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WWDC 2023 をみた感想

10年前とかのワクワク感が喪失してしばらく経つが、今回のキーノートは(ぼくの気分から)外れてる感が半端なかかった。ぼくの方の変化も大きいのでしょうが、Apple の提案する「未来」が魅力的に見えなくなっている。それは IT 企業の示す未来全般に言えることなのかもしれないけれど。


はじめに

最近、AI の進歩が著しくて、「意識」について、科学とか技術の方向から考える機会が増えてます。それと同時に、マインドフルネスに代表されるような、「頭であれこれ考えることが悩みの原因である」みたいな見方にも、共感したりしています。

そういうぼくの側の雰囲気もあったのでしょうが、今回 Apple が、世間的には「ついに AI について踏み込んできた」と話題になっていて、それも肯定的な論調でしたが、そこで強調されていた技術は、「頭で考える活動」を強化する方向で、価値は「リアル」にあるんだけど(そこは共通認識として Apple も押しているけど)それをネタに技術を使って、どんどん「バーチャル」に活動の場をもっていってる。この方向性が進んだ時、つまり完全にバーチャルで充足するようになった世界は、マトリックスだな、と。

今回の WWDC のキーノートですら、その動機として「リアルの大切さ」が、これでもかと強調されていて、むしろされすぎていたせいなのか、あるところで「それなら iPhone も AppleWatch も Vision Pro も捨てて、大切な人と直に接すればいいじゃん」と思った。

核家族化が、個人を分断することで、情報産業(およびマーケティング業界?)がお金儲けできる環境をつくることになってたという解釈を思い出した。状況的に孤独にさせておいて、「孤独はつらいよね」という、マッチポンプ的ないやらしさを感じた。

今のぼくの側のものの見え方とかに大きくバイアスを受けてる認識だとは思いますが。

ツイート

以下、そのときの一連のツイートです。

So What?

そういう認識を持ったとして、「ならば、どうするのか?」と、前向きに考えることは大切だと思う……けれど、ま、簡単じゃないですよね。

「頭で考える意識」みたいなのは、多分、野田秀作さんの「自動運転モード」に近いものかなと思います。そういう意味では、まず、物事の1つ一つに対して、「自分がどう感じているのか」を、いろんなものに惑わされずに認識するところからかな。そのとき、スピードを落とすとか、立ち止まるとか、そういう意味で、ポッドキャストっていうメディアは、ちょっと面白いと思ってます。ゆっくりしている分、反応もゆっくりしている……というか、ゆっくりした反応の方をむしろ注目したいし、それができるような仕組みが必要かな。

まとまりなく、オープン・エンディングで。

クロージング

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

コメントや感想など、待ってます。

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