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今日の建築家「ALTEMY」

バックグラウンドも働き方も異なる3人による、建築グループALTEMYに創造系不動産の鈴木と本山が会ってきました。

得意としていることが全然違う


— 私たちは創造系不動産という会社につとめています。建築家の方に依頼を頂いて動く不動産屋なんですが、それとはべつに「今日の建築家」というインタビュー企画をやっています。つくっている作品の話は全く聞いていなくて…非常に失礼なインタビューかもしれないんですけれど(笑)。今、こんな建築のやり方もあるんだよっていうところを、いろんな方々にお聞きしているんです。ALTEMYのみなさんは、どういう経緯で3人で、どんな形で活動していらっしゃるんですか?

津川さん:それは私たち自身も知りたいと思ってます(笑)。


— そうなんですね(笑)

飯澤さん:約2年前の越後妻有トリエンナーレ(大地の芸術祭)のインスタレーションの公募コンペが開催されていて、それに出そうと津川に誘われたのがのきっかけです。
 それ以前には渋谷のブリティッシュパブでたまたま飲んでいて、そこでなんか話が合ったくらいですね (笑)。

津川さん:それが、ALTEMYをやり始めたきっかけに繋がるんですよね。

ALTEMY_越後妻有トリエンナーレ

飯澤さん:そう、それで実際に2018年の夏にインスタレーションをつくったんです。
 その頃は津川がニューヨークのDiller Scofidio + Renfro(以下、DS+R)の事務所にいたので彼女とリモートでコミュニケーションをとり、僕が日本でどうやって製作していくか詰めていました。
 そのあと彼女がニューヨークの事務所の勤務期間を終えて、ニューヨークから日本に帰るかもしれないっていう時にアメリカの西海岸を一人で建築旅行をして、その途中で戸村と出会ったんです。

津川さん:彼はGehry Technologiesで働いていて、 Twitter でやり取りを始めたことがきっかけで話をするようになったんです。
 たしか「ツイートの内容が間違っている」というリプライを最初に受けたのがキッカケでした(笑)。
 西海岸に建築を見に旅行をする時に、せっかくなので知人にも会いに行こうと思い、戸村にも初めて会いました。そこで彼が今まで携わってきた建築や思想の話を聞いて、とても話が合ったんです。それで声をかけた。
 ALTEMYはそこから3人でやっています。

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それから、私たち3人って得意としてることが全然違うんですよね。
 設計者としての強みはそれぞれ全く違うのに、普段インプットしている先が似ているんです。
 インスピレーションを受けるアートやドローイングや、思想を深める文献など、根底にある要素が近いように感じました。

飯澤さん:彼女は結構感覚が先行する時があって、彼女の会社だとか大学の同期からは「よく分からん」みたいなことを言われることが多かったらしいんですね。
 でもまあ僕達は「なんとなく言いたいことがわかる」っていう感じで。多分そういうところが、いいかもって思われてるポイントだとは思うんですよ。

津川さん:それだけじゃないけどね(笑)。
 すべてを言語化して二人に伝えなくても、共通の感覚を持ち合わせているが故に、デザインプロセスを省くことが出来ます。直感で、この3人なら行けそうと思ったので「一緒にやらへん?」と誘ったんですね。
 飯澤と一緒に1年ほど協働してから、戸村を誘い、3人で動き始めました。


— さっきの話ですけど、影響を受けたり、共通の感覚を持つような作品にはどんなものがあるんですか?

飯澤さん:例えばコンペだったりとか、作品を作り始める時にイメージを集めるじゃないですか「こんな感じの」って言う、それが大体似てるんですよね。
 先日も舞台美術系で面白そうな記事があったよって津川に教えたら、その直後に戸村からも同じ記事が送られてきたりして。(笑)

津川さん:しかもそのやりとりは全然知らなくて。あれはびっくりした(笑)。


気が合う人同士であれば場所は関係なくやればいい


— みなさん、今はそれぞれ別の組織に属しているんですよね。

津川さん:そうですね、私だけ独立しています。
 二人は今は勤めてるところがあるので、ALTEMYで働いた分は報酬をお渡しているっていう状況です。

飯澤さん:実は3人でちゃんと揃ったのが1回しかないんですよね。
 2019年の年末に、戸村が帰国しているタイミングということもあって、写真を撮ろうよってポートレートを撮ったんですけれども、それが初めてでした(笑)。
 実際、顔を合わせてコミュニケーションしなくても、割とそんなこともできちゃう世の中なんですよね。

津川さん:身の回りの限られた人脈の中でチームを組まなきゃいけないとなると、数が限られてくると思うんですが、気が合う人同士であれば場所は関係なくやればいいと思います
 実際にニューヨークのDS+Rで働いていた時は、世界中から115人のスタッフが集まり、同じ方向性を持って日々建築と向き合っていた。私たちはそれぞれ出身校も勤務経験もバラバラです。違うバックボーンを持っていると、建築を考える過程でも様々な可能性を考えて拡がりを持つことが出来ると思うんです。今いる場所とは関係なく協働できる世の中なので、積極的にやっていてもいいんじゃないかなと思います。
 いつか3人で独立してやろうとは、思っているんですけどね。
 私は待ってるんですけどね。(笑)


— なるほど。飯澤さんと戸村さんは、今後も組織に在籍しながらやっていく感じなんですか?イメージとしては。

戸村さん:今後は分からないですけど、今はとりあえず空いてる時間を使ってプロジェクトをやっている感じです。
 僕は特にまだ社会人2年目なんですね。ずっとこれまで色んな所で学生をやっていたので、実務経験が足りない部分が気になって。とりあえずはもうちょっとここで経験を積んで、将来面白いことがあれば組んでやって行こうという感じですね。

飯澤さん:ALTEMYの中で僕は内部オーガナイズにあたる部分を主に担当しているんですが、まだまだそのスキルが足りないなと感じています。
 もっと自分に実績とか、修羅場を乗り越えてきたみたいな事実・自信が欲しいなと思っていて、もう少し別の組織で修行しても良いかなと迷っています。

津川さん:建築設計って二度同じ敷地・条件が来ることはないじゃないですか。
 日本の会社やDS+Rで勤めていた時、独立した後も「これやったな」という経験が生かされることは多くはない。ただ、どこで社会人の基盤を作るのかって建築家としてはとても大事だとも思います。
 
飯澤さん:当然だけど「これ進研ゼミでやったぞ」みたいなことは現実には起きないんですよね…。

津川さん:今後は私が仕事を取ってきて、二人を引き抜くしかないな、とは思っています。


— 
なるほど。お二人を引き抜くような、でっかい仕事を取ってくると。

津川さん:そこでしっかり組織の体制を固めることが大事なのかなと思っていますね。
「きてきて」と言ってても来てくれないので。こんな面白い仕事があるけど来ない?みたいな。これだけ対価が払えるよ、というのも出さないと。


ツールに踊らされないように


— 得意とすることが3人とも違うとおっしゃっていたじゃないですか。それぞれ、どんな役割を担っているんですか?

津川さん:私が100%フリーで動けているので、社外的な対応は担当しています。
 今プロジェクトがいくつかある中で、神戸の「三ノ宮駅前新アモーレ広場」については、飯澤と協働しています。飯澤の強みは1/5スケールで物に対してこだわっているところなので、その部分を担当してもらってます。

ALTEMY_三宮駅前広場

飯澤さん:1/5は小さすぎるよ。ディテールの検討は1/2とか1/1だよー(笑)

津川さん:そうね(笑)。
 勿論私もそうですが、こだわりを持って建築を見てる人なのでそこを任せています。
 あとは、飯澤は内部オーガナイズとかスケジュールを立てる、というところにも長けてるんですよね。プロジェクトを進めていく上で、各決定事項を決めていくタイミングは重要なので、そこの部分の管理を担保してもらっています。
 社外的なことは基本私で、内部のところは飯澤に、先頭に立ってやってもらっています。

 戸村は、世界的な建築家事務所のテクノロジー部門で働いている経験を活かしてもらうため、少し俯瞰して建築を見る立場に立ってもらっています。また、アメリカ西海岸の建築教育を受けているので、建築界には未だない表現方法や、建築のアプローチを考える上で欠かせない存在です。

飯澤さん:マネジメントには「誰が何をやらないといけないのか」っていう作業の割り振りが基本じゃないですか。
 でも人員を割いて闇雲に検討をいろいろ進めちゃったら、多分無駄になることがいっぱいあって、このフェーズだったらここまでで止めておくとか、ここは詰めとかなきゃいけないよっていう勘所が重要になってくるんですよね。とはいえ、僕もこの部分に関しては現在所属している設計事務所でめちゃくちゃ言われて怒られまくってるとこであるんですけど。…ただ、それ言われてるからこそ「ここは気をつけなきゃいけない」ということが前よりも分かり始めてきています。

津川さん:飯澤の上司(noizの豊田さん)がやっぱりアメリカでキャリアを積んでいらっしゃるので…アメリカは結構ビジネスライクというか。日本の建築家の中でも希有な存在な気がしています。タスクの時間と成果、それに伴う賃金の関係はシビアに見ていきたいと私も考えています。
 安い賃金で長時間働くことを前提とした労働環境には個人的に憤りを感じていて、そこはちゃんとやっていきたい、というのは3人皆思っているところなんです。飯澤がそういう役目を担ってもいます。
 戸村は、コンピューテーショナルなところが強いので、「Under 35 Architects exhibition 35歳以下の若手建築家による建築の展覧会」で展示した映像による新しい建築表現や、シルバーの風船を商店街に浮かべる都市実験プロジェクトに入ってもらっています。戸村が持っている技術を活かした、新しい表現やデザインアプローチが何なのか、日々議論を重ねていますね。

ALTEMY_三宮本通商店街の都市実験

飯澤さん:戸村はゲーマーなんですよ。VR とかそういったものもやっぱり得意ですし。放っておいたらゲームで走ってしまうみたいなところがあって。

津川さん:…っていうぐらい根底がオタクなんですよね。
コンピューターと向き合うのが得意なのでそういう部分でALTEMYの色を出してもらっているところはあると思います。


— ゲーマーという情報が、すごく強く入ったんですけども。

飯澤さん:そこは書かないでおいていただいて(笑)…
 いずれにせよ全員何かしらデジタルツールが使うってところは今の世代に共通していると思っています。ただ、ツールはあくまでツールだと思います。ツールに踊らされないように常に緊張感を持って向き合っているつもりです。
 逆に現場レベルでわざわざデジタルツールを使わなくても、本当に手描きスケッチで十分共有できるものだったらそれで別にいいし、僕は適切なツールの使い分けみたいなことを特に意識していますね。

津川さん:彼はすごいそれを言うんですよね。
 だからテクノロジーとか技術を使うことを目的にするのではなく、何を実現したくてそれを使っているのかを大切にしています。
 あくまで手段。私もそれは共感しています。

飯澤さん:未だに一部の人の間でGrasshopperを使ったらなんか不思議なものができる、みたいな魔法の箱だと思われている節があります。でもあれっていわゆる計算ツールなので、計算過程を記述してるだけなんですよ。

戸村さん:今いるゲーリー事務所の良いところは、デジタルツールをバリバリ最先端で使っているけど、飯澤が言ったみたいに「ツールはツール」って分けてるんですよね。
 最先端の技術を使ったから云々いうアピールじゃなくて、その前に絶対的なフィジカルな模型がある。

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 ゲーリーが「これがいい」っていうデザインがあったら、それを実現するために全力でサポートする。
 それをどう再現するかというところにデジタルのツールが必要とされていて、僕もGrasshopperやBIMで貢献しています。ゲーリーももう90歳ですけど、そこはちゃんとわかって使っています。芯が絶対にぶれない。
 フィジカルを支えるためだけのデジタル、みたいな感じです。そこはすごい共感します。一方で僕は全くデザインには加担できない…それはまあそうなんですけど。


チーム全体の労働環境はきちんとデザインしていたい


— 話がちょっと前に戻っちゃうんですけどいいですか。憤っていると話がありましたよね。ビジネス的な側面に対して。

飯澤さん:特に津川はそうですよね。


— そうなんですね。

津川さん:言いはじめたらすごいいっぱいあるんですけど(笑)結局何だろうな。
私は日本のある程度大きい組織で3年働いてから、ニューヨークの建築家事務所に行き、どちらも100人以上の規模であって基本的に組織体制は一緒だったんですね。
 ただ、日本の場合は原価率がオーバーしても手を進めるんですけど、アメリカの場合はプロジェクトがストップする。追加フィーをもらわないとそれ以上動きませんという。
 それが当たり前だと思ってるんですよ。そうしないと経営が破綻してしまうので。

 建築は多額の予算が入ったり止まったりと経営が流動的なので、そこをどう考えていくのか今後の課題だと思います。
 お金が欲しいのではなく、いいものを作るためにはやっぱりコストがかかる。資本はそういう意味で大事で、甘く見ちゃダメだと思っています。
 「凄い低予算で長い期間をかけてじっくりと建築を作りました」という提案には、正直共感出来ない自分がいます。

 あとDS+Rではスタッフの移り変わりが早くて、雇用がオープンになれば、1日で300人ぐらいの応募が世界中から来るとも言われていました。良い環境で良いフィーがあるところに優秀な人材は流れていくことを、痛感しました。それは別に国や地域関係なく、大事だと思っています。
 優秀な人材ほど自負があるから、対価を求めるじゃないですか。より多くの優秀な人材を確保したいという意味もあって、そういうところはちゃんとしたい。
 実現するのは難しいと思います。でも、設計をするチーム全体の労働環境はきちんとデザインしていたい。そんなステートメントは掲げていたいなと思いますよね。

飯澤さん:優秀な彼らはその職場に来るまでにキャリアとかスキルに対してかなり投資をしていて、正当な報酬でそれらを回収しないといけないという意識が少なからずあると思います。自分たちのスキルを安売りしないという認識が根底にあるんですよ。
 恐らく優秀な人ほどその傾向は強いのではないか。


— 今後は事務所をもっと大きくしたいとかっていうのあるんですか?

飯澤さん:少なくともデザイン以外の別のフィールドの人を引っ張ってこないといけないなと考えています。
 例えばバックオフィスとかですね。事務所を存続させるために絶対重要なんです。スタッフを雇う前にまずバックオフィスの体制を整えるべきだと思いますが、経理管理だけじゃなくて長期的な経営にも目を向けるべきだと思っています。

津川さん:経営は重要だと思います。

飯澤さん:僕たちは建築デザインしか学んできていないのに、いきなり経営なんてできないじゃないですか。
 物をつくることでいっぱいいっぱいなのに、そこに経営もするというところでそもそも破綻してて…全部のボールを自分で持とうとしちゃ駄目なんですよね。

津川さん:そうね。全部コントロールしたいという建築家魂が邪魔をしますよね。
 ドアハンドル一つから全部把握しないと気が済まない。ある程度割り切ることは、建築家にとって難しいかもしれません。

飯澤さん:それと、我々は契約書をゼロから作れないんですよ。
 先手を打って契約の形を提案するっていう方法にしないと、先方の言われるがままに知らないうちに事務所のリソースが奪われてしまうことが起きうると思います。デザインじゃない部分で自分たちが損するんじゃないかという危機感を持っていますね。
 あとは市場に流通させるプロダクトの意匠権とか、複雑な体制で参加しているプロジェクトのクレジットの取り扱い方とかも、専門家じゃないと判断ができないですし。
 
津川さん:そういうところも気が合うんですよね。
 結局デザインはもちろん、その界隈にある全ての事項に対してシビアな感覚を持っていたいので、そこをちゃんとしておかないと作った人達のやる気を削ぐんですよ。
 すごく大事なことだと思います。デザイナークレジットが出ないというのはやる気がなくなりますね。闇に葬られるというか秘密になっちゃうというか…載る作家名の順番も含めて、クレジットはとてもシビアだと思う。

 設計中の建築の写真なども、出すべきタイミングはあると思います。TwitterやFacebookなどで、お施主さんの許可無く現場の写真があがっていたり、 雑誌の誌面の中身を他人のタイムラインで見てしまうと、あまり心地良い気持ちにはなりません。組織に属しているときに、その辺りをよく注意喚起されていたので、しっかり教育されたみたいです。 
 自由に個人が発信できる時代に、情報発信に関するリテラシーを持ち、自分の持っている情報をどのタイミングで公開するのかというスキルも大事だと考えています。
 自戒を込めてそういうところが必要よね 。…もう止まらないんですよ、すみません。

— 大丈夫です(笑)。すごい面白いです。


建築を好きになる途中


— すごくオーソドックスな質問に戻るんですが、そもそも、建築を本気で始めようと思ったところや、めちゃくちゃ影響された建築家は誰ですか?

戸村さん:僕は実は建築に全然興味ないんですよね(笑)。


— 新しい(笑)。

戸村さん:もうずっとやっているうちに、そのうち好きになると思って建築勉強していて。
 ザハは、最初にグッと来たので大好きなんですよね。最初にザハのプロジェクトを雑誌を見た時にこれはやばいと思って。
 ずっとそういうのをやれたらなぁと思っていたんですけれど、結局それはグラフィックとして好きなだけで、空間に興味があるわけじゃないって気が付いたんですよね。多分ザハの影響で Rhinoceros を勉強し始めて、その中で隈研吾さんの事務所でGrasshopperや CG のバイトを始めて、また建築をいつか好きになるだろうって思いでずっとやってたんですけれど。そこから新しいデザインを生むためにはデザインのプロセスから根本的に変えなきゃならないことに気付いて自分の興味もいわゆるコンピュテーショナルデザインの方向に少しずつ変わりました。
 アメリカとかヨーロッパに比べて、やっぱりデジタルの分野において日本は遅れてるんですよ。それをどうしても拭えなくて、これはもうアメリカに行くしかないと思って、アメリカの大学院を受験して2年間がっつり学んで、デジタル系の事務所にも入ったわけです。
 まだ、その自分の興味が続いているっていう段階だから、建築を本気で始めているかどうかわかんないんです(笑)。

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津川さん:なんだこれ(笑)。みんな素直すぎてどうしたら…(笑)。
 まあ、でもこういうところも共感したんですよね。好きじゃないって言いながら、ほんまに好きじゃなかったら興味ないんで。いわゆる既存の建築と言われている範疇に、彼は興味がないんですよ、多分ね。
 新しい表現やデザインプロセスを経て生まれる建築に興味があるのでは?歴史を更新したい、みたいなところですかね。

戸村さん:新しい建築っていうか、何だろうか…。
 デジタル化の中で、建築の概念自体がこり固まってきてるから、その中で考えられるフィジカルな建築っていうのを再定義しなきゃいけない時代に今あって。なんかそれは面白いと思う。
VRやARでデジタルによって人の感じる空間をコントロールできるようにもなって、人の生活も著しく変わる中で、建築というものが変わらないのがおかしい。それでいろんな方面から、改めて考えてみてるところです。
 建築を好きになる途中なんですね。

津川さん:好きになる建築を模索してるんや。

戸村さん:改めて言われると恥ずかしい(笑)。
 建築が使っているのって一手二手遅れてて今他の業界が使い始めている技術が建築に定着するのは5年~10年後なんです。
 まあ僕らがうまく使えるように頑張りましょうってことなんですけどね。


お互いの違いを面白がって


— 津川さんの場合はどうでした?

津川さん:影響を受けた建築家はもちろん DS+R ですね 。DS+Rに行って全く変わりましたね。


— 一番憧れてた人の下で働くって最初ハードルがすごい高かったんじゃないですか。

津川さん:ありました、ありました。クビになっても事務所の床磨きをしようみたいな気持ちで行きました。
 最悪タダ働きをしてでも、事務所に食いつくぞっていう(笑)。ずっとLiz(※Elizabeth Diller : DS+Rパートナー)の動きを見てましたね。
 Lizが打ち合わせってなったら、どんなことを話すのか気になって、打合せスペースの隙間からじっと観察したり。「あの子やばい、ずっと見てる」みたいな(笑)。
 ただのファンやってましたね。なんやろ、これはひくね(笑)。


— それって、元々その DS+R に出会うきっかけというのも何かあったんですよね

津川さん: 学生の時に自分が好きな建築の事例を貯めるフォルダを作っていて、 そのフォルダにDS+Rの作品が多いことに後から気付いたんですよね。
 よくよく調べると自分が作ったポートフォリオの思想と彼らの思想が部分的に重なっていたり建築家として根底にある思想や興味の矛先や、社会的に魅せるデザインアプローチにこんなに共感できる人おらんなと思って。

 私も初めは建築をそこまで好きになれなかったんですよね、実は(笑)。
 学部では建築を全然やっていなかったです。
 建築学科に入ってからは、元々ダンスを用いての身体表現や服飾デザインに興味があったので、幼少期から独学でやっていたダンスを本気でやるためにプロ育成コースのレッスンを受けに行ったりしていました。。何故か服飾団体にも通っていて、あんまり建築にまっすぐ熱をかけていなかったんですね。


— そうなんですね。

津川さん:結局ダンスや衣服といった誰に言われる訳でもなく夢中になっていた要素を全部建築に巻き込めたら、独自の建築が打ち出せるなと思ったのが、大学院に入った時なんですね。
 早稲田大学院の古谷研に入って、幼少期から学部の作品までを45分の一つのプレゼンでまとめる機会を与えられたんです。その時に突然いろいろと一致した瞬間があって、私の建築がスタートしたんですよね。
 卒業前の修士設計でようやく方向性を見つけてやり始めた感があるので。

 建築を好きになれないっていうのは分からない訳ではないんです。
 でも好きになれないって興味の塊だな、と気付いて。
 個人名でやるからには新しい思想を打ち出したいですし、少しでもいいから歴史の更新に貢献したいっていう気持ちもあります。

 個人でやるとやっぱりリスクもあるじゃないですか。
 組織に勤めていた時に安定した収入をもらって、福利厚生もちゃんとした守られている環境にいて、設計業だけに集中できるこんな有難い環境はないな、とずっと思っていたんですよ。この環境を捨てて個人でやるなら、それ相応の覚悟を持って、建築を考えることにずっと挑戦していたいと思いました。


— 飯澤さんもそんな建築好きじゃないっていう感じなんですか?

飯澤さん:僕は二人と違って最初から建築大好きでした。

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津川さん:だから、いいんですよね〜。

飯澤さん:最初から好きでしたね。
 王道ですけど中学校くらいの時にRenzo PianoとかNorman Fosterの写真を見てめっちゃかっけーじゃんってなったのがきっかけです(笑)。
 受験勉強から開放されて、やっと大学で専門の勉強ができるとなると、最初からスタートダッシュをかけまくっていた気がします。設計課題でも、その当時の時のことを友人に聞けばわかるんですけど、ギラついてて怖かったって言われてましたね。
 好きな嗜好としては、男子的な…ジェンダー論出すのはどうかと思うんですけれども、男子が好みそうな機械的なものが好きだったんですよ。今でもF1とか好きですし、構築的で機能と表現がせめぎ合うところに面白みを感じています。
 一方で作り手として感動する空間は、ミニマルで、統一されたルールでバシッとディテールが整理された空間ですね。さっき言っていた内容とすごい矛盾したものになっちゃうんですけれど、ミニマルってなんだかんだ技術の集積でできてる側面があって、作るのが難しいんですよね。こういうこだわって整理された空間を作りきっている人たちには敬意を払いたいなと思っています。

津川さん:彼はその辺のサッシのスケッチを這いつくばって描いてるような人なので。

飯澤さん:そんな異色の3人が組んでいる。みんな片足をどっかに突っ込んでいても軸になってるところは似ているんですよね。

津川さん:その感覚のおかげで、作り上げていくものに矛盾が生じない自信が漠然とあるんです。これからもいろんな変化はするだろうけど、お互いの違いを面白がって建築に向き合っていたいですね。


ALTEMY
(津川恵理+飯澤元哉+戸村陽により2019年設立)

ALTEMY_プロフィール

津川恵理(写真左)
2013年 京都工芸繊維大学 Erwin Viray Lab.卒業。
2015年早稲田大学創造理工学術院 古谷誠章研究室修了。
2015-2018年 組織設計事務所勤務。
2018-2019年文化庁新進芸術家海外研修員として Diller Scofidio+Renfro(ニューヨーク)に勤務。
2019年ALTEMY代表として独立。

飯澤元哉(写真右)
2014年千葉大学工学部建築学科岡田哲史研究室卒業。
2016年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻ヨコミゾマコト研究室修了。
2016年よりnoiz(東京)に勤務。
2019年ALTEMYパートナー。

戸村陽(写真中央)
2014年早稲田大学創造理工学部建築学科(渡辺仁史 / 小林恵吾研究室)卒業。2014-2016年早稲田大学創造理工学術院所属。
2016年noizにてインターン。
2016年-2018年SCI-Arc MArch II修了。
2017年にATLVにてインターン。
2018年よりGehry Technologies(ロサンゼルス)に勤務。2019年ALTEMYパートナー。


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