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7歳になった息子と、長く生きられなかった甥っ子の話

2013年生まれの息子が今月で7歳になった。

7年前に身長49センチ、体重2956グラムで生まれた生き物が、身長120センチ、体重22.6キログラムになり、「魔進戦隊キラメイジャー」のデコレーションケーキの前でポーズを決めている。なんだか不思議である。

彼が生まれたことによって、僕の人生は少しだけまともになった。10代のころから両親と折り合いが悪く、右を向きなさいと言われたら左を向くような日々を過ごしていた。そのきっかけとなっているのは、両親ともに右利きなのに僕が左利きで生まれてきたからだと思う。

僕は両親の子育てに不満があった

彼らは僕が左手で箸と鉛筆を持とうとするのを右手に直した。そのときの記憶は残っていないが、大きくなってから疑問に思うことがあった。それは6歳年下の弟も左利きで生まれたのに、箸と鉛筆が左手のままなのだ。

その理由を彼らはこう言った。「あなたの箸と鉛筆を右手に直すのが大変だったから、弟は諦めた」と。結果的に、僕は箸と鉛筆が右手で、野球は左投げ左打ちで、ゴルフは右打ちで、麻雀牌を握るのは左手である。非常にややこしい。左利きのままの弟のほうが明らかに伸び伸びと育ったように感じる。

両親を含む周りの大人たちに不信感を抱いた僕は、本を書いている大人たちに救いを求めた。「今、自分の周りにいる大人たちがたまたま面白くないだけで、世の中には面白い本を書いている大人たちがたくさんいる。その人たちに出会う方法はないだろうか」と。それで出版社に入社した。

出版社に入ってから出会った大人たちは、僕の期待どおり面白い人が多かった。ただ、僕が入社した1997年はちょうど出版不況が始まった年。売上がどんどん減少していく中、それを挽回する方法を知っている大人がいなかった。自分でもいい方法が思いつかなかった。やがて早期退職優遇制度というのが始まり、2009年に34歳で対象年齢になったので辞めた。独身だったので何とかなるだろうと思ったし、結婚願望も特になかった。

泣くことを思い出した甥っ子の死

ただ、その間に人生で最も後悔している出来事が起こった。2歳年下の妹が結婚し、子どもができた。僕にとっては初めての甥っ子だ。ところが、お腹の中にいるときから呼吸器系の障害が見つかった。長く生きられないかもしれないと医者から言われたが、彼女は秋に子どもを生んだ。

僕はこのころ人生で一番忙しかった。週刊誌を毎週作りながら連載の書籍化を担当していた。その後、海外出張も決まっており、大晦日も元日も編集部で仕事をしていた。仕事が落ち着いたら甥っ子に会いに行こうと思っていた。今、思えば、あらゆることの優先順位が間違っていた。

甥っ子が亡くなったことを知ったのは、3週間の海外出張から帰ってきた直後だった。しばらく呆然としていたが、ふいに目から涙がこぼれ落ちてきてビックリした。僕は10代のころから泣いた記憶がなかった。本や映画で感情移入しても、涙を流すことはなかった。表現が適切かどうかわからないが、甥っ子は僕のことを涙が流せる人間に戻してくれた恩人だ。

甥っ子が亡くなった後、妹は気を取り直して2人の女の子を生んだ。その子たちが順調に育っていくのを見ながら、僕は独身のまま姪っ子をかわいがる伯父さんとして過ごすのかと思っていたら、妻と波長が合って子宝に恵まれた。2013年の夏に息子が生まれ、2016年の春には娘も生まれた。

自分が受けたかった子育てを模索中

僕は自分が受けた子育てに不満を持っていたので、本を読んだりして自分なりに子育ての勉強をしてきたつもりだが、実際の子育ては本に書いてあることをそのまま実践すればうまくいくなんてことはまったくない。むしろ悩みの連続である。悩んでいるうちに、もう7年も過ぎてしまった。

そしてこのまま悩み続けると、あっという間に子離れの時期が来てしまうのではないかと思い、子育て日記を始めることにした。どのくらいのペースで書けるかわからないが、ときどき笑えて、ときどき泣ける日記を目指していきたい。


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