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「批判」と「共感」のベクトル。

SNSでよくみられる「批判」と「共感」。

ある人からは「共感」となるケースも、ある人からは「批判」になることも。

自分なりの仮説は「批判」の根底には「危険察知」があるということです。

人ゴト、つまり、自分にとってどうでも良い事なら、受け手は何も感じない。「へー、そうなんだ」程度の対応になる。

自分ゴトになる内容の場合にアクションが分かれます。

自分ゴトになる内容、かつ、自分にとってポジティブな事は「スゴイ!」となり、逆に自分にとってネガティブな事なら「批判」になる。

つまり、「スゴイ!」と「批判」は実はベクトルとしては同じであり、それは受け手の置かれた状況によって変わってくると考えられるわけです。

倫理的に問題がある場合を除き、"「批判」は「共感」と同様のアクションなのだ"と整理すると、少しは気持ちが楽になるのではないでしょうか。ベクトル自体は変わらないのだから、何もしないよりも遥かに価値があるというわけです。同時に、自分が批判をする場合にも「その感情はどこから起こっているのか」と一呼吸置いてみると違ったアクションになるかもしれないですね。

「批判」自体はストレスを伴うものの、その過程から学べることも多く、有名人が「批判」を浴び、そこから軌道修正を重ねて活動範囲が広がっていくように、あまり深く捉えず、常にトライアンドエラーを続ける姿勢こそが尊いのではないかと思っています。

吉田栄作が国民的スターだったころ、彼が述べていた言葉があります。

「俺のこと嫌いな奴らは、俺のことみんな好き」

彼の言動を気にかけている時点で、吉田栄作の大勝利なわけですね。

Photo by JD Mason on Unsplash

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