる。何もかも一緒にしてしまって決して数を数えてしまわないようにするのは、ちょっとした子供心から最近ファンになってしまったナンバーズの影響を感じてしまうのが気恥ずかしいからだけど、やっぱりどうしても彼らの単純明快な社会力学的美しさに惹かれてしまうけれど、電車に座っている人々をうっかり七つまで数えてすぐに才能がないと気付き、生まれ持った肉体を最大限利用する方法を教えてくれたおじいちゃんの教えに忠実であろうと慢心と過信を封じ込めて初心に戻った私はどうやら『ラジカルミラージュ』をきちんと着こなし始めてきたんだろうってことを胸に刻み込む。

きっと当たり前の話だけど、行き場のなくなってしまった暴力を脇に携えて歩くようなやり方ではなく、私がもう少し気楽に自分らしく過ごせるようなやり方で邪魔ものを排除できるような方法を見つけられるのかもしれない。

「まぁ、けど。あいつらはやっぱり悪の秘密結社だ。私は一切の迷いなく優しさをきちんと振りまこう。待っていろよ、ジュン。お前の答えをフルコンタクトで否定してやる」

ちょっとだけ興奮してしまいついあたりを気にせず独り言を呟いて空気を汚してしまう。

コホンっと咳払いが聞こえて、帰宅ラッシュとは違う方向の電車に乗ってこんな時間に何処かに向かう人々の顔に翳りを落とす。

新大久保駅では珍しくこの車両には誰も乗ることがなかった。

もしかしたら、朝鮮政府と現内閣府の間の貿易に関する取り決めが影響して輸入関税の引き上げが行われたことに対して『大和』に渡ってきている朝鮮人が外出と消費を控えているからなのかもしれないと付け焼き刃の知識で現状を認識し流れを見失わないようにする。

主体時間と客体時間の差異を明確にするように研ぎ澄まされた神経が東中野と新大久保を移動する時間に対して稼働し始める。

思ったよりずっと早く『フリープレイ』へ突入していく感覚をいつの間にか馴染んでしまったような気がして電車に乗る人々と意識を同化させていくと警告を促すように新宿駅への到着アナウンスが耳に届く。

渋谷方面の山手線ホームは総武線を降りてすぐにあり、新宿駅に着いたと同時に向かいのホームに黄緑色のラインの新しいデザインの電車が到着している。

「今日は店外デートしていくからさ、出勤遅めにしといてねー。よろしく、あのオヤジ絶対カモる!」

ウェービーなパーマをしっかりかけた黒髪と念入りな化粧と派手過ぎずけれどきちんと自分の身体的特徴を男性に主張することの出来る服装と黒いロングブーツを履いた水商売系の女が渋谷方面の電車から飛び降りてスマートフォンで誰かと話しながら階段を降りていく。

確かにそろそろ戦いの火蓋が切って落とされる時間帯だ。

心地の良い空間に身を委ねておしゃべりに夢中になった挙句に思考停止になってしまう前にさっさと山手線で目的地へと急ぐとしよう。

行き場所をなくした連中と話すような天気ではなさそうだしと少しだけ自分の仕事に埃を持って中沢乃亜は新宿駅から渋谷駅へと目的地を決めて移動する。

「あーリコちゃん! ごめん、今日の約束はなしになりそう! 残業が長引いて抜け出せそうにないんだ」

眼鏡をかけたサラリーマンがスーツ姿のOLと腕組みをしながら約束が反故になったことを伝えるために電話の向こうの誰かと話をしている。

夕方の内回りの山手線は年齢層もバラバラでこれから陽が沈むのに合わせて遊びに行こうとする人たちがちらほらと騒ぎ始めていて、少しずつ『ラジカルミラージュ』に変身するための普遍性とは隔絶された時空に合わせていくべきだなって気持ちを切り替える。

たしかに純粋に力の流れを制御することの出来るように作り込まれた体組織や神経や血液の流れのことを考えていると、考えていることとは逆に頭がガチガチになってしまってどうしても小難しい理屈をコネがちなんだ。

けれど、私はもっとシンプルに『ラジカルミラージュ』として、混沌を退ける秩序の象徴として新しい世界の扉を開けるために戦いたいっ! と小さくガッツポーズを決めて恥ずかしげもなく戦いに備えてしまう。

あぁ、こうやって戦闘準備を整えていると、周りが見えなくなってしまうのが玉に瑕だ、少しぐらいは世の中に合わせて飛び抜けないように注意したつもりがやっぱりうっかり普通の女の子であるってことを忘れて行動してしまう。私はどんなに強く高く磨き上げたとしても中沢乃亜であり続ける。

代々木駅を過ぎたあたりで十八時を回る。

きっと私とおんなじように勢い余って準備をしてきてせっかくの戦いの雰囲気を秩序の外側からやってきて攪拌しようとする相変わらず自分のことばかりで空気の読めない馬鹿女の匂いがして目が完全に醒める。

「ねえ、ゴミ屑。あそこにいる腑抜けたパーカーやろうはせっかく、私たちが主役の周波数帯域だっていうのに普段着で登場しちゃうつまんない女かな」

「シャー! あぁ、肌の露出をあんなに抑えたヒーローなんていやせんね。悪いけど、さっさと変身してもらっちゃいますよ、ルール違反は私の仕事」

真っ赤な舌をウネウネと動かしながら、なじるように舐めるように中沢乃亜を見つめる『蛇』が猫背の低姿勢でちょうど反対側の扉付近までのそのそと歩いていく。

電車の席に座っている連中がスマートフォンを抱え、紫色の忍び装束なんていう土曜日の山手線には全く似つかわしくない男の姿をカメラに納めようとする。

「うげっ。待ち合わせに早く着きすぎる男ってなんか神経質っぽくて私はすんごい苦手なんだけど。まあ、いいや、うだうだいってないでさっさとやっちゃおう。ラジカルミラァァァージュ!」

中沢乃亜は首につけたハード型のペンダントヘッドの裏側のRの刻印にキスをすると全身が光に包まれて今までつけていた着衣が粒子によってデータ変換されて消失して産まれたままの姿へと切り替わっていく。

彼女は大きく手を広げ電車という普遍性の中を漂っているエーテルを受け入れるようにして体を広げてエネルギーに包まれていく。

中沢乃亜の完璧で美しい肢体が光に覆われたまま露わになった状態を優しく包み込むように意志の力を具象化して外部化する術式が発動して大気中から必要な元素を結合させ始めるとエーテルと分子が圧縮率Ωを超えて中沢乃亜の全身に収束していく。

〇・一マイクロ秒で量子転送された『ラジカルミラージュ』D型武装によって中沢乃亜は青いグローブに白いロングブーツ、それにブルーレザースカートにハート形の穴の開いたオレンジ色にピンクの縁取りがされたタイトなトップスに包まれると黒髪でボーイッシュだった髪の毛もオレンジ色に染まる。

彼女の消えることのない情熱と意志が永遠の守護天使を約束するように剥き出しになった太腿に光のコーティングがされると、オレンジ色のサングラスがシュパッと現れて、彼女はD地区を中心に人気急上昇中のバトルノイド『ラジカルミラージュ』に変身する。

「あー、それ私より目立つー。全く何から何までイライラさせるね。蛙、蛞蝓、あいつめっちゃくちゃにしちゃっていいよ」

大胆に肌の露出が多い黒い忍び装束と黒いマスク、それに背中に背負った日本刀『国丸鬼綱』で、『ラジカルミラージュ』、中沢乃亜に次ぐ人気を誇る巡音潤は付き従えた紫色の忍び装束の残り二人に古めかしい母型によって成型された正義の味方を粉砕せよと指令を送る。

へい。では早速。『蛞蝓』流忍術『ヘドロドロ』!」

先を歩いている『蛇』の足元に向かって『蛞蝓は粘液性の液体を吐き出して粘着性の液体を浴びせかけて『ラジカルミラージュ』を襲おうとする。

『蛇』は吐き出された『ヘドロドロ』を避けるようにして飛び跳ねると毒液をたっぷり溜め込んだ牙で『ラジカルミラージュ』のよく鍛えられて美しい首筋に噛みつこうと大きく口を開ける。

変身を終えたばかりの『ラジカルミラージュ』は白いロングブーツ──※7Brave Shine──で銀色の電車のドアを蹴破って、扉上部を手で掴み、くるりと回転するように山手線E235系の屋根の上まで避難する。

電車の中に風が吹き込んで不自然な対流が発生するが、相変わらず派手な登場の『ラジカルミラージュ』に車内は一気に歓声に包まれる。

中には電車のガラス窓を開けて屋根の上を一目見ようとする人たちも現れ始めて空間が『TV=SF』管轄領域に転送されたことを誰もが理解する。

「私を『夢見る機械人形』と知っての狼藉かな。魔法少女はもうそろそろその年じゃきつくなってきたと思って転職って感じに見える。『蛙』くん、君のご主人様はお肌の手入れも満足にできてなさそうだよ」

中沢乃亜、『ラジカルミラージュ』を追って飛び跳ねて山手線E235系の屋根の上で四つん這いに這いつくばって威嚇する。

吸着性の吸盤のある両手でペッタリと屋根の上に張り付きながら気色の悪い声をあげて中沢乃亜の隙を伺っている。

原宿駅のホームではあまりお目にかかれる機会のないドアを蹴破られてしまった電車での戦闘に興奮した『スペクタリアンズ』がスマートフォンでネット画像を拡散したりビデオを撮っていたり、解放された周波数帯域でしか巡り合えない『TV=SF』が提供する『フリープレイ』に興奮している。

「あーもう何から何まで。これだから天然ものっていうのはさ。ではでは、『蓮花院通子』ちゃん、さっそくよろしく、ぴっぽっぱっ!」

巡音はスマートフォンで開始の合図を『TV=SF』運営スタッフ、『蓮花院通子』に連絡を送ると、原宿駅の大型広告が一気に『フリープレイ』の広告へと切り替わり、大型モニターの類に、忍び装束姿の巡音潤と『ラジカルミラージュ』をまとった中沢乃亜の姿が映し出される。

土曜日の夕方の少しだけ人通りの落ち着いた原宿駅周辺は大歓声に包まれ始める。

「さぁ、どうする。このまま原宿で始めちゃうっていうのもサービス満点。とにかく上がってきなよ、巡音」

『ラジカルミラージュ』の挑発に乗るようにして巡音は熟達した忍者のように飛び跳ねて山手線E235系の屋根まであがる。

そんな彼らなんてお構いなしに原宿駅で緊急停車した山手線は通常運行のまま渋谷駅まで発車する、

「こういうのは、移動しながらっていうのがおしゃれなわけ。なんでもかんでも流れのままにってほんとお前はメスゴリラっ!」

シャキンと抜かれた『鬼丸国綱』を巡音は振りかざすと空気の層が断裂した刃物のようなソニックブームとなって『ラジカルミラージュ』に襲いかかる。

すっと裂かれた空気の分だけ出来た隙間に寄りかかるようにして身体を傾けると、ソニックブームは中沢乃亜の鼻をかすめて線路脇の電柱を真二つに切り裂く。

既に待機していた補修用ドローンがすぐに電線の電気の供給を開始して、都市の機能に不備がないような応急処置が施される。

「あーこちら蓮花院。あんまり馬鹿げた技ぶっ放すと、デスペナルティ! 後ろに気をつけろよ! 周りに気を配れ!」

まるで巡音の見張りにつくように張り付いている『竹右衛門』から女の子の声がする。

通信用小型霊獣はD地区特別興業の為に急遽呼び出された運営スタッフに簡単にハッキングされて意識を乗っ取られる。

突然振りかざされるソニックブームをぎりぎりでかわしたけれど、真空を切り裂く風圧で中沢乃亜の頬に小さな切り傷が出来て血液が流れる。

「相変わらず目立つためなら容赦なし。音速っていうのはさ、こうやって超えるんだ」

正しく綺麗な姿勢で正拳突きが繰り出されると、E235系の屋根の上に張り付いていた『蛙』が──ぶべぇ──とおかしな声を出して吹き飛ばされるとそのまま線路から飛び出て宮下公園脇の路上へと落下する。

「あーあ。あーいう馬鹿はさ、拾ってくるのは大変なんだからやめてよね。一応私はブサイクにも優しいキャラで売っているの。んじゃ、先にスクランブル交差点にいっているよ!」

もう一度『鬼丸国綱』でソニックブームを出して電線を切断されてしまうけれど、空中を飛び回っている補修用ドローンが間に合わず、高電圧の電流をまとった電線が中沢を襲い、一瞬だけ出来た隙を使って巡音は電車を飛び降りて既に臨戦態勢が整った渋谷駅へと到着する。

『蛇』が再び『ラジカルミラージュ』に噛み付こうと淫らな舌先をはしたなく出して飛びかかる。

「もう我慢できませんっ! Eカップに乗り換えますっ!」

高電圧の流れる電線をブルーグローブ──カタオモイ──でそのまま掴み取ると『蛇』に向かって投げつけて十万ボルトの電流が『蛇』を焼き尽くす。

「うん。それは私も全く同じ意見。いらない人間。っていうのは実際にいるのかもしれない。自分の頭できちんと考えるように。あのさ、恋には順序ってものがあるんだよ」

焼け焦げた『蛇』はそのまま電車の屋根の上にポトリと落ちて流れた電流で手足が縮こまった死体へと変化する。

日が落ちかけた渋谷の街が停電と復旧を繰り返してバチバチと光を点滅させる。

補助電源の機能していないビルの大量の蛍光灯が光と闇を交互に提示して巡音と中沢の暴力と優しさへの問いに関する宴を歓迎するように渋谷駅周辺を包み込む。

投入されたドローンが次々に補修を開始して、無残に犠牲になって死体へと変貌してしまった『蛙』と『蛇』を回収する。

「さて、私は光のさす方へ向かうとしよう。難しいけれど、テロリズムとファシズムの違いを私たちが代行するならばこの下らない『フリープレイ』にだって価値はあるはずなんだ。完全に完璧で強固な意志ならばどんなに力に振り回されたって全体主義にまで辿り着くことはない。私について来られるなんて思うな。大切なのは完璧な肉体なんだ」

渋谷駅に停車する寸前の電車の屋根から中沢乃亜は決して揺るがない思いをまとった『ラジカルミラージュ』の力を使って大きく跳躍し井の頭通り入り口付近へ着地する。

「あーヒーローのくせに到着が遅すぎるから不特定多数のみんなはもう私のもの。アウェイで人殺しをして反感買って味方もいないのに孤軍奮闘。頑張ってねー」

渋谷駅スクランブル交差点前は、先に辿り着いていた巡音と『蛞蝓』の二人を取り巻くように交通規制が施され、さらに忍者姿の二人を囲い込むようにして映し出される電光モニターが『フリープレイ』の開幕を告げている。

交通規制された交差点の外側には選出されたバトルノイド二人の意志と思想のぶつかり合いの答えを一目でも確認しようとたくさんの若者たちが駆けつけている。

上空には監視用と補修用のドローンが飛び回って渋谷駅一帯を異様な空気へと変貌させている。

ゆっくりと北側から歩いてくる『ラジカルミラージュ』こと中沢乃亜の行く先を避けるようにして人だかりが道を作る。

カメラのシャター音が無数に聞こえる。

遅れてきた主役の登場に街中が歓声で沸き立ちあがる。

渋谷駅Tsu+aya屋側に立っている巡音が『鬼丸国綱』を地面に突き刺して従者を服従させて今にも暴れ出しそうな『スペクタリアン』を制圧している。

「ねえ、恐怖と圧政による感情の抑圧によって制御された空間であなたはあなた自身であり続けることが出来るかしら」

『鬼丸国綱』が地面にもう一度突き刺さり、ガキンっという金属音が渋谷の街に鳴り響くと『スペクタリアン』たちに畏怖が混ざった反響音が届いてスクランブル交差点全体が緊張に包まれる。

「それは違うね、ジュン。私はいつだってスタンドアローンだ。一撃必殺痛快明快、確実に私の肉体は不完全な暴力を凌駕するんだよ」

渋谷駅交番前あたりについた中沢乃亜は、今まで何度も精密な優しさと圧倒的な暴力で『既成概念』を制圧したことを誇りに感じながら、『スペクタリン』たちの視線に監視されている。

一瞬だけ出来た沈黙を破るようにして一眼レフカメラのシャッター音が鳴り、狂気を内在させた非日常空間がデジタルデータへ還元される。

「私たちは大人になった。だから神様たちが見たい世界を作り出していく。それが歯車の動きを乱さずに世界を運営する手法であるべきなんだ」

芹沢美沙はデジタルカメラに納められた二人の少女の姿をモニターで確認する。

黒い眼帯の向こうでは壊れた過去を補修するようにして義眼が悲鳴をあげている。

きっと宇宙の向こうに私の声は届いているんだと芹沢美沙はそう、確信する。

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