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スクウェア・エニックスの歴史 - 革新と挑戦の軌跡


はじめに

日本を代表するゲーム会社の一つ、スクウェア・エニックス。「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」など、世界的に有名なゲームシリーズを数多く生み出してきました。しかし、その歴史は常に順風満帆だったわけではありません。時代の変化に合わせた柔軟な対応と、失敗を恐れない挑戦の精神があったからこそ、スクウェア・エニックスは今日の地位を確立することができたのです。この記事では、スクウェア・エニックスの歴史を面白いエピソードを交えながら深掘りし、同社がいかにして世界的なゲーム会社になったのかを探っていきます。

スクウェアとエニックスの始まり - 二つの会社の誕生

スクウェア・エニックスの歴史は、1983年に設立されたスクウェアと、1975年に設立されたエニックスという二つの会社に遡ります。当時、日本のゲーム業界はまだ黎明期で、両社ともに小規模な会社でした。 スクウェアは、1986年に「ハイウェイスター」というレースゲームでデビューを飾ります。このゲームは、当時としては画期的な3D視点を採用し、プレイヤーの目を引きました。しかし、販売本数は伸び悩み、スクウェアは経営難に陥ります。それでも、社員たちは新作の開発に全力で取り組み、後の「ファイナルファンタジー」につながる基盤を築いたのです。 一方、エニックスは「ドアドア」や「アクトレイザー」などのアクションゲームを中心に展開していました。中でも、1986年に発売された「ドラゴンクエスト」は、エニックスの運命を大きく変える作品となります。当時のエニックス社長・福嶋康博は、「ドラゴンクエスト」の企画を一目見て、その将来性を確信したと言います。福嶋の決断は、後のエニックスの発展を大きく左右することになったのです。

「ファイナルファンタジー」と「ドラゴンクエスト」 - 二大RPGの誕生

1987年、スクウェアは「ファイナルファンタジー」を発売します。当時のスクウェアは経営難に陥っており、このゲームが最後のファンタジーになるかもしれないという思いから名付けられました。開発チームは、社運を賭けた思いで「ファイナルファンタジー」の制作に臨みました。 ディレクターの坂口博信は、RPGの常識を覆すような斬新なアイデアを次々と取り入れました。マップの自由度を高めたり、キャラクターを個性的に描いたりと、当時としては革新的な手法が随所に散りばめられています。そして、魅力的なキャラクターやドラマチックなストーリーが話題を呼び、「ファイナルファンタジー」は大ヒットを記録。スクウェアの窮地を救った作品となったのです。 一方、エニックスが1986年に発売した「ドラゴンクエスト」は、当時まだマイナーだったロールプレイングゲーム(RPG)というジャンルを日本に広めた革新的な作品でした。開発者の堀井雄二は、「ウィザードリィ」などの海外RPGに影響を受けながらも、日本人の感性に合ったゲームを目指しました。 「ドラゴンクエスト」は、シンプルなルールと親しみやすいキャラクター、そして壮大な冒険物語が特徴的です。また、アニメーターの鳥山明がモンスターデザインを手がけたことも話題となりました。「ドラゴンクエスト」は、RPGという新しいジャンルを日本に定着させた記念碑的な作品となったのです。

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