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09.Being understood is not the most essential thing in life.

「思ったよりせっかちな奴だ。俺たちが黙って行動を制御する時間を全く与えない。断定は出来ないが何もかも繋がっていると考えているのが妥当だろうな」

乖次は突然巻き起こった殺人事件の影響でパトカーと救急車が押し寄せた大学構内から抜け出して集まったファミレスでWi-Fi接続したノートPCをぼくら四人が確認できるように見せる。

「今日中に大学側は学校を閉鎖するかどうかを決めてくるだろう。俺たちの企みに気付いて目立つ行動に出て来たってことだ。このwebサイトを知ってるか。うちの心理学部の学生が運営しているキュレーションメディアだ。けっこうなアクセス数があってネットじゃかなり有名なんだ」

Doppelgängerという黒文字のオカルトっぽいフォントが使われたタイトルには最新記事が5件程並べられていて左側にはサイト管理人の口元と思しき写真が貼り付けられている。

少しピンクがかった赤い口紅と金色のウェービーな髪型はどこかで見覚えがあると思ったらさっきトイレですれ違った学生でぼくと沙耶は思わず顔を見合わせて笑い合う。

「なんかあったの、二人とも。いつもみたいにギスギスしてないじゃん。それはともかくこの人結構有名だよね。Twitterとかにもがんがん顔出ししているから学内でも知っている人多いと思う。それでこの恋愛工学のスペシャリストとやらがどうしたの?」

乖次は最新記事の項目から、──もっと見る──というピンク色のボタンを押して過去記事一覧ページを取得すると四ヶ月前の記事を取得してぼくらに見せる。

「騒ぎが小さ過ぎてテレビじゃ扱われなかったみたいだが、このサイトの管理人が偶然現場に居合わせたのか写真付きで載っているんだ。──顔面蒼白男、宇宙戦艦発射する──」

乖次の見せた記事を見て沙耶が珍しく面白そうに反応する。

「あ。これ知ってる。通勤ラッシュの電車内でものすごい怪力の男が──宇宙戦艦コンゴウ 発進! ──とか叫びながらぎゅうぎゅうに寿司詰状態の人間を二十人近く強引に押し出して事故を起こしたやつでしょ。すごくリツイートされてたから私も見たよ」

「この顔の白いやつがそうってことだな。一年前のストーカー事件ダッケか。ラクロス部の未使用のロッカーに部外者が体育座りで忍び込んでて携帯みたらラクロス部のキャプテンの写真でびっしりってやつも確か。こいつは怪力じゃなくて二週間飲まず食わずデいたから精神虚脱状態で目が血走っていたな」

ぼくらが一連の事件の繋がりを見つけていると入り口から狐姿の獣人がプロペラ付きの緑色のドローンを従えて入ってくる。

胸元の『アースガルズ』がレーザービームでドローンと戦っている。

ぼくらに気付いた白河君が手を振ると『アースガルズ』は胸元に引っ込んでプロペラ付きの緑色の丸型ドローンがこちらに向かって一足先に飛んでくる。

「久しぶりだな、キモオタデブ。狐がヤキモチを焼くから俺はしばらく充電を切られていたんだ。ご主人様と何か話でもしたいのか」

小型霊獣『竹右衛門』は通常ならば近くに『魔術回路』持ちがいた場合エネルギー供給を受けることで意志の疎通が出来る自立思考可能な魔術生命だけれど、白河君は獣人契約を結んでいる為遠距離でも一定量のエーテルが供給されているようで、外界との一切の通信手段を遮断されてしまう『マグノリア魔法学院』に留学中の白河君の契約者、巡音潤との簡易的コミュニケーション手段として彼に預けられているようだ。

「こいつは小賢しい上に電源を入れると小生からエネルギーを奪うでござるからな。緊急時以外は使用を控えているデござる。先程確認したら十分ぐらいなら大丈夫そうでござる」

何故か少しだけ膨らんでいる白河君の股間はとりあえず無視することにして遠く一万キロ離れた辺境艦隊『ヴェスタパイン』へ『竹右衛門』に通信を繋げてもらう。

「ねえ。悪いんだけど短い時間にしてもらえる? これけっこう私の精神的負担がすごいの。狐顔のバイブを突っ込まれているっていえばいいのかな」

「負担とは酷いでござる。小生は観念的愛の存在を信じることが出来そうでござるのに。顔が火照っているデござるよ」

微妙に息が荒くなっている巡音は辛いと言いながらもまんざらでもなさそうでなんだか通信をお願いしているこっちが馬鹿らしくなる。

白河君はプライベートでこの霊獣を使用しているのだろうか。

「秘匿回線に割り込んで済まない。後で解消する時間を白河君に作らせる。ところで機械と連結するようなエーテルはそちらではもう少し一般的だと白河君に聞いたことがある。少し聞きたいことがある」

「あー。えーと。なんだっけ。あー。そうだねー。うーん。いいよー」

急に対応がしおらしくなってしまい、質問をするのも気が引けてしまう。

まともに脳味噌は働くのだろうか。

沙耶が回線に耳を傾けながら嫌悪感を露わにして表情を歪めている。

「例えば、直流電圧によってエーテル蟲を飼い慣らしたり、人間の精神や意志を乗っ取るような魔術は基本魔術の中にあるのか。もしくはバイオマシンのようなものを作り出せる魔術も含めて」

ふぅと大きく溜息をついてちょっとだけ間を置いてから白河君はそそくさとトイレのほうに向かってしまった。

一体魔術とはどのような回路でぼくらを支配しているのだろうか。

ぼくは何も知らないのだということをまざまざお思い知らされているような気がする。

「へーへー。あるけど基本魔術じゃ無理かな。『いにしえ』よりももっと複雑な『陰陽魔導』とか、もしくは最先端の科学と融合してる所謂『メテオラ』の類とか。けど、そんなの一般レベルじゃ姿どころか存在すら見つけるのは難しいよ。あ。『竹右衛門』は一応その技術の一部かな」

いわゆる第二次大戦前の魔術師が使っていたとされる『いにしえ』とも違う魔術が存在している? 戦国時代に産まれたと公的な歴史教科書には記載されている魔術はやはり表面的な術式でしかないようだ。

『メテオラ』とやらは横尾先輩のほうが詳しそうだ。

「じゃあそんなものを一般人が使えるなんてことはまず有り得ないってことか」

「あーそうとも限らない。なにせ巡音家はお金持ち。没落貴族の中に正規の魔術教育を受けられないけれど、そういう呪法を受け継いでいる人たちがいてもおかしくはないね」

「けど、そんな人たちは『優性人種保護法』で隔離か実験対象になるだろ。戦後の占領支配と教育から抜け出せるとは思えないな」

「あくまで可能性の話。それぐらい『陰陽魔導』や『いにしえ』すら外れてしまう術式はイカレてる。私たちでもほとんど精神負荷に耐えられないことがほとんどだしね。まぁ、お姉ちゃんはそこに手を出しているから表舞台にはほとんど顔を出さないけど」

とても繊細な問題が点と点を露わにして繋がり始めている。

けれど、巡音の言う通りだとすればぼくらがどうにか出来る問題なのか分からなくなってきた。

「それじゃあ警察の魔術対策課程度ではどうにもならないってことか。足を突っ込むだけ馬鹿げていると」

「そういうことになるのかな。けど、そんなの使う人は聖人君子みたいな人だよ。悪意のようなものとは無縁だと思うな。というよりそういう精神構造そのものが」

巡音がその先を話し始めようとすると、突然『竹右衛門』のバッテリーが切れて通信が遮断される。

ふわふわと浮かんでいた『竹右衛門』が力尽きてファミリーレストランの四人席に落下する。

肝心なところで話が有耶無耶になってしまった。

聖人君子しか使うことの出来ない回路がぼくらの日常の中に忍び込んで異常を運んできている? 昨日の夕方みた光景が未だにびっしりとぼくの記臆野には保存されてしまっている。

きっと、だからこそ、狂気によって正常な思考を破壊されずに済んでいるのかもしれない。

まるで冷たい機械兵器みたいに。

「『七星学園』ってところが少しだけどんなところか分かった。使うことを禁止されている魔術は許された人にだけ与えられている。私たちにとってはやっぱり複雑な話だね」

学校随一の才女である佐知川ルルにとって『竹右衛門』や巡音の存在はやはり日常の外側にある話なのだろうか。

獣人に対して世間の悪意ある印象は和らいできたとはいえ、まだまだ『魔術回路』に対する偏見はとても大きいと言えそうだ。

白河君がトイレから出てきてさっきより少しだけすっきりした表情を浮かべている。トイレ内で何があったのかはなんとなく想像が出来そうだ。

「あの魔法少女の言いたいことは俺たちが無知だってことか。全知全能でないことを自覚すれば自ずと答えは見えてくるのかもしれないぜ、和人」

『アースガルズ』が周りを気にしながら白河君のデニムシャツの隙間から飛び出てくる。超合金製のフィギュアに意志が宿り生命に似た現象を保有している。

ぼくらにとっては当たり前になりつつあるけれど、やはり生命という定義からすれば『アースガルズ』はかけ離れているといえる。

何しろ、『アースガルズ』はぼくらが子供の頃見ていたアニメの玩具が言葉を話しているだけ、なのだから。

「相変わらずお前は知識の外側から混乱を与えにやってくるな。ただ、お前が『超神合体アースガルズ』の主人公ロボなら他の魔神もお前と同じ状況に導けるんじゃないか」

乖次が非日常の連続で思考が追いつくことの出来なくなってきたぼくらに一杯の安息を与えようとする。

張り詰め過ぎた心が壊れてしまわないように冗談でぼくらを和ませる。

「撃滅合体や激震合体も出来るかもしれないってことか。白河君、部室に『トール』の超合金を置いてなかったっけ。『ロキ』はうちにあるけど、今すぐとなると逆鱗合体は出来そうにないよな」

ぼくはスマートフォンを取り出して『ドグラマグラ』に激震合体のアニメーションシーンを検索させる。

子供の頃、いやって言うほどみた『アースガルズ』の合体シーンをもう一度目の前で再現してみたくなっている。

「子供の頃の記憶ね! ちゃんと私がみつけてあげたわ! 武神『トール』との激震合体は合計で三パターン、最も一般的な激震合体は誰もが高まるこのシーンってことかしら!」

ぼくは『ドグラマグラ』の検索した動画を見せる為にスマートフォンをテーブルの上に置き、白河君と乖次の前に出して確認する。

沙耶とルルはたぶんセーラー服が全身を光で包み込むヒロインのほうに夢中だったようで『アースガルズ』の話では盛り上がらない。

「おーこれでござる。『トール』が二つに分裂してハンマーとドリルに変形して『アースガルズ』の両腕と激震合体する。必殺技は確か」

「激震ブレーカー! スターダストブレイカー!」

ぼくと乖次は思わず声を揃えて子供の頃の必殺技の呼称に熱をあげる。

地面が叩き割れマグマが噴き出すと敵宇宙人が割れ目に呑み込まれ砕け散る。

雑魚キャラは激震合体でほとんど一掃されてしまうシーンについてぼくと乖次と白河君が話に夢中になり、沙耶とルルが呆れながら氷が溶けかけたドリンクをストローで吸っている。

ちょっとだけ心が解れて大学生では耐え切ることの出来そうになかった事件の連続からほんの少しの間だけ現実逃避をする。

「今頃学生棟の正面玄関は立ち入り禁止でござろうか。裏口からなんとか侵入して部室に戻ることは出来ないでござろうか」

白河君の珍しく冒険心の溢れる提案にみんなが息を呑みちょっとだけ心が高鳴る。

悪いことをする時、赤信号をみんなで渡ろうとする時、ぼくらは罪の意識を共有して共感を覚えてお互いが必要だということを感じ合うことが出来る。

さっきとトイレでぼくと沙耶がそうやって壊れてしまいそうな心を補完し合ったみたいに。

乖次が身を乗り出して白河君に同意する。

「カメラはある。誰もいない学生棟が俺たちのものになる。裏口よりも非常階段から侵入出来るんじゃないか」

ルルが真顔になって非常階段入り口の南京錠を壊す方法を算段する。

「入り口は鍵がかかっているよね。叩き壊すか細長い金属でこじ開けるか。何かいい案はあるかな」

沙耶がズズッと音を立ててアイスコーヒーを呑んで前髪を留めていたヘアピンを抜いてぼくらの前に静かに置いて知らないフリをする。

「誰かこういうのが得意な子がいるならやってみるのはやぶさかではないね。ドキドキとワクワクはお肌の健康にとても良い」

意味深なことをいう沙耶の甘い言葉に流されないようにぼくはヘアピンを手に取り手のひらの中に隠す。

「十六桁までの暗号鍵なら壊したことがある。同じ要領でまかり通るなら楽勝だろうな。陽が落ち始めた。他の学生もほとんど残っていないだろう。行ってみようか」

テーブルの上にヘアピンを握り締めた拳を置くと白河君、乖次、沙耶、ルル、そして『アースガルズ』の順番でぼくの拳に掌を置く。

とても小さな悪事をぼくらは五人と一体で共有する。

「今日は俺が奢ろう。中はまだ警察がうろちょろしているだろうな。出来る限り見つからないように学生棟非常階段へ向かうんだ」

乖次がまず最初に立ち上がり、ファミレスの伝票を持ってレジへと向かう。

四十代後半の女性がレジに立ち会計に対応すると笑顔でぼくらを見送る。

「ほら。パトカーが正門にはまだあんなに止まっている。救急車がないってことはもう遺体の類はないってことだな」

ぼくは正門に赤いサイレンがくるくる回る様子を見て校内の状況を推測する。

「南門と東門はともかく北門ならそれほど人はいないんじゃないかな。迂回してみよ」

沙耶が冷静に対応して正門へは向かわず、普段はあまり利用することのない北側へ向かう。

「ねぇ、あの子はどうして自分とあんなに違う男に初めてをあげたのかな」

ルルが沙耶に唐突にぼくらには分かりそうにない話をして間を潰そうとする。

「一目惚れっていうのだと思う」

「あー。女の方じゃなくて男の方のか」

「窮屈が好きそうな顔をしていたでしょ、あの男」

「当たり前のことをして当たり前の事を考えて当たり前の子を好きになる。そういう顔だったね、確かに」

「はみ出してるってあの緑色のカーディガンを見て気づいたんじゃないかな」

「だから本当の気持ちを知りたくなったってことか。大した男じゃないね、どっちにしてもさ」

「まあ、それでも初めての人だからね。あの子は普通に生きたかった。そう思ってそうナ叫び声だった」

「男はあの世で後悔するだろうか」

「まぁ、世の中にはだいたいそういうやつしかいないからね」

沙耶とルルが前を歩いてぼくらを導いていて、沙耶が後ろで組んだ手がぴらぴらと動いていてなんだか誘惑しているように錯覚してしまう。

「あの如何わしいサークルの男供はチャラチャラといけすかない学生連中ばかりであったでござるよ」

「白河君。それが柵の向こう側で行われている日常だ。魔法少女を愛しても奇跡は訪れない」

「悲劇に呑まれるよりかはちょっとだけマシかもしれないな」

「馬鹿馬鹿しいでござる。貫き通せばいいだけでござろう」

「甘いものなんて必要のない人生を生きていたら柔らかいものは遠ざかるぞ」

『アースガルズ』がピカッーと目を光らせて直上の白河君に鋭いレーザビームを喰らわせる。「何も見えないぐらいなら曖昧でも実感のあるものを選ぶ。けど、手に入れてしまったら恐怖に勝てなくなる」

「ゴールはわかりきっているでござるからな」

「うぉぉぉぉ! 白河君! そこはゴールじゃないんだ!」

「そうだ、わかってはいるが止まることは出来ないんだ、俺たちは。まだ見えるうちに歩き続けるしかないな」

理想と現実がぼくの間を行ったり来たりして手に入りそうな方を遠くに見せて難しそうなものをすぐ近くで匂わせる。掴み取ることが出来るって知った瞬間に怖くて叩き潰そうとしてしまった男はもう何一つ握り締めることが出来なくなってしまった。

もし、そうだとしたらなんて悲しい話なんだろうって考えたけれど、そんなものは何処にもないんだって気付いて瞳が濡れて視界がぼやける。

ちょっとでも隙をつかれると重苦しい空気に身体が支配されて歩くことが難しくなり息苦しさが増していく。誰も何も言わずただ歩くだけの時間が過ぎてひと気の少ない北門まで辿り着く。

「やっぱりこっち側はパトカーもいないね。現場検証で学生棟正面玄関を避ければなんとかなりそうじゃないかな」

沙耶は北門の様子を見て安心するけれど、ぼくらは悪い事をしている訳ではないのだし、隠れる必要性はない。

けれど、急な思いつきとはいえ、部室にわざわざ玩具のロボットを取りに殺人事件があった現場に向かう大学生五人組というのは下手をするとおかしな疑いをかけられかねない。

出来る限り面倒ごとを避ける為にも警察官に見つからないルートを辿ったほうが良さそうだ。

「立て続けに学内でおかしな事件が起きているデござるからな。不審者扱いされるのは避けておくでござるよ」

たぶん沢山の理由をつけたけれど、ぼくらは五人でいたいって思っていたのだろう。

一ヶ月間に起きた二つの事件を繋げてしまうかもしれない『白ギャル様』はまるで殺人犯が現場に必ず戻るなんていうミステリー小説の定番をなぞるようにしてぼくらを再び学生棟へ呼び戻す。

「予想通り敷地内に学生は残っていないね。けど、電気をつけている部屋はあるし、教授達の中には居残っている人もいるのかな」

学校ごと封鎖されてしまう可能性も考えたけれど、殺人事件が起きた場所と被害者、加害者の居場所が移動していないことから推測するに警察も現場だけに配備を限定しているのかもしれない。

一ヶ月前の騒ぎのことをぼくはちょっとだけ思い出す。

人間は自分達のテリトリーの外側で起きている生死には無頓着だということなのだろうか。

当然の話だけれど、自宅から遠く離れた場所で死んでしまった他人のことを思い悩めるほどにぼくらは豊かな感受性など持ち合わせていない。

だからこそ、ぼくらは毎日を何事もなく生きていられる。

異国の地で銃弾に倒れる少年兵のことに誰が涙など流すだろう。

「正面玄関は当然封鎖。けど、あの人数なら非常階段からはすんなり入れるんじゃないのかな。だから問題は南京錠だけかな」

ルルは下品に右手の人差し指を鍵の形に折り曲げてぼくに犯罪教唆を示してくる。

大袈裟な言い方だけれど、なんだかひと気の少ない学内の雰囲気と相まってぼくらを異空間に迷い込んでしまったような気分にさせる。

こそこそとまるでスパイ映画に出てくる俳優にでもなった気分で警察官の眼をさけてなんとか非常階段の入り口まで辿り着く。

「予想通り鍵がかけられているな。和人、お前の出番だ。せっかくここまで来たんだ、お前の分身に友達を作ってやろう」

『アースガルズ』が人間ほど複雑ではない表情筋で笑顔をつくりぼくのスパイ活動を煽るようにしてライトをつける。

南京錠が灯りに照らされたのでぼくは右手で金色の金属を掴み左手に持っていたヘアピンを真っ直ぐに伸ばすと鍵穴から差し込んで内部の引っ掛かりを探してみる。

沙耶がぼくの隣にしゃがみ込んで不慣れな泥棒ごっこをじっくりと眺めている。

さっきすぐ近くでみたばかりなのになんだか気持ちが昂ってしまい手元が覚束ない。

「クラッキングをする要領で怪しい部分を丁寧にゆっくり探ってみるデござる。和人氏ならば、テコずる必要はきっとないでござるよ」

白河君の獣臭い息が逆にぼくを安心させる。

黒いヘアピンで内部の感触を丁寧に感じ取りカチリと歯車が動き出す音を微かに聞き取るとヘアピンを一気に押すようにして引っ掛ける。

「ぼくは自分の才能に今、酔いしれているデござるよ。新世界へようこそ。ここが次の世界の扉ってことになる」

沙耶と白河君が顔を見合わせて笑っている。

ヒューとルルが口笛を吹き、乖次がぼくの肩を叩く。

鍵の取り外された南京錠を取り外して格子状の扉を開けて非常階段へぼくらは侵入する。

「それじゃあリーダーは君だね、和人。お先にどうぞ。今度は私たちがついていく番だよ」

沙耶に急かされるようにしてぼくは階段をあがり三階の扉まで先行する。

途中孔格子の隙間から階下を覗くと警官が歩いていて見つからないようにぼくらは壁沿いを歩き姿を隠す。

「なんでだ、なんで俺たちは隠れたんだ。けど、和人。とても楽しい時間だな、今の俺たちには必要な時間だぜ」

『アースガルズ』が眼から出るライトを消してぼくらは夜の闇にまぎれながら三階に辿り着く。金属製の重い扉には鍵が掛けられておらずぼくらは容易く学生棟三階北側に侵入する。

「ヒトッ子一人いない静かさだ。あの騒ぎがあった後じゃ無理もない」

廊下の灯りはついているけれど、普段とは違う空気にぼくらは戸惑いながらも扉を開けてすぐにある部室の扉を開けてぼくらのアジトに帰ってくる。ソファの隣の本棚の五段目に置かれた超合金製の身体に長髪に大きな槌を肩に担いだ『トール』を白河君が手にして会議用テーブルの上に置く。

──よくぞここまで辿り着いたな。和人。たった一歩の違いが外と内の違いを分けるんだ。『魔術回路』はお前が呼び覚ますのを待っているだけなんだ──

『類』が頭の中でぼくにだけ聞こえる声で話し掛ける。

必要なのは意志を授ける手順と方法で、ルルがさっき乖次と話し合っていたノートに書き記していた物質生命に関する基礎理論をぼくら五人で共有しようとする。

「私の仮説が正しければ膨大な電荷と結合する触媒だけが問題になるはずなの。和人の言う通りだとすれば、『類』っていう魔術師は聖霊を増殖させる為に『マントラ』を使用したってことなのね。私がサンプルを盗んできたDNAの塩基配列データを電流に変換して強烈な電荷を帯電させることが出来るものに流し込むことが出来ないかしら」

ルルは自分の小さなノートPCに表示された塩基配列をUSBで接続して膨大な電圧として超合金製の『トール』に注ぎ込む手段を思索する。

「それならクラウド上を経由させて並列化したコンピュータの演算能力を使い算出したデータをテスラコイルに流し込んでエネルギーへと変換して『トール』を電流の渦へ放り込む、というのはどうだろうか」

ぼくはルルの提案とかつて『アースガルズ』に擬似生命のようなものが産まれた瞬間を比較して完成させるべき状態を予測する。

白河君が本棚に置かれていたテスラ装置をテーブルの上に持ち出すとルルは自分のPCを立ち上げる。

「私が使っている研究グループの並列コンピューティングシステムを使用しましょう。この場合重要なのは一度に収束するエネルギーになるはずなの。出来る限り高速処理が可能なものがいいわ」

ルルが見せてくれたノートPCには『Lîlîn』とヘブライ語で書かれた並列コンピューティングの為のアプリケーションが立ち上げられている。

「じゃあこのアプリケーションと『ドグラマグラ』を有線接続して『phoenix』経由で『アースガルズ』に直接プログラムを組み込もう。君の実体率をシュレディンガー方程式を通して限りなくゼロに近付ける。覚悟は出来ているかな」

「つまりは死とほぼ同義の状態にまで俺の認識を書き換えていくということか。失敗すれば俺自身は君たちの心から消失しかねない」

「そうだ。お前の電気抵抗率をゼロに近付けるにはその方法しかない。後は蓄電時間をコントロールして一気に放出する。理論上はお前の位相転移した超合金製の身体ならば帯電性に問題はないはずだ。そう、あの時と同じだ」

ぼくは『ドグラマグラ』を起動してオブジェクトプログラム機能『テトラス』の使用を命令すると、画面に表示された少女の『ドグラマグラ』はモザイク状に分解されるとオブジェクト形プログラム機能に切り替わる。

タッチしてオブジェクトを移動させながら必要なパーツを繋ぎ合わせて『アースガルズ』に蓄電時間による放出と波動関数をマイナス負荷に設定するブロッキングチェーンを定義する。

「和人は俺にあんな怖い思いをまたさせるんだな。ふふふ。けれど、俺も男だ。兄弟を具象化させるのであれば例え事象の特異点であれ飛び込んでやるぜ!」

「そうだ! これが俺たちが二人で作り出した悟りの極地! 『パーフェクトテクノブレイク』だっ!」

つい熱くなってしまう『アースガルズ』とぼくを尻目に乖次とルルは淡々と準備を進める。

冷静さを失い欲望に呑み込まれないように注意してぼくらはそれぞれのノートPCにルルと同様の並列コンピューティングの為のアプリケーションをインストールして少しでも演算結果を高めようとする。

少しだけ童心にかどかわされていた自分を戒めながらぼくは立ち上げた自分のノートPCに保存していた五年前に『アースガルズ』が産まれた時の異常現象の観測データをルルの元に送り状況復元の為に必要なエネルギー量を換算させる。

「これなら5マイクロ秒以内に蓄電したエネルギーを一気に放出すれば実現可能ね。『トール』をテスラ装置の中央に設置してもらえるかしら。サンプルDNAはたった一つ。だからチャンスは一度きりよ」

ルルの提案に全員が頷いて理論の実践が可能だということを確信する。

まるで悪魔と取り引きするみたいな気持ちでぼくらはノートPCでアプリケーションを立ち上げて『魔術回路』を科学的に合成する手段を発案する。

「なぜ私の左眼を悪魔たちは欲しがったのかな。今私の左の眼孔から聞こえてくる赤ん坊の鳴き声のような電磁パルスはまるで私を現世から隔離してしまいそう」

代替えとして用意されたカメラの触り心地が修理中のカメラとちょっとだけ違うことに芹沢美沙は不満を感じている。

どこか遠い世界で彼女の左の眼孔に埋め込まれている義眼のことを強く欲している人たちがいるような気がして悪意によって取り除かれた左眼が現実を付与されて蘇ろうとしている気分がして目眩を覚える。

消失してしまった左眼の質量は世界のどこかに保存されていて呼び起こされる瞬間を待っているのかもしれない。

「さぁて、準備はいいかしら。和人、稔、乖次、沙耶。『アースガルズ』を呼び覚ましたのが魔術ならば『トール』はきっと人間の欲望によって目覚めさせられるの。お人形遊びにずっと遠い昔の人類が夢中になっていた時とおんなじ気持ちで私たちは彼に生命の予感を与えてあげましょう」

『アースガルズ』がテスラコイルの正面に立って『トール』と向かい合う。

彼にだけ何故かインストールされてしまった人の意識と呼ばれる未知の物質を数時間前に人間の生命が奪われてしまった建物で呼び出そうとする。

悪魔たちの計画は人に良く似た神様の贈り物をぼくたちに送り届けようとする。

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