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バカを相手に使える2錠のオモイコミン-「ネアンデルタール人かよ」「ルネサンス以前かよ」

『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラー木村花さんが、SNSで誹謗中傷を受けて亡くなってしまった、というニュースが世間を騒がせている。報道を見るに、彼女はとんでもない量の誹謗中傷を受けていたようだ。

問題の番組『テラスハウス』を僕はほとんど見たことがないので、この問題に特段関心があるワケでもないのだけれど、マスメディアに出演するというのはとにかく大変なことだなぁ、と思うばかりである。

僕のようなネット芸人にさえもまあまあのペースで誹謗中傷が寄せられる(まあ、人の悪口を書いて生計を立てているので自業自得なんだけど)ので、マスメディアにレギュラー出演していた彼女のもとに毎回寄せられていた誹謗中傷の数は想像に難くない。


そんな世の中はよくないよね、ということで、一部の政治家も「動きます」と言っているようだ。


これは本当に素晴らしいことなので頑張っていただきたいものだ。SNSでの中傷をなくす前に国会での下品なヤジをなくした方がいいのではないかとかそういう話もあるけれど、とにかく頑張っていただきたいものだ。


嫌な相手への心構えは「オモイコミン」

木村花さんの話は、誰にとっても全く無関係というワケではない。嫌なことを言われてメンタルにダメージが入ることは、誰もが日常的に経験しているからだ。

普通の人は大量の誹謗中傷を受けることはあんまりないけれど、嫌なことを言われて「この人イヤだなぁ…」と思うのは日常茶飯事だろう。


そんな時に役に立つのが、ドラえもんの道具「オモイコミン」である。

コメント 2020-05-25 094219

『ドラえもん』22巻より引用)


これを飲むと、何でも好きなように思い込めるようになる。のび太はママのお説教をスズメのさえずりだと思い込むことに成功し、お説教をやり過ごせるようになった。


オモイコミン

『ドラえもん』22巻より引用)


「オモイコミン」の話は人生をやっていく上で非常に重要な示唆に富んでいる。お説教はお説教だと思うからストレスなのであって、スズメのさえずりだと思っておけばストレスではない


さらに素晴らしいことに、我々は既に「オモイコミン」を手にしている。

ドラえもんの道具は基本的に「こんなこといいな できたらいいな」という誇大妄想グッズなワケだけど、オモイコミンは例外だ。「できたらいいな」ではない。やろうと思えば今すぐにできる、非常に現実的な問題解決手段である。

僕らが何かについて「どう思い込むか」ということは完全に自由である。オモイコミンの効力に実はオモイコミンは要らない。「○○だと思い込もう」と決めることさえできればすぐに思い込むことができる。どこでもドアとオモイコミンの違いはそこにある

「そんなこと言ったって、自由に思い込むことなんてできないよ…」という人もいるだろうが、あなたは思い込みの力を侮っている。このマガジンでは散々、完全に無能なのに自分が特別であると信じてやまない地獄の人たちを扱ってきた。案外、人はどんなことでも本気で思い込めるものだ。

たとえ身体は奴隷なるも、精神は自由なり」といったのはソフォクレスだ。これは実に正しい。奴隷が何を考え何を思うかは不可侵の領域であり、たとえ主人であっても踏み込むことはできない。


死んでしまわないように、心の中に常にオモイコミンを持っておこう。上司に嫌味を言われた時も、SNSで誹謗中傷がやってきた時も、心の中のオモイコミンは非常に強力な助けになる。


頭が悪い人に対して使えるオモイコミン2錠

ところで、自分で言うのも何だが、僕は「それなりに頭がいい人間」であるような気がする。

そして、このマガジンを購読してくれている方も、「それなりに頭がいい人間」であろう。世の大多数の人は長い文章が読めないし、ましてや文章に課金しようとは思わないからだ。

文化庁の2019年の調査によると、16歳以上の日本人の47.3%は本を全く読まないそうだ。国民の半分は長い文章を読解するという習慣を持っていない。「頭のよさ」の平均値は、想像を絶するほど低い。

だから、今日もTwitterは頭が悪すぎて話が通じない人で溢れかえり、地獄の様相を呈しているというワケだ。僕は地獄のインターネットが嫌いではないので「ああ、いつものインターネットだなぁ」と味わい深く見ている。枯れ木も山の賑わいという言葉があるが、僕は「バカこそがインターネットの賑わい」だと思っている。


ただ、困るのはこの「頭が悪すぎて話が通じない人」が目の前に出現してしまった時である。

「あちゃ~!出てきちゃった!インターネットを賑わせるだけでよかったのに、出てきちゃった!」という感じになる。山を賑わせていた枯れ木が大量に家に配送されてきてしまったら、誰でも顔をしかめるだろう。

頭が悪い人はずーっとTwitterの中にいて欲しい。現実世界に出てこないで欲しいものだ。呼んでないから飛び出ないで欲しいし、もちろんクシャミをしても出てこないで欲しい。非ハクション大魔王であり続けて欲しい


さて、こういう頭が悪い人(インターネットの賑わい)を相手にしなければいけない時に、あなたはどうするだろうか。

「こいつマジで頭悪いな」とずっと考えていると、ドンドン腹が立ってきて精神衛生上よくない。では、どうすればいいか?

そう、オモイコミンである。こんな時にもオモイコミンは役に立つ。「こいつマジで頭悪いな」ではなく「こいつ、○○かよ」と思うようにすればよい。

僕がよく使っている「こいつ、○○かよ」を2つ紹介しよう。


こいつ、ネアンデルタール人かよ。G・ベイトソンの提唱する「学習Ⅱ」しかできないヤツじゃん。
こいつ、ルネサンス以前かよ。知のはたらきを放棄させようとするアウグスティヌスじゃん。


こう考えることによって、全然腹が立たなくなる。

要するに、ちょっとアカデミックでウィットに富んだたとえ悪口を頭に浮かべることによって、目の前の人を「不快な存在」ではなく「不思議な観察対象」に変化させるのである。ちょうど、のび太がママをスズメだと思い込んだのと同じように。


以下、それぞれの悪口の使い方を具体的に見てみよう。まずは、「こいつ、ネアンデルタール人かよ」から。


「大卒初任給くらいは稼がないと……」

僕は以前、よく大学生の進路相談に乗っていた。新卒で就職せずにあいまいに生き残っている人はそんなに多くないので、僕はあいまいに生きていきたい大学生にそれなりの需要があったらしい。結構たくさんの相談を受けた。就職したことがないのにOB訪問には慣れているという謎のねじれ状態になってしまった。

たまに面白い大学生が来るから相談を受け入れていたのだけれど、ほとんどの大学生はとてもアホであった。
※お役立ち情報として共有しておきたいが、大学卒業間近にもなって無手で「オレ、自由な生き方をしたいんすよぉ」とか言ってるヤツは98%の確率でアホだ。


そういう時はいつも開始1分で「こいつアホだなぁ…」と思いながら、来てしまったものを追い返すワケにもいかず、それなりに話を聞きながら僕なりのアドバイスをしていた。

で、頻繁に発生したのは以下のやり取りである。


大学生「○○で食っていきたいんですけど、そんなにお金になる気がしなくて……」
僕「でもさ、□□をすれば、それだけで月10万円くらいにはなるんじゃない?」
大学生「そうですね。なると思います」
僕「だったらそれだけで食っていけるよ。僕の新卒1年目はシェアハウスの物置に住みながらフォロワーにご飯を奢ってもらって暮らしてた。月10万円も使ってなかったよ」
大学生「いや、でも、大卒の初任給くらいは稼がないと……」
僕「???なんで???」

大学生「皆そうしてるからです」

僕「……」


だったらお前も就職活動しろや。皆そうしてるから。としか言いようがないのだけれど、こういうことが頻繁にあった。

最初のうちは「こいつ頭悪すぎるだろ……。皆と同じことがしたいなら僕のところに来るなや……」と思っていたものだが、途中から「変わった生き物」とみなして扱うようになったので、ストレスは感じにくくなった。オモイコミンを服用したワケだ。

そしてそのオモイコミンこそ、「こいつ、ネアンデルタール人かよ」である。


ネアンデルタール人とホモサピエンスを分けるもの

文化人類学者のG・ベイトソンは、「論理階型学習モデル」と呼ばれる学習進化のモデルを提案した。

めちゃくちゃ簡単に言うと、こんな感じだ。

・学習Ⅰ……個別学習。個々の状況に対して発生する学習(算数の授業中に騒ぐと怒られるから、騒がないようにしよう)

・学習Ⅱ……文化学習。抽象化された状況に対して発生する学習(先生の意図に反する行動を取ると怒られるから、先生の意図を汲んで行動しよう)

・学習Ⅲ……メタ文化学習。身に染みついた文化を批判的に問い直し、新たに学習し直すという学習(先生の言う通りに行動するのは本当に正しいのか?我々の意志を学校に反映させていくべきなのではないか…?)


そして、この分類を活用し、日本の文化人類学者である大村敬一は、「学習Ⅲの能力こそが、ホモサピエンス特有の能力である」と主張している。

彼いわく、ネアンデルタール人も、学習Ⅱまではできた可能性が高い。親から子へ、年長者から後進へ、ネアンデルタール人の間でも文化の継承は行われていたらしい。

だが、ネアンデルタール人は伝えられた文化を批判的に問い直すことはできなかった。「先生に従っておけ」と一度教え込まれたら、その文化を二度と払拭することはなかった

ホモサピエンスとネアンデルタール人を分けるのは、学習Ⅲができるかどうか、当たり前になってしまった文化を問い直せるかどうかなのだ。


「皆そうしてるから大学生」はネアンデルタール人

さて、前述の「皆そうしてるから大学生」は、学習Ⅲができていない

学習Ⅱで学習した文化(大学を卒業した人はこのくらいお金を稼ぐ)を、そのまま無批判に受け入れていて、改めようとしない。

彼はまさにネアンデルタール人の領域に留まっているのである。


したがって、僕はこういう人を見る度に「ネアンデルタール人だなぁ」と思うようになった。

のび太はママをスズメだと思いこむことにしたが、目の前の人をホモサピエンスではないと思い込むという意味では同じ解決法をとっている。そういう意味でもこの悪口は実に王道なオモイコミン的な悪口であると言えよう。


また、この手法を活用することによって、「頭の悪い人と話さないといけない苦痛な時間」が「進化生物学や論理階型学習モデルに思いを馳せる時間」に変わるので、とても快適である。みなさんもぜひ活用されたい。


あとひとつ付け加えておくと、ネアンデルタール人みたいな顔した人を「ネアンデルタール人」と呼ぶのは普通にイジメだからやめよう。


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(画像引用元:Angela Marie )


まあ確かにこういう顔した人、よくいるけどさ……。

ダメだよ。校長先生のことをネアンデルタール人って呼んだら。確かに、全国の校長先生の35%はこの顔してるけど、ネアンデルタール人って呼ぶのはよくないよ……。


「ルネサンス以前かよ」

さて、もうひとつのオモイコミン悪口なのだが、これについてはかなり具体的な人とエピソードを挙げながら書いていく。

その人に読まれるとイヤなので、以下有料になる。気になる方はぜひ課金して読んで欲しい。

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