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わかるろんわからんろん#1 アリバイ的文章


コラムニスト・堀井憲一郎さんの『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)という本に、文章を書くプロとアマの違いが書かれています。

「ちゃんとした文章を書こう」とするのが素人、そんなこと気にしてないのがプロ、なんですけど。                        

え? それじゃあ、プロは何を気にするの? 堀井さんは続けます。

文章を書くことの根本精神はサービスにある。(中略)         
サービスとは「読んでいる人のことを、いつも考えていること」である。


読みやすさ、わかりやすさ、楽しさなど、読んでいる人にサービスできる文章を書ける人でなければプロとは呼べない、と堀井さんはおっしゃっています。

この説によれば、世の中にあふれる契約書や注意書きのたぐいは、まっ先にプロ失格となりそうです。ソフトウェアの利用規約、ウェブサイトのプライバシー・ポリシー、契約書、約款などは、「読んでいる人のことを、いつも考えている」サービスの文章とは言いにくい。言葉は難しいし、文章は長いし、話はややこしくなりがちです。

こうした契約書や注意書きが「何を考えているか」というと、「正しいことを言っておく」ことです。「正しいことを伝える」ではありません。つまり、何かの契約を結んだあと、何かのトラブルやクレームが発生したときに「それについては、あらかじめ契約書で言ってありますよね(ちゃんと読んで契約されたんですよね)」と言うための文章、いわば「アリバイ的文章」です。

アリバイという言葉は、犯罪小説によく出てきます。事件があった時間、犯行現場以外にいたという証拠のこと。アリバイを日本語にすると「現場不在証明」なので、契約書などのアリバイ的文章はさしずめ、「責任不在証明」とでも言えばいいでしょうか。アリバイ的文章の多くは、日本語的には正しいのですが、だからと言ってわかりやすくはありません。それは、読む人のために書かれた文章ではなく、発信者のために書かれた文章だからなのかもしれません。しかしアリバイ的文章とはいえ、人と人が約束をするためにあるものなのですから、その作成に携わる人は、「言っておく」文章ではなく「伝える」文章であろうとする努力をすべきだと思います。

ところで、この話にかかわるびっくりするニュースを目にしました。ダイヤモンド・オンラインの記事で『「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育』(2020.8.10)というものです。

この記事によると文科省は、高校の国語教育をより実社会に役立つものにするため、新しく始まる大学入学共通テストで、生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書といった、いわゆるアリバイ的文章を出題するというのです。これにともない、実用文中心の教科書が作られて、文学は(実用的な国語ではないので)省く方針だとか。

この背景には、昨今の中・高・大学生の読解力の低下があるそうですが、だからといって駐車場の契約書のようなアリバイ文を、国語教育の中心にすえるというのはいかがなものか。

「伝える文章」の書き方を教えるならまだしも、「言っておく文章」の読み方を教えるというのは、どろぼうを取り締まるのではなく、家のセキュリティ・システム設置を義務化するような話のように思えるのですが、いかがでしょう?


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