その反吐はメッセージ

 うれしがらせを耳にささやく男から身を引きはがしながら、私が柄にもなくかわい子ぶって、ねえ、好きってのと愛してるってのはなにがどうちがうのん、と尋ねると、男は半分しらけた様子で、愛読しているアメリカン・ハードボイルド小説の口ぶりを必死でマネしながら(そう、あの、やれやれだぜ、の調子で)、好きってのは一塁打で、愛してるってのは三塁打、それだけのことさ、と言って、ワイルドターキーをひとすすりする。こいつはいつもワイルドターキー。きっとアメリカン・ハードボイルドにふさわしいセリフには、アメリカン・ハードボイルドにふさわしい小道具がいるということで、でもスケベ心だけは決して見透かされないように、グラスの氷をカラコロと揺すりながら、あたかも自分の関心がその中にしかないような、そんなフリをしている。とっくに手遅れだというに、ぶしゃしゃ、というのは私の心の笑いであって、こいつには届いていないと思うけれど、とにかくまあ涼しげに、なるほどね、とだけ私が言うと、男は私がそれに対して反論をしないのが少し不思議みたいなのだけど、続けざまに、そう、困ったことに、コールドゲームだってあるのさ、と言う。実りある情愛を望んだところでムダムダムダ、いつかは幻滅してしまうものをなぜ誰も彼もありがたがっているのかさっぱりわからないぜ、ただ、打席というものは回り回ってくるもので、そこでバットを振らずにいるのはしのびないから、せいぜい飽き飽きするまでゲームに興じるってわけさ…ってわけさ…わ・け・さ、ときたもんだ。ぶわしゃしゃしゃ。さっきからこいつはグラスの氷とにらめっこしているけど、本当は、後腐れのないように私を誘うことができるとしたらそのタイミングはいつなのか、今でしょ!という芸人がいるよね、しかしそれは野球で言うところの振り逃げなのか、はたまたホームスチールなのか、自分の走力はじっさいどれほどなのか、そんなことをあれこれ思い巡らせているのであろう。その横顔は、じつにぶざまでこっけいで、もう少しおちょくってやろうかとも思ったけれど、この自称ホームランバッターを調子に乗らせているギョーカイというものにムカついてきたのと、酔いが回りすぎたのもあって、気づけば私はそのワイルドターキーのカラコロのほうにむかって、乙女の純情と情熱をありったけこめて、一直線にゲロを吐いていた。このゲロはそう、ゲームセットということで、堪忍して、お勘定して。

(アナ・フンツマリー・サッケル『大陰唇のうた』より)

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