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大工という生き方を選んだ私

全建総連 第52回全国職業訓練生及び講師・実務担当者交流集会
(2024年6月13~14日、広島県廿日市市)各職業訓練校代表によるミニ弁論大会で最優秀賞を受賞※した本校2年生(第28期生)小堀晴野さんの発言大要を紹介します。(※横浜建築高等職業訓練校 本村 陽香さん(2年生)も最優秀賞)

大工という生き方を選んだ私

私は今、プライベートと仕事の両方で介護をしています。我が家では、93歳になる祖母が転んでしまったらすぐにわかるよう、至る所にセンサーをつけています。仕事の現場では逆に、物音がしなくなったら要注意。80歳近い親方がその辺で倒れているかもしれないからです。
 私は人の住む空間を作るということが私の夢だったから建築の世界に入りました。女性の私が入ることは難しいだろうと、心のどこかで臆していた時もありました。実際、性別で差別されたり、軽んじられたりして悔しい思いをすることもあります。しかし、木という自然のものから、人々が人生の多くの時間を過ごす場所を自分の手で作れるようになってくると、言い表し難い幸福感と、大きな生きがいを感じることがあります。今日、広島に降り立った時も、焼け野原だった町を戦後80年で見事に蘇らせていて、やはり建築の力はすごいなあと感じました。
 ただ、実際に現場で働いてみて衝撃を受けたのは、自身が憧れていた大工の実態が、理想と大きくかけ離れていたことです。

問題が多すぎる大工の実態

 私の働く建築技術者・職人の世界には、問題が多すぎると感じています。建築生産の問題では、高齢化による大工の人口減や企業では個人の技巧に左右されないよう、分業化と機械化を推し進めています。分業によるスペシャリストは増える一方で、個々人の全体を見る力、統括する力は弱まります。機械化によって個人の技量や思考力も減退していきます。ものを創り出す喜びや、考えたことを現実に落とし込む喜びは、失われています。
 働く現場での安全・安心・快適という言葉は無意味に近く、ハラスメントも精神的なもの以上に、直接に肉体的なものも、多くの仲間達の経験するところです。

私たちの人生は、なんのためにあるのでしょうか。建築業界はその実態がわかりやすく見えるところです。労働者の人権は軽んじられ、休みもなく、賃金は相対的に安くなる一方です。仕事だけで生きてきた人間は、他人との繋がりが弱く、引退したあとの過ごし方が怖くて危険な現場に居続けます。高齢者でも現場に駆り出したい建築業界。一方で働く側も、例えば私の親方などは、現場とパチンコの往復で生きてきたので、仕事を辞めたらすることがない、人と会わなくなってボケてしまう、という理由で現場に出続けます。さらに、閉鎖的な社会ではパワハラも横行しやすく、悪い意味での同調圧力も強いので、変革を要求する少数派の声に攻撃的になりがちです。建築職人に対するべっ視もまだまだ多いようです。

未来に希望をもち、自分の能力を高める

今、私の置かれている状況は、個人的にはとても危機的な状況だと感じています。このまま、建築の業界で働き続けられるのか、先の見えない恐怖を覚えたりもしています。しかし、カレッジの授業で耳にしたレジリエンスという言葉が希望をつないでくれるかもしれません。これは、心理学用語で「危機からの回復力や復元力」を意味するそうです。そして、危機からの回復のためには、未来に希望をもつこと、そのためには自分の能力を高めることが有効だということです。また、それらを楽しむ、楽しめる、ということもとても重要です。
 私は今の個人的な、そして社会的な生活の危機から抜け出すためにも、技能や技術の習得に努め、それによって将来に大きな目標を立てられるようになりたいと願っています。
 私は、将来指導する側になれた時には、棟梁として、個人的にそして社会的にも多くの問題を解決しながら、ものを作る人々の立場に立った職場作りを目指したいと思っています。大工という職業に就くのではなく、大工という生き方を選びたいのです。
 ここに集う皆さんと、一緒に職業訓練に励みたいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。
以上

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