ブラック企業の怒号と残業で、無関係な僕がダメージを負った話。それから、心にソローを宿したい話。
大学生の頃から、どちらかといえば厭世的なものに惹かれるタイプだった。「成功して、金を稼いで、モテまくろう!」みたいな言説には共感できず、「何も持たなくていいから、しがらみのない生活を送りたい」と思っていた。良く言えば今風のミニマリズムだし、悪く言えば枯れた若者だった。
この感覚は僕の生来の気質でもあるだろうけれど、厭世的な思想家たちの本に多大なる影響を受けていることも間違いないだろう。特に、ヘンリー・D・ソロー『森の生活』の影響は大きい。
ソローは、ハーバード大学を卒業しながら、ろくに定職にも就かず、自分で小屋を建てて自給自足の生活を送った。『森の生活』はそんな生活の記録をまとめた随筆だ。
……というような表面的な説明を受けると、なんとなく「穏やかな人の穏やかな文章なのかな?」と思ってしまう。森で自給自足の生活を送る人、「自然って素晴らしい!」とかなんとか、人畜無害な内容だけを書いてそうである。
実際には全くそんなことはなく、むしろ真逆だ。ソローの筆はハチャメチャに辛辣で、圧倒的な教養と文才をフル活用して鮮やかに人をバカにするのだ。僕が彼に称号をつけるなら、「森の皮肉屋」になるだろう。
彼の素晴らしい筆致を、いくつか引用しよう。まずは割とおとなしいところから。
たいていのひとは、比較的自由なこの国に住みながら、単なる無知と誤解から、しなくてもいい心配や余計な重労働にわずらわされて、人生のすばらしい果実を摘み取ることができないでいる。
ソロー『森の生活(上)』(岩波文庫)(Kindleの位置No.135-137)
この一文を読むだけでも、150年以上前にソローは既に現代風のミニマリズムにたどり着いていることが分かる。
ただの思いつきではなく、彼は非常に高いレベルで体系立てて厭世的な労働観を完成させている。だから、最近のインフルエンサーなどが「嫌な仕事で魂をすり減らす時代はもう終わり!重労働から抜け出す新しい価値観を提唱します!」などと語っていると、それ、全然新しくないよ。ソローが150年前にやり尽くしたよ、と思う。古いものを知ると新しいものが滑稽に見えてきて笑える、という現象がよく起こるけれど、これは勉強の大きな喜びの1つだと思う。
ソローは、思想自体もすごく先進的で良いんだけど、技巧を凝らして重労働をディスってるところが一番面白い。
ヘラクレスの十二の難行だって、わが隣人たちが取り組んでいるものに比べればものの数ではない。彼の場合はたった十二回で終わったのだから。
ところがここの住民が、なにか怪物を退治したとか、つかまえたとか、難行をみごとにやりとげたといった場面に、私は一度も出くわしたことがないのである。
彼らにはヘラクレスのように、九つの頭をもったヒュドラの首のつけ根を熱い鉄で焼いてくれるイオラオスのような友もいないので、怪物の首をひとつうち砕いたかと思うと、たちまちふたつ生えてくるという始末だ。
ソロー『森の生活(上)』(岩波文庫)(Kindleの位置No.93-97)
「重労働はヘラクレスの12の難行よりもキツくて不毛だぞ」と、ギリシャ神話の知識を使って重労働をディスっている。
『森の生活』は、こういう名文だらけである。インテリ厭世皮肉屋の面目躍如といった感じだ。
世間のひとびとは、一般に必然と呼ばれている見せかけの運命を信じて、むかしの本にもあるとおり、虫と錆にやられるか、盗人が押し入ってさらっていく財宝を積みあげることに汲々としているのである。これは愚か者の一生である。
ソロー『森の生活(上)』(岩波文庫)(Kindleの位置No.113-118)
ここもサラッと「むかしの本にもあるとおり」で片付けられているが、これは新約聖書の話である。
マタイ伝第6章19節「なんじら己がために財宝を地に積むな、ここは虫と錆とが損い、盗人がうがちて盗むなり」という一節を前提に置いている。読み手の教養が試されている。
このように、ギリシャ神話と聖書が特によく使われるメインウエポンだが、それ以外にも、詩・世界史・文化人類学・東洋哲学なども活かしつつ、色んな角度から現代社会をディスっている。
田舎に暮らし、あまり人に会わず、教養を無駄遣いして人をディスる文章を書きながら暮らす……他人事とは思えないというか、僕の現在のライフスタイルと全く同じである。影響を受けすぎて、気づいたらインターネット・ソローになっていた。ソローのせいで人生を狂わされた感がある。
セルフ・ブラック
インターネット・ソローこと僕は、昨年はかなり正しく「森の生活」を送っていた。あまり人に会わず、スケジュールも入れず、本を読んだり文章を書いたり、家の裏にある川を眺めたりしながら生活していた。何かに追い立てられることはほとんどなかった。せいぜい、このマガジンの更新が週に1回やってくるぐらいだ。
だけど、そんな生活は終わりを告げつつある。最近、ずいぶん忙しくなってしまった。四六時中働いているような気がする。セルフ・ブラック企業。
主な理由は、仕事を引き受けまくっていることだ。
昨年は、結構たくさんの仕事を断ってきた。婚活関連のWEBサービス開発の企画・広報で入らないかと聞かれた。金払いは悪くなさそうだった。でも自分の自由な時間を削ってまでやるべきことではないように思えたので、断った。
記事執筆の依頼もたくさんあったが、ほぼ全部断った。WEBで文章を書きたい欲望はこのマガジンで十分満たされているし、生活は十二分に回っている。仕事を増やして納税額を増やすのもバカバカしい。このマガジンを昔から読んでくれてる方はお分かりだろうが、僕は納税恐怖症なのである。
そう。僕の数少ない特技は、仕事を断ることである。世間的には葛藤しそうな金払いの良い案件も、割と簡単に断ることができる。たくさんお金を持っていてもどうせ使わないので、煩わしいことを減らす方がずっと優先度が高いのだ。
……と思っていたのだけれど、なぜか今年に入ってからはジャブジャブ引き受けている。
というのも、抜群に面白くて「やりたい!」ってなる話がいっぱいやって来るからだ。
たとえば、出版の話。
今年中に光文社から出版予定になっている『インテリ悪口ハンドブック(仮)』の原稿をようやく一通り書いたと思ったら、もう1冊、ビジネス書100冊読んではしゃぐ記事の書籍版みたいなものの出版も決まった。
多分、「ビジネス書って全部同じこと言ってない?100冊読んで教えをまとめてみた」みたいな本になると思う。
まさか、2年前に書いた記事が今さら書籍になるとは思わなかった。人生はいつだって思いもしないところで種が芽吹くものである。
あと、今年始めて大いにハネた「ゆる言語学ラジオ」の書籍化も進んでいる。1冊は既に決まったし、他にも複数の会社からも相談が来ているので、更に2冊くらい出てもおかしくない。
そんなワケで、色んな本の執筆業務がタスクとしてジャブジャブやってきている。
だけど、書籍の執筆は良い。煩わしい調整作業がほとんどない、むき出しの頭脳労働だ。シャベルで土をひたすらに掘り返していくようなプリミティブな喜びがあって、肉体労働にとても近い。
これに比べると、常にクライアントの意向に左右されるWEB広告記事は社交場の仕事だ。スーツを着た上品な頭脳労働だ。それはそれで華々しくて楽しい部分もあるけれど、僕はシャベルを持つ方が性に合っている。
それから、ゆる言語学ラジオに関しては、拠点を持つことも考えている。僕の家とスタジオを兼ねた場所を借りようかな、と思っている。今は僕の家で収録してるのだけれど、音響設備やゲストの呼びやすさに限界を感じているので、もう少しパブリックに使える施設が欲しい。
少数の客も入れて公開収録などができるようにして、ちょっとしたイベントスペース的な運用もしたい。そうなると商用利用できそうな物件の方がいいので、探すのが大変だ。こないだ久しぶりに会った不動産関係の友人に、早速話を打診してみた。REINSに載る前の好物件があったら教えてくれよ、なんて伝えておいた。大人になるとセコい裏工作ばかりが上手くなるものだ。
あと全然別件で、めちゃくちゃ面白いベンチャー企業の創業メンバーに誘われてもいる。こちらはまだ調整中だが、なぜか僕が社長をやるかもしれない。
ビジネスの絵図を描いている人は別にいるのだが、とある特殊事情で社会的地位がないハチャメチャな人間が代表取締役に立っている方が都合がいい、ということになっているのだ。このあたりの詳しいビジネスモデルやカラクリは、また来週以降にでも改めて記事にしたい。『人生がときめく怪しいビジネスの魔法』といった趣があって面白いので楽しみにして欲しい。
このオファーは本当に胸がときめいて、ビックリした。
インターネット芸人という職業柄、「こんなビジネスやるんですけど協力してもらえませんか?」という連絡をしょっちゅうもらう。だけど、99%は何の興味も惹かれない。
去年は、新しいクラウドファンディングサイトを今さら作ろうとしてる人とか、Twitterの劣化版みたいなサービスを作ろうとしてる人とか、色んな人から連絡をもらった。全く胸がときめかなかったので全部断るか無視するかした。
だけど、今回のビジネスモデルはあまりにも面白かったため、一も二もなく快諾してしまった。
僕は、仕事を断るのが得意だと思っていたのだけれど、実際にはそうでもなかったのだろう。
単に「面白くない仕事」を断るのが得意だっただけだ。抜群に面白くてどうしてもやりたい仕事は断れない。つい引き受けてしまう。
その結果、快適だった森の生活は終わりつつある。最近忙しくなってきたし、これからもっと忙殺される暮らしが始まりそうだ。セルフ・ブラックは、面白いオファーが殺到したところから始まるのだ。
ブラック企業の思い出
「セルフ・ブラックだなぁ」と感じる日々の中で思い出すのは、昔、間近で目撃したブラック企業のことである。
実はかつて、半年以上の長きに渡って、ゴリゴリのブラック企業を間近で観察する機会に恵まれた。「恵まれた」という表現が正しいのかどうかは分からない。そんなもん一生ない方がいいという気もするので。
とにかく、その期間に、色々と面白い経験をした。第三者の僕がなぜか飛び交う怒号に精神をすり減らすハメになったり、巻き込まれて僕も睡眠時間を減らすハメになったりした。
今日はそんな話をしようと思う。ブラック企業の体験談は数あれど、ブラック企業を間近で観察したり、無関係なのになぜか巻き込まれた話はあんまりないような気がする。
以下、実名やら具体的な話やらがジャブジャブ出るので有料になる。気になる方は課金して読んで欲しい。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。7月は4本更新なので、バラバラに買うより2.4倍オトク。あいまいベンチャー界隈パーソンのグレーな生態が気になる方には特にオススメ。
それから最後に、この事例を元に、簡単な「ブラック企業考」を添えたい。
僕が陥り気味な「セルフ・ブラック」状態と、ソロー的な価値観をどう両立させていくのか、ということを述べて締めくくろうと思う。お付き合いいただきたい。
それでは早速ブラック企業を見ていこう。僕とその会社の出会いは、この街だった……。
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