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詐欺師のオジサンにお金をもらって学生団体をやっていた話


「秘密にするほどではないけど、なんとなく言いづらくて言ってないこと」が誰にでもあるだろう。

僕の場合は本記事のタイトルである。詐欺師(厳密には、その一味)のオジサンにお金をもらいながら学生団体をやっていた時期の話だ。


今日はそのことを書いてみたい。

別に違法なことをやっていたワケでも反社会的なことをやっていたワケでもないけれど、あまり表立って言うことでもない。

だから途中から有料になるけれど、興味がある方は課金して読んで欲しい。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読める。12月は4本更新なのでバラバラに買うより2.4倍オトク。

あと、何か問題があったときのために一応魔法の言葉を言っておくが、この記事の内容はフィクションである。よろしくお願いします。


謎の学生団体に現れた、謎のオジサン

僕は大学生の時、無意味でひねくれた視点のイベントだけをやるイベント団体を作った。たいへんややこしい団体である。こういうややこしい学生生活を送っていたから、ややこしい大人になってしまった。ちゃんとした大人になりたい人はややこしくない学生生活を送った方がいい。

僕のやってることはその頃も今もあまり変わってないのだが、異なるのは品質である。7年前の僕が作っていたものは途方も無い低品質であった。企画の練り込みは甘く、チラシのデザインはダサく、集客は少なく、イベントレポートは退屈だった。

ド素人の大学生が勢いで始めた団体は何もかもが未熟で、だけどたまらなく楽しかった。何もできなかった僕は少しずつ経験を積んでできることが増えていき、仲間も増えてきて、何かをやっている実感を楽しんでいた。どんなゲームでも、最初の町を出る瞬間はすごく楽しいものだ。


当時の団体は課題が山積みだった……というか、課題でない場所がひとつも存在しない感じだったけれど、特に大きな問題は資金難であった。

イベントをやるのには場所代がかかるし、諸経費もかかる。参加者から徴収する微々たる参加費ではペイしきれないことが多かった。発生した赤字は全部僕が工面していたから、金のない大学生には結構キツかったことを憶えている。

協賛をつけようと営業に回ってみたこともあるけれど、社会的意義が不明なイベントに対してお金を出すことをよしとする企業は存在しなかった。力技で説得して取ってこれても、その金額は2万円とかだった。雀の涙である。


そんな折、1通のメールが届いた。たしかこんな内容だった。

こんにちは! ○○と申します。
WEBサイト拝見しました!  めちゃくちゃ楽しそうなことしてますね!
私は34歳の経営者で、皆さんよりだいぶオジサンなのですが、もしよかったら仲間に入れていただけないでしょうか?

一応渋谷でIT系の会社をやっているので、~~~や、~~~の面でお手伝いできるかもしれません!

以上、ご検討いただけますと幸いです。

株式会社△△ 代表取締役社長  ○○


これを見て、「おっ、なんだかお金を持ってそうな人からの連絡だぞ!」「お金をくれそうだし、仲良くしておこう!」と思った。僕は今も昔も、お金をくれる人に弱い。当時は資金に困っていたからなおさらである。

「ぜひ一度お会いしてご挨拶させてください」と返信して、すぐに会いに行った。


渋谷のカフェ。現れた彼はブランド物のスーツに身を包み、いかにも仕事ができそうな如才ない喋り方で僕とコミュニケーションを取った。「立派な大人」という感じだ。彼のことを、青山さん(仮名)と呼ぶことにしよう。

青山さんの印象は、「いつも淡々としていて、感情を表に出さないタイプ」である。どこか人間味が感じられないが、僕は付き合いやすくて好きなタイプだ。経営者によくいる。

小一時間ほど喋り、「やりやすい人だ」と思ったので、「ぜひお力添えをお願いします!!」と伝えつつ解散した。帰り道では「また新しい展開がありそうだ」とワクワクした。あの頃は経験が乏しかったから、あらゆる新イベントにワクワクできたものだ。


しかし一方で、彼が結局何をやっている人なのかイマイチ分からなかった。

「何の会社を経営されてるんですか?」という質問に対して、「収納代行とか、お金の管理を色々ですね……。簡単に言うとオレオレ詐欺みたいな感じですね!ハハハ!」と返ってきた。

僕は、「こいつ、学生相手だからってふざけてるな~!ナメられてるぜ!」と思った。

今になって思えば、彼はテキトウなことを言ってたワケではなく、割と本当のことを言っていた

ここから学べる教訓がある。大人が喋ることは、一見ふざけた回答に見えても、意外とふざけていない時がある

そういえば、僕もいつも「お仕事何されてるんですか?」に対して「人の悪口を書いています」と答えている。大学生からすると「こいつ、学生相手だからってふざけてるな~!ナメられてるぜ!」と思われているのかもしれない。全然ふざけてないというか、めっちゃ本当なのだけれど。


「ああ、諸経費は僕が出しますよ。パトロンということで」

学生団体の定例ミーティングは、毎週火曜日の夜だったように記憶している。

「渋谷のコワーキングスペースで毎週火曜ミーティングやってるので、よろしければいらっしゃってください」と青山さんに声をかけると、すぐにその週のミーティングに来てくれた。

余談だが、当時僕らが使っていたコワーキングスペースは爆裂に破格の店だった。テーブル独占可能・ホワイトボード利用可能・ディスプレイ貸し出しあり・ドリンクとお菓子つきで1人3時間600円だった。その代わり極めて見つけにくい雑居ビルの6階で初めて来た人は絶対に迷うし、店員の愛想はゼロで座っているだけだし、怪しい小劇団の演劇チラシが大量に並んでいた。当時はコワーキングスペースという文化がまだ定着しきっておらず、そういう中国的なあいまいコワーキングスペースが存在していたのだ。当然だけど、今はもう潰れてしまったようだ。青春が詰まった場所は、いつもすぐに失くなってしまう。

そんな粗悪なコワーキングスペースに青山さんは来てくれて、穏やかな大人としての振る舞いを続けてくれた。特にでしゃばるでもいばるでもなく、ニコニコと話を聞いていて、たまに意見を求められれば冷静に的を射たことを言ってくれた。司会進行をしている僕にとってとてもありがたい存在だった。


さて、会計の段階になってレジに向かおうとすると、青山さんは言った。「ああ、僕が出しますよ」と。

「学生さんはお金がなくてたいへんでしょうから、諸経費とかご飯代とかは全部僕が出しますよ。パトロンということで」


こうして、なんだか分からないうちに僕たちはパトロンを獲得した。

めでたく、謎のオジサンに謎の理由でお金をもらう謎の学生団体、という構図が成立したワケである。何ひとつ分からない。この世界は複雑怪奇だ。



タワマンに泊まったり、キャバクラに行ったり

そこから1年弱、青山さんと僕たちの関係は続いた。

青山さんは高層マンションの最上階に住んでいたので、そこでパーティーをしたり作業をしたり、何度もお世話になった。泊めてもらったことも何度かある。

たしか、人生で初めて女性がいる飲み屋に連れて行ってくれたのも青山さんだったのではないだろうか。キャバクラやらガールズバーやらに連れて行ってもらった。「自分の金では一生行かないだろうな」と思ったことをよく憶えている。

それから、いわゆるオーセンティックバーにも何度か連れて行ってもらった。高いウイスキーは驚くほど上品な味がして、「これが本物の酒か」と思った。ピカピカのグラスを青山さんと一緒に傾けながら、ずいぶん大人になったような気がしていた。


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