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勇者の暴力性

道端で、若い女性が困っている。どうやら、駐輪場に停めていた自転車がドミノ倒しになってしまい、自分の自転車を取り出せなくなっているようだ。

「手伝いますよ」

そう一声かけて、端から自転車を起こしていく……という行動がスムーズにできたら、人生はどれほど楽だろうか。


当方、めっぽう陰キャである。人に話しかけるのが苦手だ。

いや、待ってほしい。僕に「対人恐怖症」だの「コミュ障」だのレッテルを貼らないでほしい。それは早計というものだ。

たしかに、中学時代は隣の女の子に「教科書忘れたから見せて」と話しかけることができずに虚空を見つめて45分耐え抜いたこともある。高校の文化祭では「打ち上げに参加する人は私に話しかけてください!」と宣言したギャルに話しかけられず、「ギャルに話しかけるよりは孤独に耐える方がマシだ」と思って仕方なく帰ったこともある(後で「お前以外全員参加だったよ」と言われて肩身の狭い思いをした)。

だが、これは精神的に成熟していない思春期の話である。今は社会人として立派に社会に溶け込んでいるから、通り一遍のコミュニケーションはこなせる自信がある。僕は大人になった。もう31歳で、積み上げた人生経験が大体のことを可能にしてくれた。

それでも、当時の自分が突如としてフラッシュバックする瞬間がある。イレギュラーが発生したときだ。

思うに、僕のコミュニケーション術はすべて「事前に学習したモデル」に依存している。「こういうときはこうするとよい」という人生経験の蓄積が、僕の口を勝手に動かしている。出身地が同じだと分かればテンションを上げて「えっ!僕も札幌ですよ!札幌のどのあたりですか?」と聞けばよい。簡単なものだ。

一方、道端で突如遭遇する謎の出来事については、今までの経験値が蓄積されていない。「自転車が倒れて取り出せなくなっている見ず知らずの若い女性に話しかける」という経験は一度たりともない。第一声をどうすればいいというのか。

「手伝いますよ」

映画やドラマなら、多分その一言だけで手伝い始めるだろう。福士蒼汰演じる主人公はその一言だけを放って、あとは黙って自転車を起こす。女性は少し恐縮しながらも、「あ、ありがとうございます…!」と応える。そして恋が始まる……。

ということで、映画やドラマを見てきた経験があるので、僕の脳内には理想の一言がある。「手伝いますよ」である。「手伝いましょうか?」よりも遥かにスマートだ。遠慮するヒマも与えず、言葉少なに手伝いを始められるから。まさに理想形だ。

唯一の問題は、僕が福士蒼汰でないことだ。「手伝いますよ」という有無を言わさぬ物言いは、圧倒的な塩顔イケメンにしか許されていない。「え、何かキモくてダルいヤツ来ちゃった。お前と一緒に気まずい沈黙に耐えるよりひとりで作業した方がマシだわ」と思われる場合を想定しなければならない。僕が福士蒼汰なら「手伝いますよ」で構わないのだが、キモがられる可能性のあるアバターをまとった人間は相手に拒否権を与える優しさを忘れてはならない。意思確認が重要だ。

それでは、「手伝いましょうか?」だろうか。これはこれで何だか鬱陶しい。自転車を起こしてほしいのは一目瞭然なのだから、黙って手伝えという気持ちになる。あと何か恩着せがましい。貸しを作ろうとしてる感じがある。


そんなことを考えながら、結局は彼女の横を通り過ぎることにした。こういう場合はいつも「話しかけない」を選択してしまう。だって話しかける言葉を持たないのだから、通過してしまうのもやむを得ないことだろう。

しかし、気になるので視線だけは彼女の方に向けながら歩く。それが良くなかった。自転車を見つめていた彼女は顔を上げ、僕とバッチリ目が合ってしまった。

さすがにこの状態から目を逸らして歩き続けられるほど図太くない。観念した僕はとっさに手伝いを申し出ることにした。この瞬間、先ほどの逡巡が蘇る。どっちでいくべきだ……? 「手伝いますよ」の福士蒼汰パターンか……? それとも「手伝いましょうか?」の恩着せがましいパターンか……?


悩んだ僕が選んだのは、これだ。


「手伝いますよ……?」


奇妙な折衷案である。言葉だけは福士蒼汰の「手伝いますよ」を選んだのだが、いかんせん僕は福士蒼汰ではない。その迷いが文末に出て、なぜか「……?」が入ってしまった。


女性は僕の疑問とも提案とも取れる謎の一文を受けて、「あ、ありがとうございます…?」と釣られて疑問詞を浮かべていた。

最悪の滑り出しである。僕は「うっ!死にたい!」と思いながら自転車を一つずつ起こしていく。ガチャガチャとアルミフレームの空虚な音だけが駐輪場に響いた。気まずい。「こいつウザいな~」と思われているかもしれない。しかし今から「ウザかったら言ってくださいね!消えますからね!」などと言い出すワケにもいかない。それが一番ウザいから。一刻も早く任務をやり終えてこの場を去ろう。

それから数十秒、無音で一台ずつ自転車を起こし続ける。長い。たった数十秒なのに5分ぐらいに感じた。「ツラい時間は長いように感じられる」というのはよく知られた事実だ。アインシュタインも相対性理論を面白おかしくたとえるためにそんなことを言っていた。

やたら長く感じる時間を乗り越えて、なんとか女性のものと思しき自転車の隣の一台まで来た。「とうとう終わるぞ…」と思った。

しかし、そこで気づく。女性の自転車のスポークに、隣の自転車のペダルが突き刺さっている。2台がくっついて引き剥がせなくなっているのだ。

「アス……ナ…何か刺さっちゃってマス…ね…」

先ほどの動揺からまだ立ち直りきれずに、時折早口になりながら僕は言った。

「ホントですね。取れなくなっちゃったかな」

「ア…でもちょっと噛んでるだけなのですぐ取れますよ。やってみますね」

よかった、やっと冷静さを取り戻してきた。落ち着いて喋れている。リカバリーできそうだ。あとはこれを華麗に解決して、「はいどうぞ」「ありがとうございます!」のやり取りをするだけだ。

僕は軽い気持ちでペダルをスポークから引き抜こうとした。ペダルに手を添えて、引っ張ってみる。動かない。

おや、と思い少し力を強めてみるが、ピクリとも動かない。どうやら、ペダルが2本のスポークの隙間にガッチリ突き刺さっているらしく、1ミリたりとも動かない。「ふんっ!」と力を入れてみるが、びくともしない。何これ???知恵の輪????自然にこんなパズルが生まれることあんの????

「アー、チョトこれ、抜けないですね、ハハハ……」

一気に動揺が戻ってきて、早口で独り言を言う。こうなってくると、悔やまれるのは先ほどの発言である。「ちょっと噛んでるだけなのですぐ取れますよ」。とても滑稽である。カッコつけたいと思って余裕アピールをしてしまった結果がこの体たらくだ。誰か殺してくれ……。

僕はスポークに目線を落として作業をしながら、上からの視線を感じていた。彼女は今、どんな顔で僕を見ているのだろう。「うわぁ……何かキモいヤツがイキって出しゃばってきたと思ったら、めちゃくちゃ苦戦してて役に立ってねえ……。なんでこいつ出てきたん?」という顔をしているだろうか。実際その通りなのでぐうの音も出ない。そして、顔を上げて確認する勇気はない。

やはり僕みたいな人間は見知らぬ人に話しかけるんじゃなかった。文化祭の打ち上げでギャルに話しかけられなかったあの日のことを思い出す。僕は誰かに話しかけていい器ではなかったのだ……。


そこからまた数十秒、地獄の沈黙が流れた。はずれないスポークとペダルをガチャガチャいじる音だけが響く。僕は無言で「はずれるイメージが湧かない」と思いながらひたすらにいじくり回す。彼女は無言で「こいつ何なんだよ……」という顔で僕を見ている。

動かないペダル。無言の僕。無言の彼女。打開する方法のない、悲しいデッドロックが続いた。逆に聞くが、どうすればいいというのだ。「あはは!はずれませんね!それじゃまた!」と帰ればいいのか? そんなことをしたら本当に「問題解決に役立たない単なるキモいヤツ」になってしまう。嫌だ。僕は僕の醜態を確定させたくない。何か打開策を見つけたい……。そう思いながら、僕はひたすらスポークをいじり続けた。解決のための行動ではなく、時間を稼ぐための行動。何か奇跡のような新要素が参入してくれることを願った。誰でもいいから、頼む……。




「手伝いますよ」

背後から、爽やかな声がした。振り向くと、福士蒼汰似のイケメン。

ここに来て、僕はやっと自分の役回りを理解した。物語を動かすために必要な雑魚キャラ。それが僕だったのだ。「ヒロインを困らせる雑魚」はいつも最初に登場し、惨めな姿を見せて、退場していく。主人公のカッコよさが際立つように。

「ああ、このイケメンは多分、あっさり解決してしまうんだろうな」。そう思った。そして、それでいいと思った。僕は惨めな姿で消えていくことで、己の役割をまっとうできる。それは幸福なことだ。先ほどまでの「意味不明で無能なキモいヤツ」とは大きく違う。「主人公の引き立て役」というちゃんとした役柄を負って死ぬことができる。

僕は彼に話しかけた。「これが外せないんですよね~」と。穏やかな気持ちだった。主人公にアシストを決めることだけが、僕の最後の仕事だ。

「あー、なるほど。ここ思い切り引っ張れば外せそうですね。ちょっと押さえててもらっていいですか?」

爽やかな指示。彼の言う通りにすれば、きっとこれは外れるのだろう。そして物語は進み始める。僕は色めき立ちながら、自転車を押さえた。

「ふんっっっ!!!!」

福士蒼汰は思い切りペダルを引っ張った。そして……。



ピクリともしませんね……


お前主人公ちゃうんかい


なんということだろう。明らかに主人公だと思われた福士蒼汰は主人公ではなかった。勇者の剣は抜けなかった。

「困りましたね……」

僕は力なく同調した。主人公であることをとっくに諦めた僕は、何かをする気力がなかった。とにかく、福士蒼汰の出方を見たい。


「………」

「………」

「………」


誰も何も喋らなくなってしまった。僕も女性も福士蒼汰も。無限に気まずい時間が流れた。

僕は思った。「ルールがほしい」と。こういうときにどうすればいいのか、この社会では規定されていない。ルールさえ決まっていればこんな変な感じになることもないのに。「人助けで3分以上デッドロックしたら放棄して帰っていい」みたいなルールがあれば、「じゃ、さよなら!」とか何とか言って帰れるのに。

女性は無言で福士蒼汰を眺める。福士蒼汰は無言でペダルをいじる。僕は無言で自転車を押さえる。もう押さえる必要なんてないのに、手持ち無沙汰になるのが怖くてずっと同じ場所を押さえていた。


……さらに数十秒。

僕はここに来て、腹を決めた。この悲劇に、ピリオドを打とう。

一度は福士蒼汰に主人公を譲ってしまったけれど、もう一度自分を奮い立たせよう。僕はこの物語を終わらせたい。


「これ、ちょっと抜けないかもしれないですね。プロに頼らないと無理かもしれません」

事実上のギブアップ宣言である。もっと早くこうしておけばよかった。「諦めたらそこで試合終了ですよ」なんて言葉、今は聞きたくない。こっちは試合終了を待ち望んで祈ってるんだ。青春真っ最中ならいざ知らず、大人は終わってほしいものの方が多い。

女性はどこかホッとした顔で、「それじゃあ、自転車屋さんに相談してみますね」と言った。良かった。終わりのない地獄はこれで終わる。


しかし、ここで福士蒼汰が言った。


「いや、待ってください。ここまで頑張ったんだから、ちゃんと外したいですよね!


試合が終了しないっ……!!!

諦めないヤツがいるせいで……!!!


なんということだろう。明らかに出口を見失っているにも関わらず、福士蒼汰はそのまま迷宮の奥に足を踏み込むことに決めた。

ちゃんと外したいですよね!」とさも代表意見みたいに言っているが、僕はそんなことない。早くこの場を立ち去りたい。っていうか、「ちゃんと外したい」のなら、プロに任せた方がいいんじゃないか。

そんなツッコミが無数に頭を渦巻くが、僕はここで「いや!僕は帰りたいので帰ります!」と言い出せるほど気が強くない。「あ、まあ、はあ……」と曖昧に同意してしまった。

結果、福士蒼汰は「諦めずに頑張りましょう!その先には良い景色が待ってます!」と持ち前の爽やかさで不毛なペダルいじりに戻ってしまった。僕は手持ち無沙汰をごまかすために、また自転車の同じ場所を押さえた。


「………」

「………」

「………」


無限ループに入った。もう手のうちようがない。状況を打開する唯一の手段である「ギブアップ」を潰されてしまい、もう何も武器を持っていない。

っていうか、なんでこいつ僕の唯一の武器を潰したん????なんなん???百歩譲ってお前は続けてもいいから、僕は帰らせてくれよ……。


不毛な20分、ヒーローの暴力性

そこから、不毛な、あまりにも不毛な20分が続いた。

誰も何も喋らず進展もない中、たまに福士蒼汰が「ここまでやったからには達成しましょう!」と虚無の励ましを言い、僕たちは力なく「はい……」と応えるだけだった。実に20分の虚無。

「いい加減もう諦めろよ」と思いつつ、僕はポーズだけ手伝っていた。子どもの頃に強制参加させられた子供みこしで、1gも力を入れなかったことを思い出した。


ガチャンと、乾いた音が響く。突然、ペダルがスポークから外れた。

「あっ、外れましたよ!!!」

福士蒼汰は屈託なく笑った。僕は蓄積した「もう帰りたい」という気持ちで顔が引きつっていたけれど、思わず「やった!」と笑った。達成感というよりも、安堵の気持ちが大きい顔をしていただろう。


女性は「ありがとうございました」とお礼を言い、足早に去っていった。面倒な人間に助けられてしまって、彼女も災難だった。

「お疲れ様でした!」。福士蒼汰がそう言って差し出してきた手は、油で真っ黒だった。いや握手したくないですけど……。きったねえな……。

ちょっと嫌そうな顔をしたら引っ込めるかと思ったが、彼は堂々と手を出したままだった。「どうしたんですか?握手ですよ?」みたいな顔をしている。僕はやはり「油で汚いから嫌です」と言い出す勇気はない。

しかたなく、彼の手を握った。彼はやたら強く握り返してきて、「お疲れ様でした!」と言った。「一期一会の友情が生まれましたね!」と言わんばかりの勢いだった。僕は「そんな美談で済ませるな」と思っていた。


帰り道、今起きた出来事について考えた。

福士蒼汰に似た彼はヒーローっぽい様子だったし、実際「誰もが諦める局面で諦めずに戦って結果を出した」という意味では、ヒーローだった。

だが、僕は彼のことが嫌いだ。諦めるべきときに諦めずに、僕たちを振り回した。あの20分間の気まずさは一生忘れないだろう。彼はヒーローなどではない。余計な善意を発揮する押し付けがましい男だ。

思えば、ヒーローとは一歩間違えばそういう存在なのかもしれない。自信過剰で押し付けがましく、鬱陶しい人間になりうる。

たとえば、『葬送のフリーレン』に出てくる勇者ヒンメルもそうだ。


『葬送のフリーレン』3巻Kindle位置158


勇者ヒンメルは、勇者の剣を抜けなかった。選ばれし勇者ではなかった。

だが、彼はへこたれない。世界の平和を取り戻すことができれば、偽物だろうが本物だろうが関係ないのだ。

そして実際、ヒンメルは魔王を倒してみせた。宣言通り、彼は「本物の勇者」になった。


僕はこのシーンを見て「カッコいい~~~!!!」と素朴に思っていた。ヒンメルはまさに理想のヒーローだ。どんなに絶望的な状況でも諦めず、自信家で楽天家で、ときに強引に周囲を引っ張っていく。そんな彼の背中に惹かれて、仲間たちは120%の力が出せる。

だが、今日の経験を踏まえると、見え方が少し変わる。ヒンメルは極めて危ういバランスの上にいる。彼は一歩間違うと、「実力がないのに無謀にも旅に出て、強引に仲間を誘い、全員を死地に追い込む怪物」にもなりうる。

理想のヒーローはしばしば強引でエゴイストだ。だから、歯車が何か一つ狂っただけで、容易に怪物に反転する。ヒンメルは最高のヒーローだが、僕が今日出会った福士蒼汰は最悪のヒーローだった。そして、両者の違いは驚くほど小さい。

もしかしたら、あの福士蒼汰はいつかヒンメルになって、世界を救うのかもしれない。それでも、少なくとも今のところ、僕は彼を好きになれそうにない。

強引なヒーローの暴力性について考えながら、遊歩道をゆっくり歩いた。次に同じようなことがあったら、「手伝いますよ」ではなく「手伝いましょうか?」と問おう。僕はきっとヒーローになれないし、なりたくもない。強引で暴力性のあるヒーローになるよりも、相手から選択肢を奪わない人間になりたい。善良な市井の人でありたい。

向かい風が強く吹いていた。指先がかじかむ。ポケットに手を入れようとして、やめておいた。コートのポケットを、黒い機械油で汚したくなかったから。


(了)



種明かし

本記事には、隠された趣旨がある。

以下、その隠された趣旨について説明するのだが、そのためにはどうしても「インターネットにいるあまりにもしょうもない人」の実名を出さざるを得ないので、ここからは有料部分にしたい。

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それでは早速見ていこう。今回扱いたいのは、この人だ。

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