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「懲役200年の懲役刑と九つの罪での死刑を言い渡されて収監されていた特別刑務受刑者”トイムツオ”。現在はトトという名前で執行猶予付きで刑務所外での生活を監視付きで許可されて緊急時特命排除係第一種としての役目についている正真正銘の元殺人鬼。なぜでしょうね、彼の名前をどこかで聞いたことがあるような気がするわ」
十草総悟は資料として渡されたトトと呼ばれる人物の顔写真をみていつのまにか記憶の中に刷り込まれている殺人鬼の正体についてアイシャ・トルーマン・川上に質問をしている。選ばれた場所は帝都電力マトリクスエレメンタル(株)江東変電所前の荒川河川敷で深夜二時の丑満時。執行対象は花のエーテル保有者である本名、幕内智子、女子レスラー、リングネームは吾妻龍泉歌。執行人は国家安全機構人員調査室特務機関”Eternal”所属、鬱ノ木礼子。そして排除係はまるで闇夜に紛れるように漆黒の出立で迷彩を施している旧名、都井睦雄、執行猶予中につき彼は”トト”を名乗る。真っ暗な河川敷に直径20センチ高さ五メートルほどの丸太に荒川を背にして縛りつけにされ猿轡の吾妻龍泉歌を挟んで右手に排除係、”トト”、左手に執行人、鬱ノ木礼子が日本刀のような形状の武器を携えて立っている。アイシャと総悟は一段高い土手の上から現在時刻が、午前1:55であることを確認して執行が開始されるのを秋の夜風が吹き荒ぶ土手の上で待機している。
「綺麗な花をね、思い切り愛でてあげる時の感覚って知ってます?優しく傍によって匂いを感じ取って、花弁の一枚の感触を指先で丁寧になぞってあげながらその美しい形がぼくの力でちょっと力を込めるだけで崩れ去ってしまう瞬間をぎりぎりまで堪能するんです。そういうのって簡単になくしちゃいけないって思うんですよ」
長い黒髪が風にたなびき、身体の右脇に携えている何の装飾も施されていない鞘に刀身の鍔が触れて金属音で暗闇の中に紛れ込んで見えなくなってしまいそうな”トト”を礼子は威嚇する。吾妻龍泉歌までの距離はおよそ十メートル。相手の実力を一目だけでは完全に測りきることは出来ないが、おそらく吾妻龍泉歌を一閃する前に二十メートル向こう側にいる男になんらかの妨害をうけてしまうはずだ。刻一刻と時が過ぎ去っていく荒川河川敷で鬱ノ木礼子は右脇に抱えた極閃光型エーテル収束装置”エターナル”の刀身に彼女は全身に流れている狐火のエーテルを注ぎ込み、まずは漆黒のベールを纏った男を叩き切ると決意する。
「まずはその口を閉じてもらうことになりそうですね。ご覚悟を。あなたの命運もここで私の”エターナル”が吸い尽くしてご覧にいれます」
アイシャが腕時計を確認して、2:00ちょうどに長針と短針と秒針が指し示した瞬間に火のついた松明を吾妻龍泉歌の足元に投げ入れると丸太の袂にくべられた薪が一斉に燃え出して、その瞬間に鬱ノ木礼子が右脇から左手で”エターナル”を引き抜いて一気に”トト”との距離を縮める。けれど、甲高い金属音が響いたかと思うと、”トト”は両手の黒く長い強靭な爪で”エターナル”の刀身を弾き返して、鬱ノ木礼子の脇を抜けて燃え盛る火炎を背にして鬱ノ木礼子の背を見つめる。土手の上のアイシャと総悟から三メートルほど離れた場所で伊澤亮太があんぐりと口を開けて火の勢いが増していき吾妻龍泉歌の命が終わろうとしている2026年10月25日の空に浮かぶ満月の光で照らされたパートナーの素顔を見つめている。吾妻龍泉歌は体に近づいてくる炎の熱から逃れようと必死で足掻いているけれど猿轡のお陰で声は出ず誰にも届くことがない。
「いけないね。悪い癖が出ている。この爪で彼女のことをすぐにでも救えるのにまだ君と楽しみたいと思っている。さぁ、夜は始まったばかりだ。ぼくが最後までこの麗しき姫君を守り抜くとしよ」
鬱ノ木礼子が体勢を整えて”エターナル“を上段に構えてもう一度狐火のエーテルを注ぎ込み、殺傷力と切れ味の増した刀身の力を信じようとする。必死な形相で足掻いてもがいて泣き喚いている我妻龍泉歌の顔を鬱ノ木礼子は一瞥すると柄を握りしめた両掌に渾身の力をこめる。
「いえ。死ぬのは努力と根性です。いざ尋常に」
鬱ノ木礼子が今度は吾妻龍泉歌に向かって直接刃を向けて斬りかかろうとするのを”トト”が再び弾き返すけれど、矢継ぎ早に鬱ノ木礼子は”エターナル”に内在している波状分裂収束法によって吾妻龍泉歌に襲いかかり、狐火をまとった刀身は無数に分散していく。その度に” トト”がまるで燃え盛る炎とダンスでもするようにして光り輝く刀身を次々に跳ね返していってしまう。吾妻龍泉歌の足元で河川敷に吹き荒ぶ風に煽られて炎が揺らめいて踊るようにして勢いを増していき、彼女の悲鳴が猿轡に抑え付けられたまま何度も繰り返される。
「実力差があるんでしょうか。”トト”は手を伸ばせば吾妻龍泉歌を簡単に火炙りから救うことが出来るはずです。でも彼はそれをせず、殺し合いそのものを楽しもうとしているように見えます。それに比べて、鬱ノ木礼子は一切集中力を切らさない。あの刀で波状攻撃を仕掛けられたら”トト”の爪がもたないように見える」
「さぁ、それはどうかしら。”トト”は排除係の中でも緊急時特命排除係第一種を与えられている数少ない人間の一人よ。いくら代々死野川家と濡羽島家とともに大和の裏家業を担っていた鬱ノ木とはいえ彼相手ではいずれ破綻する。とにかく執行は三者の誰かが命を落とすまで継続するのよ。見届けなさい。敵討ち法は国民によって受諾され合法的に殺人が許可された公共事業。エディプスはその責務のほぼ全権を託されているの」
もし社会から法律が消えて人間が自由に振る舞うことが出来るようになったのならば、人間は自分たちの社会をどのように形成していくだろうか。善意によって環境を構築し、悪意によって阻害される集団生活を守ろうとする意志を保つことが出来るだろうか。もし、隣の住人が自由に人を殺す権利が与えられていたのだとしたらおそらく適切な時間に睡眠を取ることでさえ選ぶことが出来なくなるだろう。人間は規則と規律を不文律として守り通すことが出来ないからこそ文化を発展させて教育を施し、集団として環境を維持する機会を与えられながら発展を続けてきた。洗練と調整によって不随意な社会生活をより良きものへと進化させてきた人間は敵討ち法によって欲望の奥底に眠る共食いの法則さえ許容しようとしている。完全に整備されたシステムによって解放された願望が成就される環境を与えられた人間は人という種族自体が抱えている集団性防衛本能を存続させることが出来るのかどうかをアイシャは燃え盛る火炎で足掻き続けている吾妻龍泉歌の生死の行く先から確かめようとしている。
「本当に嫌なんです。私は。自分の信じてきたものが叩き折られるなんて絶対に。だから、私の全身全霊の一撃で、幕内智子、あなたには死んでもらわなくちゃいけない」
狐火のエーテルの一極点に収束した刀身で、ほんの少し息を乱した”トト”の黒い爪をめいっぱいの力でなんとか弾き返して出来た一瞬の隙をついて飛び上がった鬱ノ木礼子は渾身の力を込めて”エターナル”を頭上から振り下ろし、吾妻龍泉歌を一刀両断しようとする。燃え盛る火炎の中から”トト”が這い上がるように鬱ノ木礼子の目の前に現れて右手で”エターナル“を刀身の横から加えた力で二つに叩き折り、そのまま彼女の腹部目掛けて妖艶に伸びた爪の先で串刺しにする。
「駄目ですよ。これは決められたことなんです。ミストレアの精神同位体である彼女を私たちは失う訳にはいかない。まだまだこの世界はもっともっと面白くなるはずですからね」
” トト” は鬱ノ木礼子の腹部に刺さった黒い爪を引き抜いて礼子を投げ捨てると、そのまま身体を翻して吾妻龍泉歌が縛られている縄を右手で切り裂いて彼女をまるで魔女狩りのように業火で焼き尽くそうとしている丸太から切り離して左腕に抱きかかえたまま荒川河川敷の土の上に着地する。
「え。私、助かったちゃったんだ。こんなの嘘だと思ってた。まるでシンデレラにでもなった気分」
「十二時はとっくに過ぎています。あなたがお姫様になるのには少し時間が遅かったようだけれど、それでも明日またあなたは吾妻龍泉歌を名乗ることが出来る。それだけは本当ですよ」
「あはは。そう。夢じゃないんだね。本気になって損しちゃった」
土手の上から伊澤亮太が泣き叫びながら駆けずり降りてきて地面に降ろされた吾妻龍泉歌の元に駆け寄って思い切り力をこめて彼女のことを抱きしめる。吾妻龍泉歌は泣くこともできず、ただ乾いた笑いを浮かべていて伊澤亮太は今まで彼女がみたことがないほど取り乱しながら吾妻龍泉歌が生き残ったことを心の底から喜んでいる。”トト”は二人の元から立ち去って、河川敷に倒れ込んでいる鬱ノ木礼子に静かに語りかける。
「あなたが何の根拠もなく信じ切っていたものだけはぼくが折らせて頂きました。けれど急所だけは外してあります。もしあなたに星の加護が舞い降りるのならば、その刀を捨て生きることは出来るでしょうね。いつのまにか私は制限された殺しだけで生きながらえる事で浄化されているんでしょうか。いえ、そんなはずはありません。私はまだ血の匂いがとても愛しくて堪らない」
アイシャが左腕に嵌めたダイヤモンドが円形に配置されたピンクゴールドとブルーの腕時計で時間を確認すると、2:43で彼女は執行が完了した時間を記録する。執行規則に基けば、現在の状況は不可分的に許容されるはずだということをアイシャは見逃そうとしてしまう。
「”トト”が執行放棄で、鬱ノ木礼子は戦闘不能。吾妻龍泉歌をこのまま見逃すしかない状況ですね。どうしますか?アイシャさん」
「どうもこうもないわ。私は法の執行を独立権限によって許可された番人で、それ以上でもそれ以下でもない。敵討ち法第七条を厳密に適用し、現在条件を目視で確認。吾妻龍泉歌の執行は無効とします。以後の処理と手続きは執行無効届を法務局に提出して今夜のことは判子待ち。悪いんだけど、その役目はあなたにお願いすることになるわ、十草総悟君。お使い、頼まれてくれるわね」
「ぼくは”Mr.X”でアイシャさんのお役に立てるように依頼されていますから何も問題はありません。吾妻さんと伊澤さん、すごく嬉しそうですね」
「きっとまたあの小さなプロレス団体に戻って彼らの上司やどうにもならない圧力に振り回されながら生きていくだけ。もしかしたらあんなに喜びを感じることのできる夜は最後になるかもしれないわね」
「たとえ、そうだとしても彼女たちのもとには満月の光と河川敷を吹く風と荒川の流れの音が祝福しているみたいに集まってきていますよ。彼女を燃やし尽くそうとした炎だって一緒だ。それにアイシャさん、あなたも嬉しそうな顔をしてる」
「さーて。どうかしら。深夜の執行公務には特別手当がつくけれど、やっぱりお肌には悪いしあまり気分はよくないわね。明日は一日お休みだから一日寝ていられるけれど。どう?こんな遅い時間だけど仕事が片付いたらお酒でも付き合わない」
「いいですね。”Mr.X”はこんな時間だから開いていないし、お店はアイシャさんに任せます。バイクの後部座席に乗ってください。せっかくだから満月の夜を思う存分楽しみましょう」
「ちょっと待って。その前に特例処置を実行しなければいけないわ。すぐにでも医療班を呼ぶ必要があるからお楽しみは彼らの到着を待ってからにしましょう。朝までには片がつくはずだから」
「鬱ノ木礼子は一命を取り留めるでしょうか?」
「そうでなければ、せっかくのお酒が台無しになってしまうでしょ。ちゃんと救うわよ、彼女も。それにお店の時間は気にしないで。知り合いの店に連絡をしておけば遅くなっても開けておいてくれるはずよ」
「なんてお店なんですか?」
「Placeboってイタリアンレストランだけど、夜中もバーとして営業しているの。古い知り合いのお店だから融通はきくと思うの」
「そのお店知っていますよ。前に話したポプリがよく打ち合わせやプライベートで使っていたから」
「あら。大切な彼女との思い出を汚したりしていいのかしら」
「意地悪を言わないでください。一度だけ彼女と一緒に行ったことはあるけれど、向こうはもうそんなこと忘れてしまっていますよ。窓際の席でお互いの仕事についてずいぶんと意見を交わし合ったんです」
「あなたの仕事?私のような女の小間使いを昔から?」
「いえ。ぼくも彼女もミュージシャンだったんです。もちろんぼくは微々たる稼ぎしかなかったからずいぶんと彼女には怒られました。お前は余分なことばかり気にしてるって」
「その癖は今も変わっていないってわけね」
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれない」
「彼女にあったら、あなたはミュージシャンを続けようとするのかしら」
「そうでしょうね、ぼくと彼女の共通言語みたいなものですから」
「けれど、あなたは何かに迷っている」
「ポプリが変わってしまったのか、ぼくが変わってしまったのかまだ判断がついていないからだと思います」
「なら答えは簡単ね。前に進んでみるしかない。ほら、話をしているうちに救助ヘリが飛んできてくれたわ。これならまだ朝までは時間がある」
「きっと鬱ノ木礼子は助かりますね。なんだかそんな気がします」
「あなたの昔話を聞いていたら、私まで変なことを思い出しちゃったわ。すごく嫌なやつのこと」
アイシャと総悟はようやく気を緩ませて、お互い顔を見合わせて笑顔になり少しだけ距離を縮める。西の
空からエディプス医療班の救助ヘリが飛んできて、鬱ノ木礼子を担架に載せて、運びこんでしまうとひどく明るい満月に向かって彼女を運んでいく。アイシャと総悟はZR−1100にまたがって荒川河川敷からアクセルをフルスロットルでPlaceboへと駆け抜けていく。

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