誰かの「法律違反場面」を動画で晒すことは、果たしてどうなのか
YouTubeのネタで様々なものが行われている。
面白いことをする人もいれば、音楽などの芸を披露する人。
誰かの真似をする人もいれば、有益な情報を展開する人もいる。
それぞれの人が試行錯誤の結果として、様々なアイデアが出てきている。
その中の一つとして流行っているのが、アテンションを取ることに特化したもの。
炎上系、迷惑かけまくり系、恐怖あおり系、正義執行系など、数々の顰蹙を買う行為。
これらの行為は果たして許されるのかどうか、かなり疑問な所。
その中で絶妙な位置であるものがひとつある。
それは「誰かの法律違反場面を晒す」という系統のもの。
法律を違反することについて、多くの人は避けて生きてきている。
敢えて法律違反を犯しながら生きていく人というものは、日本にはそこまで多くない。
それは多くの人の迷惑にならないように、誰もが生きやすい社会にするためということであるのも間違いない。
とはいえ、人によっては完全にそれを避けることも難しいのも事実。
完全に法律を善とすることも、ある意味立場によって難しいところ。
無意識に実施していたことが、実は法律違反であることも多数ある。
遅れるとまずいという状況の中で、信号を無視して進むこと。
一般道において平均速度が明らかに法律設定よりも高速で全員走行していること。
目に見えないところでわずかな現金を渡して、税金を逃れること。
気付かれないようにコンテンツの盗撮を行い、個人で楽しむこと。
他人の家の木に生っている柿を、くすねること。
違法DLしたもので利便性を味わうこと。
誰かにばれなければ問題ないという元にこれらを行う事、それに対して多くの人は知っていて知らぬふりをする。
完全に真っ白な状態でいる人というものは、生きている中ではほぼあり得ないように感じる。
その中で、わずかなスキをついて、その違法行為を撮影して晒して追い詰めるという行為。
法律違反を晒すことは、ある価値観からしたら善行かもしれない。
とはいえ表面上において「法律を守ることが絶対的な善」としている、「清廉潔白」を望む人からしたら、致命傷になる。
評判や名誉は永遠に地に落ちるし、その人の尊厳が完全に失われる。
一度ネットに晒されたものは、永久に刻まれる。
良い・悪いはおいておいて、その人の人生を一気にめちゃくちゃにする。
「晒す」ということで「社会的な死刑執行」が簡単にできてしまう世の中。
その事実に対して多くの人はどのように感じるのか。
「自業自得」という意見もあれば「それくらい多めにみてやれよ」「あれはやりすぎ」という意見も様々。
そもそもこの状態というものでは、何を健全とするべきなのだろうか。
他人の何かを勝手に晒すということ、それはものすごい効果をもたらす。
とはいえ、晒していることそのものについても、プライバシーという法律を違反している。
晒す側も晒される側も、どちらも罪に問われる可能性がある。
とはいえ、それが当たり前に簡単に行われる世の中。
全てのアテンションがお金に変換される可能性があるということにおいて、すべてを曲げる元凶は「お金」というインセンティブなのかもしれない。
価値指標としてのお金がもう少し変わった形で機能(例:迷惑をかけたことによって得られたお金は価値を持たないなどの補正等)しないことには、まだまだ続くのであろう。
ありがとうございました。
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