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九死に一生スペシャル

7月の中頃、長女のクラスでの体調不良者が多過ぎて学級閉鎖になりました。

それから3日後、長女が喉の痛みと共に発熱。即隔離、即全員マスク、即家中の換気量を最大にして換気扇を回し続け始めました。

独りきりにされ、38度を超える発熱に泣きながら『辛い』というLINEが何度も送られてきました。


既に世界は第7波の序盤、このCOVID-19というものに対して1ミリも油断せず、ナメてもこなかった自分がいよいよ対峙するんだなと感じました。
医療の状況も壊滅的な状況、特に小児に関してはより一層深刻な状況だという事もしっかり理解していました。だから何事も無く軽快してくれて、後遺症もMIS-Cも何も出ないと良いなと祈る事しか出来ませんでした。

翌日、何十回と電話をかけ、やっとかかりつけ医に繋がりPCR検査。その翌日に陽性判定が出ました。その頃、次女が発熱し始め、その後、次女も陽性判定が出ました。

2人とも、発熱や咳の症状でおさまり、数日で平熱を維持するぐらいに落ち着きました。

毎日24時間全員マスク着用。常時換気。食事中や歯磨き中は窓開け換気。なんなら自分はベランダで食事。今思い出しても全力で地獄でした。隔離の為にリビングで寝ていたので、リビングのエアコンとか10日以上一切止まらずに動いてたし。

2人とも軽快で終わるかなと思っていた矢先に長女がぶり返す様な症状になり、それと共に胃腸炎の様な症状で飲み食いも出来ない程に体調が悪化していきました。
東京都のフォローアップセンターに電話しても、看護師の方は『様子見て、かかりつけに受診』と返答。医療の状況を考えると肺炎症状の無さそうな若い人間に関してはそりゃそうだよなとは思いました。
My HER-SYSのコメント欄にも毎日の様に悪化していく症状について語気強めにコメントを入れましたが、療養期間が随分前に終わった今ですらも特にコメントも、保健所からの連絡もありませんでした。でも、今はそういうタイミングだって理解出来るのでそりゃそうだよなと思いました。

症状が悪化していく中、かかりつけ医に相談すると、医院の方から保健所に入院調整の連絡をしてもらえる事になりました。しかし、保健所に全く繋がらず。症状はより酷くなっていきました。医院の方からも救急車の要請をすべきとの事で119番。救急医療の状況も理解していたので、病院には入れないだろうなとは思っていました。でも、何かしらの処置や検査をしてもらえたら有難いなと祈っていました。

救急車が到着するまで1時間はかかると告げられました。それでも早いな、有難いなと思いました。それでも救急隊の方々は予定よりも随分と早く到着してくれました。あの時の安堵の気持ちは絶対に忘れません。

コロナ陽性者の対応なので防護服着用で娘を触診してくれました。こんな事をずっとずっとやっているんだろうなと思うと、本当のヒーローにしか見えませんでした。今の状況なので、病院に受け入れてもらえるかはわからない旨を伝えられました。そりゃそうだよなと思いました。救急隊の方から保健所に連絡をしてもらいました。そこで救急隊の方々は帰って行きました。とにかく心強かったです。

その後、保健所から連絡が入り、奇跡的に(保健所の方もそう言ってました)入院が出来る事になりました。その後、民間救急の方が迎えにやって来てくれ、あと1、2日このままだったら死んじゃうかもしれないなとすら感じられた、顔面蒼白で痩せ細った姿になっていた長女は病院に向かって行ったのでした。

とにかく、ただただ幸運でした。今でもそう感じています。良かった。

コロナ陽性者なので、コロナ病棟で隔離。濃厚接触者である自分達の隔離期間は終わった所でしたが、勿論面会も無し、基本的に衣類等もレンタル、入院以降は一切会えないという事でした。そりゃそうだよなと思いました。

検査をすると虫垂炎だという事でした。CT画像を見る限り、手術するレベルの状況だと。自分自身が家で1人で虫垂炎になり、近所の内科で食あたりだと診断され、我慢していたら破裂してしまい腹膜炎、救急搬送からの即手術で、あと数時間遅れていたら死んでいた状態だったという経験をしているので、本当に死ななくて良かったなと思いました。そりゃお前も痛くて辛かったよな。虫垂炎は死ぬ病気だって知ってるから。

長女はずっと辛かった上に、急に独りきりの病室、そして隔離、親の看病も無し、そこに手術。なかなかタフな状況だったろうけど、医師の先生の話、僕からも自分が死にそうになった時の話と、手術をしないと死ぬかもしれない話をして、納得してくれました。

先生と電話で話すと、手術の説明や同意確認もある事、病院の感染管理の方の助言もあり、子供の気持ちも考えてくれて、濃厚接触者の隔離期間解除になった大人を1人だけ、病室から手術室までの間だけ付き添わせてくれる事になりました。病院側にとってだけリスクが増えてしまう事だと思うので、本当に特別な対応だと思いました。有難かったです。

急いで病院に行きました。

感染管理担当の方がギリギリ居る時間で、コロナ対応の手術準備が出来たのでこの後すぐに手術が出来るという事でした。とにかく幸運だなと思いました。
先生から、CT画像を見ながら説明を受け、自分も納得する方法での手術に同意しました。手術の時間まで個室で待ちました。時計の針がとても重かったです。

個室のドアがノックされ、先程色々と説明をしてくれた看護師の方がフル防護服で迎えに来てくれました。想像でしか自分は知らなかったけど、ずっと毎日この人達はこうやって仕事をしているんだよなと感じました。

その後、ストレッチャーに乗った長女がやってきました。感染防止の為に会話は禁止になっていたので、手を握る事や頭を撫でる事しか出来ませんでしたが、とにかく会えて、触れ合えて本当に良かった。自分の体じゃないから自分は何も頑張れないけれど、自分の体や体温から何か渡せるんじゃないのかな。とにかく応援。そして関わる全ての人に感謝する。自分は黙ってそれだけしか出来ないけれど、それをやりました。

診療時間以降の手術になったので、担当の看護師さん達が満身創痍な表情で各々に『お疲れ、頑張りましょう』みたいに伝え合ってて、この全ての人達の人生の時間のおかげで自分の娘は救ってもらえるんだよなと感じたし、第7波になって絶対に院内の職員数も減ってきている所で踏ん張ってくれてるから入院も出来たんだよなと感謝の気持ちで一杯で、頭を下げてお願いしますと感謝を伝える事しか自分には出来ませんでした。

また個室に戻り、手術が終わるのを待ちました。娘の顔を見れたので、少しだけ時計の針が軽くなったような気持ちになりました。伝えられていた予定時間よりも長く時間が経っていたので少し心配でしたが、それでも僕は医療を信じているし、関わってくれた人達を信じていたので、静かに待てました。

手術が終わりましたと告げられて、また手術室に向かいました。

手術を終えた先生達が、切り離した長女の盲腸、虫垂を持ってきて見せてくれました。少し破けていました。本当にすぐに手術をしてもらえて良かった。娘の内臓を冷静に見てるのとか本当にどうにかしているなとは感じたけれど、とにかく良かったなと思いました。確か自分の時は破裂して無くなってたし。

防護服に包まれ、N95マスクをして汗ダクになってる先生達や看護師さん達に連れられ、ストレッチャーに乗ったまだ麻酔の少し効いている状態の娘が出てきました。とにかく撫でてやりました。意外と泣いたりもしてなくて、やるじゃんとも思いました。声は出させられないので心の中で沢山褒めちぎりました。そんな目で娘を撫でました。そして、関わってくれた全ての人に感謝を伝えました。本当に良かった。

病棟のエレベーターホールで娘を見送り、看護師さん達に宜しくお願いしますと伝え、ゆっくりと家に帰りました。生温かい夏の夜の風の中、自転車を漕ぎながら、命が手の中で消えていくような事にならなくて良かったなと、ただただそれだけを考えました。良かった。

新型コロナ感染症の1点のみの視点で考えていたら、今回の娘達はある程度軽めにやり過ごせたのかもしれません。小児に関してはMIS-Cや糖尿病になるリスクが高まる可能性があったりする事、また後遺症も出てくる可能性もあるのかもしれないけれど、その側面からなら今の所は軽めだったのかもしれません。でも、この病気はもっと多角的に物事が結びついて死を連れてくる可能性が高いものなんだなと、想像はしていたけれどより現実的に感じました。罹患による体調不良が引き金になって別の病気が併発したり、感染者である事から医療を受ける順番が何も無い状況よりは手遅れになってしまったり、そもそも医療に辿り着く事も出来なかったり、そういった様々な要素を引き連れてやってくる怖い病気だなと心底感じました。

国が医療に関して手助けになるような動きも見せずに今の状況を放置しているのをヒシヒシと感じます。そんな指針の姿を見て、軽視の言葉や行動が溢れているように感じられます。その中で自分の娘を助けてくれた人達は今もその人の人生の時間を使って、過酷過ぎる状況を踏ん張っているんだろうなと毎日感じています。それが世界中で起きていて、その踏ん張っている人達の気持ちや体や人生がどんどん削られていっているんだろうなと感じています。どうすればいいのかな。

僕自身、全く何でもない人間だと思います。でも毎日自分の生活の中でその人達の重荷を少しでも軽減出来る過ごし方は出来ないかな?と過ごしています。それぐらいしか応援や荷物の肩代わりが出来そうもないから。そして毎日感謝をして尊敬をしています。

お陰様で、長女は死ぬ事も無く、独りきりの入院や手術後の痛みは辛かっただろうけれど、退院もする事ができ、まだ全快とは言えないけれど、日に日に好きな物を食べ、その味に感動し、自分の家で家族と過ごし、夏休みの宿題も少しずつ追い付きつつもゲームばっかりやって、今を生きれています。

人生は健康が一番大切な事だと思います。健康であればきっと楽しいよ。

もう少し傷が塞がって、筋肉もついてきたら、また公園でバレーボールをしたいな。それまでは先ずは散歩でもしようじゃないの。付き合うよ。

死んでいないから未来が見えて来るんでしょう。是非、皆さんも健康に。

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