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[悪気のない日記]2020/9/23

 飲酒と小説の共通点について。

 今年の六月にプレゼントしてもらった性能のいい体重計に久しぶりに乗る。51.50kgだった。六月からの約四ヶ月でちょうど4kgほど体重が落ちていた。その内訳は脂肪が2kg、筋肉が2kg。とても分かりやすい。

 体重が減った理由ははっきりとしている。一人でいると僕はご飯を食べるのを忘れてしまうからだ。コロナ騒動が起きる以前はみんなと食べる機会が多かったので飯を食い忘れることは今より少なかった。その分で体重が減ったのだろう。

 ちなみに、この体重は、この体重計が主張する「標準」と「痩せすぎ」のちょうど境目にあたる。僕は今日まで標準的な人間で、明日から痩せすぎの人間になるみたいだ笑
 この体重計は筋肉量と脂肪量の二つの軸を用いて体型を九つに分類している。ちょうど3x3だ。僕は明日から運動痩せ型になります笑


 刹那的な生き方をしている僕は、それでもおおよそ健康的だ。お酒は友達と騒ぐ時にしか飲まないし、タバコは海を眺めている時にしか吸わない。加工食品は納豆とヨーグルトとホエイプロテインくらいしか口にしない。気が向いた時に(週に四日ほど)激しい運動をする。だから腹筋も割れている。ずいぶんとストイックな生き方をしているように見えるだろうと思う。

 僕は生きている刹那の中に、「未来は現在よりも良くなる」というぼんやりとした予感が組み込まれていることが重要だと思っている。そうした予感がある時、僕は幸せを感じることができる気がする。ひたすら自堕落になるひとときは楽だが、「未来は現在よりも良くなる」という予感がないと、やっぱりどこか、気分が悪い。

 とまあ、自分のあり方を自分で肯定したところで、その逆もしなくてはならない。僕は「小説を書く」という行為を、ある種の現実逃避策ではないのかと思い始めている。寂しさを忘れ去るためにお酒を飲むように、僕は小説を書く。その証拠に、僕は小説を書くという行為をコントロールできた試しがあまりない。お酒は飲まれるまで飲んでしまうもの。小説もまた同じ。

 去年、文学賞に応募してみるためだけに二編の小説を書き上げた。「文学賞への応募」という外発的な動機づけから始まった執筆行為は、全くもって楽しいものではなかった。文学賞のカラーであったり、制限字数だったりを気にしながら書いているのはつまらない。ちょうど、周りの雰囲気やアルコール度数、終電の時間なんかを気にしながら飲むのがつまらないように。

 僕はあくまで内側から湧き上がってくるものを書く。外から与えられた基準を、可能な限り廃したいと思う。そうやって一人で書き続けている。

 それでも、気心の知れた人と飲むのが楽しいように、気心の知れた人に自分の書いた小説を読んでもらえると嬉しい気分になる。実際、とても嬉しい。何が嬉しいのか良く分からないほど嬉しい。

 さて、飲酒も小説を書くという行為も普段とはちょっと違った世界の中に入っていくための儀式のようなものなのかも知れない。

 その試みは、やはり自堕落なものなのかもしれないけれど、たまにはいいでしょう笑

 

 

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